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万年筆の書き味が大好き!!のブログ一覧

2016年07月05日 イイね!

「写真展」もう、一年も前のことになるんですね!スタートは涼しい日が続きました!




















手違いで、このブログに添えるつもりで撮ってきた画像を全部消去してしまいました。

だもので、去年の写真と文章だけで―


今日の午後、3カ月に一度の検査通院日でしたので、自転車でJ大学附属病院へ出掛けてきました。

治療とかではなくて、視力検査、眼圧検査、それと医師によるカンタンな確認検査だけです。

それでも、約2時間くらいは要するんですよね。


考えてみましたら、ちょうど一年前。

この病院内のホールで写真展を開催させていただいてたんですね。
















去年の7月初めのブログをチラッと見てみましたら、

7月の第一周は、雨続きだったようです。

ほぼ一か月間、会場である医療センターが休診日以外は毎日、展示場に詰めていましたので、

思い出すことが出来る気がします。


病院ということもあって、年配の方の比率が大きかったですが、

ですから、熱心に見てくださる方もいらして、それはそれはとてもウレシイことでした。



今月の展示は、スケッチがでした。

グループ展のようでしたが、壁4面を使って、きっと40点近い作品があったのではなかったかと―

先月は、お花の写真がおひとりの作家さんの作品でした。











今年も、もう7月でしょ?!

夏が過ぎ加速度的に早く日が過ぎてしまいますね。


私自身の検査通院次回は10月。

その次は、ワタシ自身の写真展開催月の2017年2月になるかと・・・・

そろそろ慌てなければなりません。


実現できるのかなぁ~

前途多難!

向かい風強し!











海上(会場)波高し・・・・?

そんな感じです―。




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Posted at 2016/07/04 16:23:42 | コメント(0) | トラックバック(0) | 古い日記? | 日記
2016年06月18日 イイね!

明日は「父の日」。

明日は「父の日」。
















明日は6月の第三日曜日。

「父の日」らしいですね!


パソコンを、開くとこちらの意思とは無関係に広告などが飛び込んで来て、

「父の日」にはプレゼントを贈ろう・・・・みたいな、コピーが溢れていますものね。

「母の日」が、5月の第二日曜日というのは自分の中にはインプットされているのですが・・・・


そうですね、もう40年も前になりますからね、父親が亡くなったのは。

本当に親不孝?

親不孝というよりも、親孝行な自分ではなかったですね。


わたしの父親というのは、九人兄弟の総領で弟や妹たちの面倒をタイヘンな努力をして

一人前に育てたみたいです。


ずいぶんと苦労もしたようです。

時代が時代でしたからね。


でも、そうした話しなどを、しっかりと聞いたことがなかったのです。

母親からは、ポツンポツンと聞かされたのかも知れませんが、

覚えていることは、ほとんどないんですね。


よく、TVでファミリー・ヒストリーみたいな番組もあり、

自分の家系がどんなふうだったのか、どんな生活を、どんな仕事をしてきた人たちだったのか

遡ることで、自分のルーツを知るなんて、ドキュメンタリーがありますけれど、

私にも、きっとあるはずなのでしょうが、それをいまは知る術もないんです。



もしかしたら、知ったところで何がどう変わるなどということもないのでしょうけれど・・・・











でも、こんな私のことなのに、父親にしてみれば可愛かったのでしょう。

自分はお酒を楽しむくらいしかなかったような、昔気質の職人でしたから、

口数も少なくて、何かを褒めてもらったみたいな記憶もないんです。

まあ、それ以前に褒められるような、何かを持ち合わせていないこともある訳ですが。


そんな父親が、相当に無理をして”クルマバカ”の私に、

自家用車を買ってくれたのですね。

私が、ねだったのかなぁ~?


TOYOTA KE10 = ぷらす100ccの余裕?

そうです。トヨタカローラ1100デラックス。

1970年代ですよね。

新車で、購入したんですよ。

4ドアの、4段フロアシフトで、ボディカラーはグリーンでした。



そんなこんなをしてもらったにも拘らず、

ワタシときたら、優しい言葉のひとつも掛けてあげることをしませんでしたからね。

長い年月が過ぎた今、ちょっと思うことありますね。


「父の日」を前に、ちょっとそんな昔のこと想い出しました。


「みんカラ」の皆さんは、明日の「父の日」には、

お父さんに、どんな言葉を掛けて差し上げるんでしょうね・・・


遠く離れておいでなら、電話の1本で「元気だった?」。

そのひと言でいいんじゃないのかな・・・なんて、思ったりもします。


父親は、お酒とたばこが―

ワタシが子供の頃は、よくタバコ屋にお使いに行かされましたっけ。

「しんせい」とか、いう銘柄だったかも・・・・


ワタシが、酒もたばこもやらずにいるのは、父親からのプレゼントなのかも知れませんね―








クルマとは、まるで関係のないブログになってしまいました―


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Posted at 2016/06/18 09:57:09 | コメント(0) | トラックバック(0) | 古い日記? | 暮らし/家族
2015年05月24日 イイね!

