ウクライナ戦争でインドがロシアの制裁に消極的な理由について
インドが今回のロシアのウクライナ侵攻に煮え切らない態度をとるのに武器体系がロシア製と言うことがあげられています。でもなぜかっていう説明があまりありませんね。
1947年、イギリスの植民地だったインド連邦が、その地域の宗教によってインド、パキスタン(現パキスタン及びバングラディシュ)、セイロン(現スリランカ)に分かれて独立しました。この際、西パキスタンとインドとの境にあるカシミール地方は、マハラジャがインドよりのヒンドゥー教徒であったのに対し住民の多くがパキスタンよりのイスラム教徒であったため厄介を避けて宗主国のイギリスは、この帰属を明確に示しませんでした。このためインドとパキスタンはこの地の帰属をめぐって戦争を始めます。
当初は、両国とも宗主国イギリス軍の置き土産で英国系の装備を持っていましたが、パキスタンは、1947年の米国との国交樹立ともに「相互防衛アシスタント協定」を締結して米国系の軍備を進めました。また中国からも装備を輸入しています。
一見イスラム圏のパキスタンは反米的とご認識されやすいのですが、第三次中東戦争(1967年)でイスラエルが東エルサレムを占領し編入を宣言するまではイスラム圏の反米意識は低く、ましてパレスチナから距離のあるパキスタンでは、アメリカとの協力・同盟関係を維持しながら、カシミール問題で激しく争うインドに対抗したり、アフガニスタンへのソ連・ロシアの南下を警戒したりするのが外交政策でした。
一方インドは現在では民主主義的で自由な社会経済体制を日本などと共有できる国とされていますが、独立当初からしばらくは、1976年の憲法前文に「われわれインド国民は、インドを社会主義・世俗主義的民主主義共和制の独立国家とし」とされ社会主義の理念が入った議会制民主主義国家の国家体制でした。外交関係も
1947年、デリーでアジア問題会議が開催
1949年、ビルマに続いて中華人民共和国を承認
1955年、バンドンでアジア・アフリカ会議が開催されスカルノ、周恩来、ネルー、ナセルなどが参加
1961年、ベオグラードで第1回非同盟諸国首脳会議が開催、チトー、ナセル、ネルーなどがアジアとアフリカの25か国代表が参加
以上のような経緯もあるようにインドは社会主義国家との関係を深めておりパキスタンの米国系装備に対抗してソ連製の装備を導入してきました。
またロシアとの関係を深めており1988年、インドとロシアの協力協定が調印され、その結果、インドに多数の防衛装備品が販売されています。このためパキスタンや中国との紛争を抱え軍備に隙間を作れないインドは武器の供給を絶たれる恐れのあるロシアに対して強い態度をとれないでいるのです。
かつてはインドがMig21を装備したころパキスタンはF104を装備していました。写真はパキスタンのF16とインドのSu30です。
戦争をさせないために武器の輸出をしないという考えもありますが我国が輸出しなくても武器は他国から購入できます。しかし武器の供給国になっていればそんな戦争は認められないといえば戦争を止めることもできます。なんか矛盾しているようでも事実です。現にアメリカはパキスタンがインドのMig21を撃墜した時F16が目的外に使われなかったのか調査をしています。世の中は単純なものではないですね。
Posted at 2022/06/03 23:25:39 | |
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