
「
ダリル・グリネマイヤー」というアメリカ人がいました。 彼は元ロッキード社のテストパイロットであり、有名なリノのエアレースのアンリミテッド・クラス(最高峰のカテゴリ)で何度も優勝した・・・要するに超一流のパイロットでした。 彼は 1965 年のある日、空軍基地から急上昇してゆく
F-104 を見て、これを自分で所有する事を決意します。
F-104 は、1950 年代に開発が始まり 1990 年代までかなりの数が使用された、ロッキード社の戦闘機です。 一時期、日本やドイツ、イタリアなどで主力戦闘機として活躍した機体です。 ダリルは、この F-104 がどうしても欲しくなりましたが、当時米空軍でも現役の戦闘機として使用されていた機体です。 どんなに有名で資金を用意できたとしても民間人が購入できるはずもありません。
そこで、彼は( F-104 の墜落事故が多いことに目を付け)各空軍基地周辺のジャンク屋を丹念に回って、墜落した F-104 のパーツを片っ端から購入、使用可能なパーツを選り分け、10年もの歳月をかけ、とうとうジャンクの山から飛行可能なF-104 を再生したのです。
ダリルは、「
レッドバロン」にちなんで再生した F-104 を
RB-104 と名づけ、(もちろん)民間機として FAA(米国連邦航空局)に登録(登録番号 N104RB )、長年の夢であった F-104 での飛行を楽しみます。 「レッドバロン」とは、第一次世界大戦で活躍したドイツ空軍のパイロット「
マンフレート・フォン・リヒトホーフェン」に対して、敵であったイギリス軍がつけたニックネームです。 彼は天才的な空戦テクニックで次々と撃墜記録を打ち立てる一方、機体のトラブルで満足に戦えなくなった敵機は撃墜せずに見逃してやるという騎士道精神にあふれたパイロットで、味方だけでなく敵からも尊敬されました。 リヒトホーフェンは男爵であり、自分の愛機を真っ赤に塗った事から「赤い男爵(レッドバロン)」と呼ばれたのです。
そして、この物語のクライマックスは RB-104 での記録への挑戦。 何度かの挑戦を経て、1977 年 10 月 24 日、見事ダリルと RB-104 は低高度での速度記録(
高度 100m 以下で 1,590.45 km/h !)を樹立しました。 しかし、その翌年、次は高度記録に挑戦しようと試験飛行中の RB-104 に着陸脚のトラブルが発生、着陸は不可能と判断したダリルはやむなく緊急脱出。 RB-104 は砂漠に墜落しました。
ちなみに、ダリルと RB-104 が打ち立てた速度記録は FAI(国際航空連盟)に正式に公認され、現在にいたるも破られていません。
Posted at 2009/08/11 13:00:42 | |
トラックバック(0) |
飛行機 | 趣味