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万年筆の書き味が大好き!!のブログ一覧

2014年05月19日 イイね!

僕の彼女と、彼女の彼と///////来夏の一大イベント計画。

僕の彼女と、彼女の彼と///////来夏の一大イベント計画。もう少し気付いていたら、こんな悲じみにあうことはなかったはず・・・



彼女の彼が、僕の彼だったなんて・・・・、鈍い僕は気付かなかったんだ_。


何かの失恋ソングの歌詞みたいですね。

「悲しみがとまらない」なんかも、そんな歌詞でしたね。


いま、毎日のように聴いているのは《KAN》の曲なんですよ。

あまりにもビッグなヒット『愛は勝つ』があるので、ほかの曲が脚光を浴びてない感じですが。
このすごくいい曲が多くて・・・・

毎日毎日熱い想いで聴いています。

こころに突き刺さるんですよねえ~。





何の話しかわからないでしょ⁈

また考えながら、打ち込んでいますので。
上手にまとめられるかどうか。
打ち込んでいる本人も?マークをアタマの上で点滅させています。

【もう少し気付いていたら・・・・】
そう、もう少し早く気付いていたら年内開催も可能だったかも_。

以前から、写真展をやりたいって考えていたんです。

『作品に、自信があるんだ?』って、お聞きになりますか?

『そりゃ~、ア~タ、自信があるわきゃござんせんですよ¡?」

いやあ、うまい下手は関係ないと思うんです。

だってプロじゃないんですもの。

 
アッ!気付くのが早かったら・・・・といいますのは、
今日、検診日で某J大学の附属病院に行ったんですね。

担当の、若い女医さんなんですが、なにかオメデタで担当が男の先生にいきなり変更。

なんだか、少しガッカリ!来月だか再来月が予定日みたい。

でも、おめでたいことですからね。

ワタシの病状?進行は収まっているらしいですけど、念のため7月にちょっとした検査をするんですって・・・・。

やはり、少し凹みますよね、正直に白状してしまうと・・・・。

まあ、それは別にいいんですが_。


その病院、ものすごく立派なロビーがあるんですよ。

今日も写真が飾られていました。10枚以上でしたかね。

掲示物をちょっとみたら、その展示スペースは制約がなくて、通院&入院患者さんなどの癒しの一環になればということで、一般開放しているとのこと。

それは利用しない手はない・・・。 自分でも写真展示の出来るフリースペースなどを探していたのですが、ロケーションとか、スペースとか、費用が。

なかなか無くて。

まさか、こんな身近なところにあるなんて、夢にも思いませんでした。

正に《灯台もと暗し》でした。

でもって、診察を終え、精算を済ませてから、そのスペース利用のお世話をされているという担当窓口へ。

『今秋くらいで、いちばん早いといつ頃でしょうか?』

いただいたお返事は
     ・
     ・
     ・
     ・
『いちばん早い使用可能なのは、来年の7月ですね・・・・』。

それでも、お願いしてきちゃいました。

年内は、また別の会場探しをしたいと思っています。

会場が病院であれば、やはり明るい写真がベターなんでしょうね⁈


これまで撮りためた写真や、これから撮る写真で構成してみようと思っています。

【二人展/////立ち止まれない時(to-ki)間たち】・・・・・・、2015年7月、開催するぞぉ~❕!!

13か月先のことですが、あっという間に来ちゃいますよね。

ガンバルジョォ~~~❕!


↓の写真などの何枚かはつかえそうかなぁ~?

やっぱりダメですか???????




























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Posted at 2014/05/19 18:25:41 | コメント(5) | トラックバック(0) | 暮らし/家族
2014年05月18日 イイね!

ご近所のバラをパチリと・・・・

ご近所のバラをパチリと・・・・歩いて4分08秒?

ご近所のバラを、2本レンズで・・・

前日にお許しをいただいて_

何枚かを、お礼に差し上げたいと思っています。
































ピークは過ぎてしまったみたいですね。


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Posted at 2014/05/18 11:04:49 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記
2014年05月16日 イイね!

