海外勤務の2年間、この車でヨーロッパ中を走り回りました。中でもモナコでF1のコースを走ったのは感動しました。シュツットガルトのベンツ本社・ポルシェ本社、ミュンヘンのBMWの本社ビル(別名4気筒)、マラネロのフェラーリ本社など訪問しましたが、あまり記憶に残っていません。小さな故障は多かったですが、大きな故障は無く、ロングドライブを乗り切りました。同僚の中にはドイツ車が気に入り、日本に持ち帰る人もいましたが、私はドイツ車を日本では乗ろうとは思いませんでした。
最初で最後の大排気量車です。3000cc・260馬力でした。80スープラはツインターボのRZが人気ですが、私のはNAのSZでした。ドイツから帰国後、3年ほど経った頃、両親が入院したため、通勤に高速道路を使うことになり、友人が勤めていた港北区のトヨタディーラーで100万円で購入しました。某有名会社の社長が趣味で乗っていた車で、オプションがすべて付いており、ガレージ保管で照り輝くばかりの美しさでした。走行距離も4000キロほどで、ATでした。通勤は馬力的に余裕があり快適でしたが、ATに我慢できなくなり、MT5速に載せ替えました。その他ワンオフのエキマニやビルシュタインの足廻り、マインズのロム等いじりました。車としては良かったのですが、前車のスカイラインがあまりにすごかったのであまり良い印象が持てず、両親の退院とともに用済みとなり、手放しました。
この車で、チューニングの楽しさを知りました。レカロのSR-3、FUJITUBOのエキマニ・マフラー、ブレーキのGT-Rからの流用等出来ることはすべてやりました。いやー素晴らしい車でしたね。セブンを売ったあと、何かに導かれるようにたどり着いた新横浜にあった中古車屋で、126万円で買いました。修復歴があったのですが、一目見てから目が離せなくなり、当時前の会社を辞めてアルバイト生活だったのですが、無理をして買ってしまいました。鶴見のつばさ橋が開通したての頃、友人を乗せ、もう1台S13シルビアと深夜2時頃走りました。道路には我々2台しかおらず、アクセルを思い切り踏みました。同乗の友人は「やめろー」と絶叫していましたが、軽く180は出ていましたね。回転数的にもまだ余裕があったように思います。日本でこれほどのスピードを出したのは、後にも先にもこの1回だけです。道も舗装したてで全く跳ねず、道路に吸い付くように走りました。その後半年してから再就職した会社から海外勤務を命じられ、2年ほど実家で眠っていました。ですが長期休暇の際は帰国し、コツコツといじり続けていました。自分にはよくあることなのですが、一通りいじって満足したときに友人から欲しいと言われ、お別れしました。その後6気筒車が無くなったため、今考えるとなんともったいないことをしたのかと思います。おまけに譲った1ヶ月後に、友人の一時停止無視によりトラックと衝突して車が半分にちぎれてしまい、廃車になったというおち付きです。これほど後悔したことはありません。
ジェミニのハンドリングバイロータスを下取りに、千葉の中古車屋で買いました。走行距離は9千キロぐらいで、140万ほどでした。ちょうど社会人になったばかりで、車に回せるお金が増えていたからか、友人たちも軒並みセリカやスカイラインのターボ車に乗り換えていました。週末よく箱根に走りに行きました。椿の登りでいつも2番目を走っていました。1番目はセリカの4WSで、やはりハイパワー2駆は、4輪駆動には勝てません。いつもその背中を追い続けていました。これも諸事情で1年ほどしか乗りませんでしたが、いい思い出しかありません。FC型のセブンは運転が難しく、知り合いでこの車に乗っている人は、みんなホイールスピンして事故を起こしていましたが、私は直線しか踏まなかったのと、ヨコハマのグランプリM7というハイグリップタイヤを履いていたおかげで危険とは無縁でした。スポーツ走行をするなら、最後に命を守ってくれるのはやはりタイヤだとこの車に教えられました。
ハンドリングバイロータスというたいそうな名前が付いていますが、いたって普通の車でした。大磯に在った若い夫婦が経営していた中古車屋で60万ほどで買いました。車はまだ6千キロほどしか走っていなかったのですが、あまりに普通すぎて飽きてしまい、もっと走る車を買うために手放しました。若いでしたね。これもアルミを変えただけで終わりました。![]() |
スズキ ワゴンR 歴代のワゴンRの進化の過程において、1つの完成形がこの車です。いい車です。 |
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マツダ デミオ 遂にDEデミオの後期型を手に入れました。希少な15Cです。 |
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マツダ ロードスター 5年ぶりの愛車でした。 |
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BMW 3シリーズ セダン ドイツで乗っていました。 |