最初に、昨日見た夢のこと書いちゃおうかな?!
あまり内容よくは覚えてはいないんですが、どこだかのメルセデス販売店で、
見ず知らずの家族連れと意気投合し、
購入のアドバイスまでしちゃったりして―
挙句の果てに、その家族の愛車のシトロエンのCXにまで、乗せてもらうまでに、
でも「自分のクルマで来ているんです!!」と言いだせなくなってしまい、困ってしまう・・・
そんなところで、目覚まし時計が鳴ったんですけれどね。
オカシナ夢でした。
↑この画像、北海道の羽幌沖の【天売島】というところの写真です。
多分ですが、1980年に撮影したかと思うのです。
この「天売島」という島。
世界最大の”ウトウ”という、海鳥の繁殖地だそうです。ネットに記述がありました。
ワタシは、その海鳥に興味があった訳ではなくて、離島だったので・・・・
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
昨日、捨ててしまつもりで押し入れの中の、古いメモ。
ワープロで作成し、プリントアウトした紙が出てきました。
日記なんだと思います。
日付けと曜日の記述はあるのですが、何年だったのかが漏れてしまっているのです。
ネットで、月日と曜日を入力すると、西暦の何年かが調べられるサイトがあるんですね。
そんなことまで調べられるの?と疑心暗鬼で検索したら、あるんですもんね。
まったくなんていう時代なんでしょ?!
年号?はもしかしたら正しくないかも知れませんが、とにかく40年近く前に、知人の依頼で彼の親戚がいた北海道のi岩内とかいうところで農家を営んでいたお家へ、中古のボンネット型トラックを、陸送した時の、日記のようなものが出てきましてね。
それには、月日と曜日だけが書かれていて、何年かがわからないのです。でもって前述に記したようにネットで検索したうえで、その文面を書いてみたような次第です。
往路は東北自動車道の、当時の終点近くまで利用したみたいですね。
それから、青森―北海道はフェリーで渡り、先方に届けた後に列車で北上して、利尻&礼文島の一つ下に位置する天売島という島で、ニシン番屋を改装したような、YHへ2泊したのだと記憶しています。
YH。このブログを書くにあたって、ネット検索をしてみましたら既に閉鎖になっている様子。
でも、画像などは見ることが出来ました。
確かに、私が宿泊したそのYHだと思います。
懐かしい・・・・
復路は、ずう~と列車です。羽幌から海岸沿いを走る国鉄を乗り継いで函館へ。青函連絡船で本州に渡り、東北本線で帰京。何十時間列車に乗ったのか?まるで分かりません。
でも、実際にそんな経験をしているんですもんね。
うん、考えてみると無茶なこととも言えるのかも知れませんが、愉しかったのでしょうね。
ああ、でもこうして何十年もの時間が過ぎた今だから、余計にそう思うのかも知れませんね・・・・
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198075年7月28日(MON)
昨夜、フェリーが出港したのが、21時05分でしょ。いま1時35分をちょっと回ったところだから、海路4時間半ということかな。チョット航送料が高いよね。青函トンネルが出来たら、実質的にはフェリー利用者は激減するだろうね。現在の状態では、やはり北海道というのは遠いところなのかな。昨日のことだけれど、あれは18時前後だったと思う。運転を始めてから、ほとんどノンストップで走り詰めだったじゃない。急に涙がボロボロと出てきて、もう限界だって、身体の方から信号を送っているということ何だろうなって思った。
28日の分の日記の半分は、午前2時前に書いてしまっている。いまはもうクルマも届けて、天売島という、札幌よりもずうっと北に位置している離島へ向かって走る列車の中でコレを書いている。その天売島という島は断崖がすごいんだってさ。ソコのユースに問い合わせしたら、明日あさっては泊まれるというので、予約したんだ。
途中船に乗らなければならないので、船酔いしないかなと、それがちょっと気掛かりなんだ。港からユースまでは40分歩くんだって。今日改めて感じたことだけれど、やはり地方のひとは純朴だよね。郵便局や駅の出札でいろいろ道を聞いたりしたけど、ものすごく親切なんだ。
すべて僕なんかの失くしてしまったものみたい。ああいう人たちって疑うことを知らない!?なんて言ったら、バカにしたことになるかな・・・・。
今度の旅行日数分の日記は区切りをつけずに書いてもいいかも知れないね。昨日今日と24時間で24時間じゃないんだもの。睡眠時間が4~5時間とったかとらないかでしょ。
それにしても今回のドライビングは思ったより疲れなかったよ。路面の状況が良かったのと、トラックにシートがベンチみたいに固くて、背当ても垂直に立っていたことが却ってよかったのかな。
あとね、XL(*HONDA XL125)を摘んでこなかったことが正解だったのか、失敗だったのか、どうなんだろうね。今日走ったコースの一部は、ひどい未舗装路でね。あの道をもしXLを摘んで走ってきたら、ぶっこわれたかも知れないね。それを20㎞近くも走破したんだわさ。逆にXLでそんなラフロード、しかもカーブの多い、あんな道を走れたかどうか、そんな自信なんてまったくないね。
★続きのメモ?がみつかりません・・・
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【2台のオートバイの写真は、このブログの内容とは関係ありません】
144
1980年でした。7月29日が月曜日に当てはまる年は、1975年と1980年、そして1986年。
該当するのはその3年でした。
青函トンネルが開通していないとか
東北道を走った・・・とかの、書き込みがあるので、
あと、北海道往復の日数プラスYHに2泊しているとかからして、
少なくとも、会社勤めしていない時期なはずなので・・・・。
そう、そんなフ~テンぶりの期間がいっぱいあったものですから―。
ちょっと、意味が解りずらいかも知れませんね。
Posted at 2016/11/19 04:44:53 | |
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