オラ、意外にタフだぁ、睡眠3時間で40時間活動。粟島⇒東京へ直帰・・・はせずに寄り道して

オラ、意外にタフだぁ、睡眠3時間で40時間活動。粟島⇒東京へ直帰・・・はせずに寄り道して17時半に新潟県村上市のフェリー乗り場から、《up!》をスタートさせ、一路東京へ・・・・じゃないんです。

それをしないから、暴走老人の面目躍如といったところでしょ??

毎年4月の25日?だかに、栃木県の日光市と群馬県の沼田市を結ぶ金精峠が開通するとかで、雪庇の間道路を両側に見て走れるというんでしょ。

いちどは体験してみたいと思っていたので、そちらへのルートをNAVIに入力。

でも、仮眠はとりたいし、西会津はじめ、ほかの道の駅にクルマを止めて試みるも、外気温が2℃や5℃では眠れやしません。

車中泊の用意などしていませんからね。
クッションなどをお腹に抱いてみても無理でした。

それでも、人間てやはり睡魔には勝てないんですよね。
うつらうつら、2時間くらいは眠りの底に_

まだ夜明けまで数時間といううちに、事前に調べておいた日帰り温泉の駐車場でオープン時間を待つことに。



暗い夜空には、お星さまがキラキラまたたいていました。

夜が明けて、広がる景色は270度のパノラマ。生まれたての新緑が、そしてまだ上手に歌えないウグイスが、〔ホーケキョキョ♭‼‼〕。

8時オープンということでしたが、オーナーのオヤジさんが『7時には、湯が溜まるから・・・、そしたら入れるよ‼‼』って。

寒がっていたオラを、みじめだって思ったんかな?

天然温泉?かどうかは、確認しませんでしたが、夜中走り、冷えたカラダには気持ちのいいお風呂でした。

見える範囲が全部山でしたから。

ましてや、ひとり占めですもんね。
気持ちいいのなんのって、なんたって100%天然のハダカですもん???⇐意味不明?


それから、日光市内に行く途中では大笹牧場という素晴らしいロケーションに出会い、しばしマイカーの《 up! 》の撮影会実施。









50枚くらいもシャッターを切ったんじゃないでしょうか。

牧場を背景にパシャパシャ‼

髪を三つ編みにしたハイジが出て来そうだったので、叫んでみようかとも思ったのですが『ハイ、ジジィ~』って、こだまが返ってきそうでしたので・・・ぐっとガマン。



さらに、走っていく途中では何頭ものおサルさんとの遭遇も。写真を撮ろうとしたら、みなさん照れてしまって、隠れてしまいました。

さらに下ったところでは、道路わきの崖に、キレイな花が_。
名前が判らず、クヤシイ!



ランチは、チョット奮発。

しょっちゅうじゃないので、イイでしょ! 湖を眺めながらのテラス席でのランチ。写真は無いですよ。
撮らない主義ですので・・・って、撮り忘れてるだけなんですけれどね。

でも、まわりは全部カップルばっかし。 
おひとりさまの、ランチってなんて侘しいんだろう。



さっさと、食事を終えて、金精峠を目指します。

そうそう、いろは坂を登ってきたんですけど、たったの999㏄のクルマとは思えない走りっぷりでしたよ。 《 up! 》。かなりの勾配のある坂をグイグイ上りました。


そして、白根山登山口というところで、Uターンすることに。
そのすぐそばにある、菅沼という湖の湖畔で雪の残る水辺を写真に収めて、時間に余裕をみて帰路につきました。









途中の湯ノ湖の畔でしたでしょうか、日光湯元温泉?

無料の足湯があるというので、利用させてもらいました。
何組もの皆さんと足“混浴”を楽しませていただきました。

普通の混浴は慣れているのですが、足だけというのは初体験でしたので、ドキドキ?
『ホントかよ!』っていま小さな声で言ったキミ、あとで職員室まで来なさい!