古い日記に、友の誕生日をみつけて・・・・・

古い日記に、友の誕生日をみつけて・・・・・









ほとんどプライベートな、日記といった内容です。

クルマと全く関係ございませんので―

その点、あらかじめお断わりしておきます。



1972年の日記だったのかな

ですから、いまから43年も前の日記になります。

その日記帳、私もまず滅多に読み返すことなどないのですが、

少々当時のことで、気になることがあり何日分かを読み返してみたときに、

その頃、私が勤めていた会社に出入りしていた損害保険会社の男性がいて、

仕事上のつながりより、ほんの少し深い交流があったんですね。

プライベートで、一緒に食事に行ったこともありましたし、

彼の妹さんが、結婚してご主人の赴任先がイランでした。

イラン革命以前の話しです。

商社マンだったのでしょうね、妹さんのご主人―。

イランからでは、日本へもそうそうは里帰りできないだろうと、

当時、私自身はそんなには興味もなかったのですが、大晦日のNHKの紅白歌合戦。

ラジオからカセットテープに録音して、国際郵便で送ったなんてこともしました。

ですので、直接は妹さんと私は接点なんかないわけですが、お兄さんである友人との交流があった

から、そんなことまで発展したんです。

一度、帰国した折りに、妹さんと何処だかの私鉄の駅で会って、ネクタイをプレゼントされたことが

あったように覚えています。

確か《dunhill》か何かの、ブランドのネクタイだったと・・・

まだ、洋服ダンスの中に残っているんじゃないでしょうか―。


まあ~、また前置きが長すぎますね。



去年、日記の中に彼の誕生日をみつけたので、へーパー・スタンドに写真をセットしたものを、

彼の誕生日に贈ったのです。写真は何だったのか覚えていません。

彼にしてみたら、まさかここ数十年間は年賀状のやり取りだけになっている関係の、

そんなニンゲンから、そんなものが届くなど、夢にも思っていなかったでしょうね。

ですから、驚いたと思いますよ。

その彼、手紙とフレームが届く、ひと月ちょっと前に、お父様を亡くされていたんです。

ですから、悲しみの中にいたみたいなのですが、そんな状況下に誕生日のことを知っていた人間か

らの、出逢った当時のことに触れた内容の手紙と、写真が届いたことで、こんなふうに思ってくれたと

その後、いただいた返信に書いてくれていたのです。


【写真、とても嬉しかったです。 心も折れそうな中で、手紙の拝見し、若く楽しかった過ぎ去りし日を

の昔を思い出し、○○さん(ワタシです0との、出会いを思い出しました。あれからこんなにもすぎた

のだなあ・・・と】。

彼からの長い手紙を読み、ちょっと涙がこぼれました。


そんな彼の誕生日が、また今年もやってきます。

昨日、私自身も気に入って使用しているフォトフレームをYカメラでネット注文しました。

同時にKカメラへ、ネットプリントを注文。フレームとともに直接彼の住いの方に届く手配をしました。

お誕生日のお祝いのメッセージというんでしょうかね。

更に、手紙も書きました。月曜日に投函します。

気に入ってもらえると嬉しいんですけれどね・・・・


フレームに私の写した写真を、飾ってもらえたら私もウレシイですが、

そうでなくて、彼の大切な家族の写真などを収めてもらったらいいと思っています。










↑このフレ-ムなんですが、色をブラックかホワイトにしようか迷ったのですが、白を選択しました。

↓これらの写真を含む5枚。ひょっとしたらこれらの写真。黒のフレームの方がよかったかも……。











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クルマにまったく関係のない、ブログが続いてしまってますね。

ごめんなさい!

Posted at 2015/05/24 00:02:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | 古い日記? | 日記
2015年05月14日 イイね!

