
今日で平成5年(1993年)1月15日(金曜日 当時は成人の日のために祝日)釧路沖地震から28年経過しました。
マグニチュード7.5と言う大きい大きい震度を記録して建造物をはじめにライフインフラの損壊が多くても死者2人と負傷者966人と人的被害は少なかったと言われている。
根釧圏と言われる釧路総合振興局をはじめとする道東地区は平成6年(1994年)10月4日に発生した北海道東方沖地震をはじめに平成15年(2003年)9月26日に発生した平成15年十勝沖地震などの地震が発生しました。
当時の避難所に対する考えはただ体育館をはじめに公民館と言った公共性の高い集合施設に寝袋と毛布を置く簡易な設計でいいと言われましたが現在では「COVID-19(SARS-CoV2)」と言われる新型コロナウイルスの発生により避難所の三密対策が問題とされているようですが今後は今までから地震だけではなく豪雨や台風などの災害時に避難所として使用される体育館をはじめに公民館だけではなく学校の教室やホテルの客室を無料提供するなど「三密」を避けた運営が課題と言えます。
釧路町に現在ではイオン釧路店となった当時の釧路ニチイ(旧ホクホー釧路店 その後の釧路サティ ポスフール釧路)の開店によって始まってバブル崩壊によって進んだ釧路市街地の衰退は炭鉱をはじめにパルプ産業と水産水揚げ量の衰退と言われていますが津波のリスクも多いことから西釧路に所在するイオンモール釧路昭和など郊外は発展して海に近い市街地は官庁をはじめに企業の事業所は所在するが商業は壊滅して令和に入り人口では十勝総合振興局の帯広市に水を上げられたと思います。
釧路は山側が栄えたことから安全性が高まっても私が多くいく苫小牧は特に柳町の方の北苫小牧が栄えていてJR室蘭本線で分断されますが海側も栄えていることから津波のリスクに対する課題もあると言えます。
半年後に発生した奥尻島を震源とする北海道東方沖地震に比べて小さいことからあまり取り上げれることは少ないですが今後も語り継ぐことと言えます。
今回の画像については本文とは関係ありませんが同時期に新車販売されたスバル(富士重工業 現SUBARU)車を取り上げます。
1枚目の画像についてはBF系レガシィツーリングワゴンが大ヒットしたBF/BC系レガシィでも1991年6月のビッグマイナーチェンジ後のモデルで平成4年度にアプライドD型1.8Mi2WD(BC2)私服用セダン型無線車(1800㏄級)として47都道府県警察本部に国費導入されて北海道警察釧路方面本部捜査課や防犯・保安課(現在の生活安全課)をはじめに釧路警察署刑事課にも導入されたと思われるスバルレガシィツーリングセダン1.8Mi4WD後期型(BC3 アプライドC型)です。

2枚目の画像については今年の9月に発売から30周年を経過する事実上の先代(AX系)とは異なり全車3ナンバー化と同時にイタルデザインを率いるジョルジェット・ジウジアーロ氏が原案を手掛けるミッド・フレームウィンドーとグラスキャノピーデザインの採用とセンターデフを有する電子制御トルク配分フルタイム4WD「VTD‐4WD」とEG33型水平対向6気筒エンジンが搭載された当時は釧路スバル自動車に最上級グレードバージョンL(CXD アプライドA型)の試乗車が導入されてたと思われるスバルアルシオーネSVXバージョンE(CXW アプライドA型と思われる)です。
Posted at 2021/01/15 14:02:15 | |
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