足湯、それはそれでいいものでした。

いい加減長い時間入っていたのですが、外気温が下がってきたからでしょうか、身体じゅうホッカホカというまでにはなりませんでした。

ちょうど、群馬県側から来たという3人さんと向かい合わせになったので、お許しをいただいてパチリ!とても仲の良さそうなグループでしたよ。



笑顔が絶えないんですものね。

少し羨ましくもなりました。彼らの方が、先に上がったのですが、三人とも膝の少し下までが赤くなっていて、赤いソックスを履いているみたいだったので、ちょっとクスってしちゃいました。

9時くらいまでには、家に着きたかったので、そのあと市内でちょっとしたみやげを・・・。



羊羹をおみやげに選ぶことに_。

どのお店がいいのかもわからないので駐車場の合ったこちらへ_。
何だか知らないけれど、あるエリアに羊羹屋さんが集中しているんですね、不思議・・・・?。

何か歴史的な背景があるのでしょうかね⁈




《 up!》 は、本当に快調に走ってくれました。  おつかれさん。

みやげを買った後は、一路東京まで、

眠気に悩まされることもなく、無事に帰還しました。


『Ah~~~あ、自分の家がいちばん落ち着けるや⁈』

ツマンナイ、ブログにお付き合いいただ、ありがとうございました。


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Posted at 2014/05/16 10:06:01 | コメント(1) | トラックバック(0) | 旅行/地域
2014年05月15日 イイね!

小さな離島の十日間・・・冒険と無謀との境界線。―粟島ブログ最終章。

小さな離島の十日間・・・冒険と無謀との境界線。―粟島ブログ最終章。いま、このブログを書き始めるまえに、辞書で【無謀】の意味を知らべてみました。

【無謀】=いくつかの意味があるようですが、そのひとつに【無思慮】なというのが、ありました。

その、つまり【思慮のない人間】がワタシなのです。



話しが、2011年に遡ります。




初めての粟島を経験したのが、その前の年。2010年の9月でした。
秋台風の兆しのある中でしたけど、『もう決めたことだ、行っちゃえ!!』。
そもそもが、ちゃんとした大人の分別を持ち合わせているなら、この辺で思い止まっていたのでしょうが・・・・。



島には2泊3日の滞在でした。2日間とも同じ民宿に泊まることになりました。

そして複数のフィルムカメラ(2~3台)と、コンデジで、島のいくつものビュー・スポットをカメラの収めました。フィルムカメラ主体で200枚程度でしたかね。

そこそこの写真は撮ったつもりでいました。 台風はだいぶ手前で熱帯低気圧に変わったようで、まさに9月でしたのに、夏のような光景が広がっていました。




海にも入りましたが、海水もまだ夏に蓄えた熱が残っていたのでしょう。
私の中の日本海のイメージが覆されました。



それから、カレンダーの11枚が破られて、
翌年の夏休みが始まる直前にまで話しが進行します。

その民宿に手紙を書いたのです。

【昨年の9月に、そちら様にお世話になった○○ですが、実はご相談があります。
夏のシーズンの期間中、寝るところと、お食事をお世話いただくだけでいいのですが、お仕事を手伝わせて「いただけませんでしょうか?】・・・・コレなんです。

正に私の暴走?無謀さというのが_。

でも、アチラにしてみたら、何処のサカナの骨?かも判らない、得体のしれない人間に対して、訝しがるのは当然ですよね。

連絡は学校などが夏休みに入るころになっても、連絡が入りもせんでした。まあそれが普通なのでしょうね。


大抵の人なら、そこで諦めるのでしょうし、そもそもフリーターやニート?の若者でもなければ、そんな行動はとらないのでしょうね。

ですが、ワタシの暴走は止まりません。

民宿の方へ電話を入れ『お手紙を読んでいただけたかと思いますが、いかがでしょう?』。

最初、女将が電話を受けたのですが「お父さんに替わりますから…」。

いろいろ話したあとで「はあ来てみて、何日か様子見てみたらどうです・・・」。

もう、確定です。私の中でね。

『お~、コレで一か月間、魚が喰えるぞ~!?  バンザーイ!!』。

そんな感じでした。

③↓のスクーターで2011年、2012年の夏はスクーターごと島に入りました。


そんなこんなで、約5週間でしたか、にわか番頭を務めたんです。

そもそも、自分の中ではひと月ちょっと島にいたら、写真を撮るチャンスも、イイ光景に出合える機会もゼッタイに多いはずだ。コレって一石三鳥でしょ・・・、なんて発想があったんでしょうね。