もう一回くらい海外へ行ってみたい気もしますが・・・・

もう一回くらい海外へ行ってみたい気もしますが・・・・









国内の離島を除けば、海外へ旅行したのは二回きり。

23歳の時だったようです。

グアム&サイパンへの12日間の船旅。

会社勤めをしていたときで、入社2年か3年目くらいですね、たぶん。

良く休ませてもらえたというか、いてもいなくても関係ないくらい役立たずだったってことでしょね?!。


1972年3月の4日から15日まで。

全て船中泊でした。

何かの、キャンペーンだったのでしょうか、費用のことは日記には書かれていませんでした。

どれくらい掛かったんでしょうね。

1ドルがどれくらいのレートだったのか―。





レインボーブリッジ↑も、埠頭の送迎デッキ等↓も、ない時代のことでした。








晴海埠頭からの出港帰着&帰港。

3月ですので、寒い時期のクルーズですね。

東京から、グアムまでは3日半くらい要したのではないでしょうか。

日記には、面白おかしなことがたくさん書いてありました。

船上で仲良くなったグループのことや、彼らとの同一行動のことなど。

3日目くらいに食堂へ行くとき、乗船前から気になっていた女の子と一緒になって、彼女が階段を踏

みずしそうになり、腕を支えてあげたりしたものの、それでも恋はうまれなかったとか。

このクルーズに同行しているドクターが面白い人で、長いこと話して楽しかったとかね。

可笑しいのは、そのドクターも帰路には船酔いしてしまい、自分で注射したりしていましたよ。


その当時から異星人ぶりを私は発揮していたようで、縄跳びのナワを持ち込んでいたよう

で、クルージング中に甲板で縄跳びするなどして、たくさんの同乗者たちもその輪に引き込んだみた

いですね。







ほかにも、船内でのカラオケ大会みたいなのがあったのですね。

”カラオケ”という言葉が当時あったかどうか・・・。


それで、図々しくもエントリーしてみたんです。

曲目は『ひなげしの花』。 そうあのアグネス・チャンのヒット曲ですよね。

うけを狙ってね。


それはいいんですが、そのイベントの時には、もう船酔いで爆睡?しまっていて参加出来ずじまい。

でなくてヨカッタのかも知れません。





決して豪勢な船旅ではなかったのですが、気分的には最良の旅行形態だった気がします。

飛行機でひとっ飛びもいいのでしょうが、船の旅が最高かと思うのですが―

船酔いも、たぶん苦しいのは2日間くらいのことですから・・・・




このブログを書くにあたって、そのグアム&サイパンクルーズ前後の日記のページをほんの少し読

み返してみたのですが、今と同なじようです。 

まったく、あの頃から成長していないというのが、よお~く自分でもわかりました。

その時の愛車は、カリーナの1600GTに乗っていたみたいです。

カメラについても、中判カメラのペンタ6×7だとかが欲しいのなんのってほざいていたみたいです。

いまもおんなじこと言ってる気がします。

『PENTAX《K-3》がほし~~~い!!』、なんてね。




古い写真や、日記帳が残っているから、こんなふうに思い出も蘇ってきますけれど、それらもそろそ

ろ処分を考えなければいけない時期に来ているように思います。



自分の生き方、行き方。

もう、このまま変わることなくいってしまうのでしょうけれど・・・・

うん、悪くない人生だったのかも知れませんね。

いま現在だって、そこそこシアワセなんですもん。

これで、不満を言ったりしたら、ばちが当たりますよね。








最期の最期に、いい友人にも出逢えたわけですし_

こんなご褒美を、私もらってしまって良かったのでしょうか・・・・


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Posted at 2015/05/14 00:00:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | 古い日記? | 旅行/地域
2015年02月19日 イイね!

