ついに、待ちに待ったハチロクが納車された。その前日の夜は妙に胸がざわついて眠れなかった。そしてハチロクがやってきた。それだけで長年の憧れが現実になったようで、どこか落ち着かなかった。エンジンをかけると、古い機械が目を覚ますように、少し照れくさそうにブルンと震えた。過去何度か所謂「旧車」というものを所有してきたが、改めて現代車から乗り換えて「ああ、これが旧車か」と思った。
午前中はハチロクの変えなきゃいけない部品を少しずづ変えていた。作業は終わったのでガソリンを入れに行くついでに少しだけ近所走ってみた。機嫌は上々で、アイドリングも安定していた。しばらく走っていると、ふと違和感を覚えた。「なんかケムいぞ...」と。ボンネットを開けると、そこには白い湯気がもくもくと立ち上っていた。まるで風呂上がりの老人が「まだ若いもんには負けんぞ」と息を吐いているようだった。僕は慌ててエンジンを止めた。幸い、水温計はまだ正常な位置にあった。オーバーヒートする前に気づけたのは、少しの幸運だった。
JAFを呼んで会社まで搬送してもらった。原因はヒーターバルブの手前、ホースの継ぎ目からの漏れ。ホースバンドを交換したら、あっけないほど簡単に直った。クーラントを抜いたついでにラジエーターも洗って、エア抜きして、新しいクーラントを入れて、少し達成感に浸った。「ああ、もう大丈夫だろう。これでようやく、ハチロクとの新しい日々が始まる。」そんな気がした。
やがて日も暮れ日付が変わる頃、彼女を送りに行った。ハチロクは軽快で、ちょっとした坂道も気持ちよく登っていった。助手席の彼女が、「思ってたより静かだね」と笑った。古いクルマに乗っているというより、何かを一緒に育てているような気分だった。彼女を家の近くで降ろしたとき、ふとまたあの“嫌な予感”が鼻をかすめた。
ボンネットを開けるとデジャヴのような光景。今度は別のホースからクーラントが吹き出していた。僕は思わず笑ってしまった。まるでハチロクが「まだ家には帰らないよ」と言っているみたいだった。スマートフォンでJAFを呼び、彼女と一緒にハチロクを押して住宅街を抜け、大通りまで押した。夜の空気は少し冷たくて、アスファルトの上を転がるタイヤの音が静かに響いた。
「古いクルマだし、しょーがないよ。そういうもんじゃん。」彼女は笑ってそう言った。その声がなんだかやけに温かくて、僕は少し救われた気がした。もし彼女が旧車に理解のないタイプだったら、この夜はきっと孤独だったと思う。だけど彼女は、文句ひとつ言わずに一緒に押してくれた。ハチロクを、そして僕を。
旧車というのは、きっと人間に似ている。突然機嫌を損ねたり、思い出したように調子を崩したりする。だけど、それを許せるかどうかが本当の愛情なのかもしれない。壊れたら直せばいい。文句を言っても始まらない。むしろそういう時間こそが、旧車との関係を深くしていくのだと思う。僕のハチロクは、初日からこれだ。まるで「これからよろしく」と言わんばかりに、盛大に自己主張してきた。でも不思議と腹は立たなかった。むしろ、こうして彼女と一緒にトラブルに向き合えたことが、ちょっと嬉しかった。
きっとこの先も何度も壊れるだろう。だけど、そのたびに僕は少し笑って、工具を握ったり、直したり。そしてまた彼女と並んで押す、そんなのが僕の人生なのだと思う。押して、直して、また走る。それがたぶん、旧車と生きるということなんだと。
だから、僕は思った。
一緒に壊れたクルマを押してくれる彼女は、やっぱり推せる。
押すだけに。
(——というわけで、実際にハチロクは納車初日に2回JAFの積載車に乗りました。
村上春樹風に書きましたが、全部ほんとにほんとの話です。)
Posted at 2025/10/22 17:02:55 | |
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ハチロクライフ | 日記