もちろん、ネコまし(ネコよりちょいとましなくらい?)くらいの働きは、出来そうには思っていましたのでね。

フェリーの港と、民宿のある地区との距離は6キロあります。

ですので、港に到着する宿泊客の皆さんの送迎も私が担当することに_。




偶然?大型運転の免許も持ち合わせていましたし、過去にはマイクロバスですが運転経験もありましたので、その夏も多い時には、26人だかのお客さんを乗せることなどもいく度もありましたね。

私が、送迎を担当することで、その間に宿の主人夫婦は夕食の仕込みなどの準備に掛かりっきりになれますから、私もいくらかは役に立っていたようです。

私の仕事の出で立ちといえば、いつもアタマには手拭いを被り、エプロン姿でね。

バスを運転中には、どうも地元の人に見えるらしいのです⁈

都会CITYオヤジの匂いをプンプンさせていたハズなんですが・・・。
どうにも地元のオヤジにしか見えないようでした。それが今もって不思議です????

夏は、その2011年、2012年と島に出かけました。

そして、去年はGWと5月、6月の3度ですか、手伝いを。
大手旅行会社の、離島ツアーに、この粟島が組み込まれていて、日帰りでツアーのお客様がみえるのです。

スケジュールはかなりタイトでして、12時に到着。
一時間ほどかけて、食事。

粟島の名物料理?わっぱ煮というのですが_



この食事が、そのツアーの売りでもあるのですが、火を通した主にメバルを使うのですが、味噌(もちろん自前)と調味料、薬味のネギをいれお湯を注ぎ、さらに熱く焼けた石を入れる島の伝統料理です_。

約1時間のお食事タイムの後、そして一か所だけ観光スポット(ビュー・スポット)を見学。

ここでは私が添乗員さんと手分けして、みなさんのカメラで海を背景に、にわかカメラマンです。

⑥↓ちょうど、この景色が背景になるような展望台があるのです。その展望台で、






ほんとうに、忙しい旅みたいなので、ぜひ思い出の一枚になったらと思い、お節介を買って出ているのです。

島での、ツアーの皆さんの移動はマイクロバスになりますので、その間のお世話をさせていただいています。

お天気が良く、波も穏やかな場合には、その展望台から食事会場の近くからの観光船で、フェリー港まで帰られるのです。それで15時半のデリーで本土?に戻り、今度は大型バスで新幹線の駅まで行き、首都圏までお帰りになるようです。

今年も、GWに十日間ほどの、にわか番頭として出没。
夏は、もう体力面で無理かと思っていますが、来月ひょっとしたら、また出かけることになるかも知れません。

青年は荒野を目指し、暴走老人は荒海を目指します・・・・

これ、フィクションではないものですから、関係するどこかにご迷惑が掛かったりしないかちょっと気になりもしているのですが・・・

その時には、ワタシ、深い海の底に沈むことで責任を取ろうかと・・・・
ながながと、拙いブログを読んでくださった皆さま、ありがとうございました。

ぜひ、機会がございましたら、粟島を訪れてみてください。

ああ、番頭の仕事ですが、送迎以外にもお食事の配膳、お部屋のお掃除、風呂掃除等々ももちろんいたしましたので_。

写真の成果は、上がりませんでしたけれどね・・・・

最後に島の写真を、過去の撮影分を含めてアップしてみたいと思います。
これらの写真以外にも、一か月の間には、雨の日もありますし、いろいろな出来事が起こります。

『いらっしゃいませ!』
『ありがとうございました!』
『どうぞお気をつけて!』
『良い旅をお続けください!』
『ぜひまたお越しくださいませ!』

そんな、ことばが余りにも自然に口から・・・、

だもので『あのオジサン、なにものなんだ?』そんなうわさが399人の島民の間で広まったとか、広まらなかっただとか?

真相は、深い海のそこですがね・・・・

写真、以前アップしたものが重複しているかと思いますが、広い豊かな胸の谷間、、、オット間違えた。

ひろ~い大きなこころでお目こぼしを・・・・

ありがとうございました。


西地区からフェリー埠頭への移動はこの観光船も利用できます。ツアーには組み込まれているようです。




いま島では、数頭の馬を飼っていて、ホースライディングなどのプログラムも組まれています。








こんな来訪者も。海難救助訓練のためなんでしょうか・・・。








去年の6月の写真です。まさに海の中に森があるようですね。








もちろん本物のもりも_
















ノウゼンカズラ?でしたっけ_




澄んでいますでしょう・・・








これは5月2日の島開きのときの港の光景です。





























さてと、つぎはキミと何処へ冒険の旅に出かけようか・・・・、なんちゃって!