『ボクの父さんみたいなひと・・・』、彼のそんな一言に胸が熱く_

『ボクの父さんみたいなひと・・・』、彼のそんな一言に胸が熱く_











このバイクに乗っていた頃のことです。

もう何年前のことになるのだろう、記憶も曖昧になっている。




ある夏の日のこと。

母校の小学校プールを、夏休みのある期間、区民に一般開放していました。
自宅から学校までは、300メートル、約2分ほどの距離。

当時は、仕事どうしていたんでしょうか?
失業中だったのかも知れませんね。

ワタシ、なんと定職に就いていた期間の方が、人生で少なかったくらいのロクデナシですから―。


小学校のプールということで、その小学校はもとより、近所の学校の子供たちも大勢泳ぎに来ていた

んです。

そんな中で、ひとりの男の子が、理由かは判りませんが、泣かされていたんです。

本当に些細なことなのでしょう。子供同士のケンカなんですから。





それを仲裁?かな、『仲よく遊ばないとダメだよね!?』みたいなことで声を掛けたことがキッカケで

その泣いていた子供と仲良くなったのです。



いろいろと話すうちに、彼がおばあちゃんと二人で暮らしていること。

母親は、彼が幼いときに亡くなっていること。

父親のことは、話しを聞いたことがあったのかも知れませんが、覚えていません。


そうそう、出逢ったのは彼が小学校4年生だったと思います。

ワタシに、えらく懐いてくれましてね。


まあ仲良しになってからは、運動会へ彼を応援に行ったりもしました。





銭湯へも一緒に行きましたしね。

日光?鬼怒川かな、それと山中湖の方にある、会社の保養所へ何度か泊りがけで行ったりもしたん

ですね。 楽しい時間をたくさん過ごしました。


出逢いから、いくらもしない時分だったのでしょうか、彼が地元の少年野球のグループに入るとかい

うので、その練習の様子を見に行ったときのことだったと思うのです。

一緒に練習している仲間に、私のことを『あの人はダレなの?』と、そんなふうに聞かれたんじゃない

かと思うのです。


彼が、そのときに『ボクの父さんみたいな人・・・・・』って、返事をしたんですよ。

ちょっと泣きそうになりましたっけ、ワタシ。




ワタシの住まいと、彼の家は、5分くらいしか離れていませんでしたので、彼との交流があった間は、

毎日毎日欠かさずに手紙を書き続けて、彼のお家の郵便受けに投げ込んでいましたっけ・・・・


一方通行の手紙ではありましたけれど、それはどうでもいいことでした。

すべての手紙を読むことは、多分していなかったでしょうね。


『父さんからY太へ・・・・』

彼が、小学生だったわけで、なるべくむつかしい漢字は、使わないようにして、

『学校はどうだった?  宿題は出たのかい?』

いまとなっては、何を書いたのか、忘れました。

『ガンバレ!! 』みたいなことは、なるべく書かないようにしていた、そのことは何となく記憶しています。



小学生の子供が、両親がおらずに、お婆ちゃんと暮らしている。

身体つきも小さい子でした。前から2,3番目?そんな感じでした。

そんな小さな体で、ちいさな心で頑張っている子供に、もっと『ガンバレ!!』なんて言えません。


彼の叔母にあたる女性もいたのでしょうが、いちどくらい会ったことがあったのかどうか私・・・・



その彼の叔母さんに、

いちどこんな提案をしたことがあったような記憶があります。

『一度でいいのですが、彼を連れて三人でどこかへ出かけませんか。 一日でもいいのです。
 彼にとって、ウソでいいのです。 父親と母親とのお出掛けを疑似体験?させてあげたいと・・・』。


こんな話をお聞きになったら、ワタシがいかに非常識なニンゲンかお解かりになりますでしょ。

狂ってますよね。


彼とは、中学に進むくらいまで交流があったのでしょうか_

でもある時から、急に疎遠になり、うその親子関係もピリオドを打つことに・・・・。


私は、きっと彼のことを心配するだとか、愛するだとか、あとは何なんでしょうね。

彼に寄り添ってあげたかった・・・とかいう、大それたことが出来るんじゃないかと、ひどいカン違いを

していたのだろうと思います。

うん、上手に説明できないですけれど、多分そんな錯覚をしていたのでしょう。



もしかしたら、

『彼の父親になれるかも知れない・・・』という、おとぎ話の中に迷い込んでしまった。

そんな熱病に罹っていたのでしょう。


きっと、愛されたかったのは私の方なのだろうといま想うのです。

多分、10~12才の子供だった彼にも、私の何かが負担になっていたのでしょうね。




あれから、20年近く?の時が流れたのでは・・・・

いちどだけ街で見かけたことがあったのですが、髪を染めて友人と一緒でした。

こちらに気付くことはありませんでした。


きっと、いまはもう家庭を持って、倖せに暮らしているのではないかと―

そうなってくれていると思います。

アイツの誕生日、たしか3月16日ではなかったんじゃないかな・・・・






ワタシは、いまも狂ったままで生きています。

いや、生かされているんですよね。

いつ終わるのか、それもわからぬままに、生き続けています・・・・


054/365 〔Feb.24〕


私の狂気ブログは、まだまだ・・・・・・

近付くと危険。  火傷しますよ!!

☢ 《DANGERROUS ZONE》へはお近づきにならぬように―

お気を付け下さい!!!!









Posted at 2015/02/19 00:00:00 | コメント(4) | トラックバック(0) | 古い日記? | 日記

プロフィール

#00X...本ブログを以って、みんカラのブログをクローズしますー http://cvw.jp/b/337459/45797069/
何シテル?   01/15 14:20
情緒不安/泣き虫/よわ虫/支離滅裂。 もうひとつおまけに、モノゴトひきずるタイプ? よく自分の年齢を混乱します。 臆病と大胆が同居しているような性...
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