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*昨日、コメントをいただきました『天使の階段』?。
雲間からヒカリが降り注いで見えるような画像?少し違っているかも知れませんが、こんなのが見つかりましたので、アップしてみます。









Posted at 2014/05/15 00:13:15 | コメント(10) | トラックバック(0) | 日記
2014年05月13日 イイね!

小さな離島の十日間・・・その❔冒険と無謀との境界線って―粟島ブログ最終章のちょい手前・・・。

小さな離島の十日間・・・その❔冒険と無謀との境界線って―粟島ブログ最終章のちょい手前・・・。




何年か前に『冷静と情熱・・・』なんとかいう邦画がありましたっけね。
なんとなく、タイトルだけが印象に残っているのですが_

今回の、ワタシの島旅。
冒険ではなくて、まったくもって無謀きわまりない旅でした。

この無謀きわまりない・・・ということについては、後日また。

************************************

↑このような書き出しで始めた“粟島”ブログ。
何ともとりとめのない内容で数回アップさせていただきましたが、このあたりで完結させたいと・・・・

************************************


【これから始まる冒険は、まだどんな物語にも書かれていない。】

2010年に初めて粟島を訪れたときに目にしたポスターでした。
離島への旅は、初めての経験?

大昔し、GUAMや徳之島、奄美大島への船旅の経験はありはしましたが、離島と言ってもスケールがアチラはスケールが大きすぎましたしね。

小さな島への、旅というのは初体験でした。

2010年9月の第一週の終わりくらいでした。

その時の足は、HONDA LEAD110。 原付2種。ピンクのナンバーの付いたスクーターです。

持ち物は2日分の着替えと、雨具。
それにリュックにコンデジとフィルムカメラを2台にレンズ3本くらいだったかも。

それと全くキャンプ経験などないのに、直前に購入した一人用のテントを、スクーターのトランクや、小さな荷台に括り付けてですね、片道400キロを走って_。

原付ですから、もちろん高速道などの利用は不可。

400キロという距離に関しては、不安などは全くなかったですね。

日帰りで片道300キロ、つまり1日で600キロくらいの走行も経験していましたので、感触は掴めていましたので。

2010年、粟島行き。
ひとつの計算違いは、フェリーの出港時刻を事前に掌握しておらなかったことで、港に到着した時刻には最終の船が出港した後でした







こちらの一角にある屋根のあるベンチでひと晩野宿?です。

幸いなことに、雨に降られることもなく、気温もソコソコでしたので、バイクのカバーを被って眠ることが出来ました。

何ともワイルドでしょ?!



翌朝は10時半のフェリーで粟島に向けて出港。さあさあ冒険の始まり・・・・・・?。




いや無謀な旅の始まりです。

90分の船旅の後、粟島上陸は正午ちょうど。

キャンプ場もあるので、それも考えはしたのですが、『たったの二日間だ、民宿へ世話になろう…』。
なんとも軟弱な話しですが、観光案内所に飛び込んでその晩の宿を世話していただく相談。

そのときに紹介された民宿に、その後も毎年世話になることに_。







【かわいい子には、旅を。】
【暴走老人にも、島旅を。】

























無謀ともいえる暴走?は、この↓クルマが主役となりました。
2011年の7月の19日に、事件は幕を開けました。





最終章にするなんて言っておきながら、ちょっとその冒険?ではないんですよ。

無謀な?暴走したこの粟島での顛末記については、長くなりそうなので

【to be contnud=つづく・・・】

てなことで。

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Posted at 2014/05/13 10:30:10 | コメント(5) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

#00X...本ブログを以って、みんカラのブログをクローズしますー http://cvw.jp/b/337459/45797069/
何シテル?   01/15 14:20
情緒不安/泣き虫/よわ虫/支離滅裂。 もうひとつおまけに、モノゴトひきずるタイプ? よく自分の年齢を混乱します。 臆病と大胆が同居しているような性...
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