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Marie's Gardenのブログ一覧

2015年10月10日 イイね!

呉海軍工廠海軍技手養成所・工員養成所碑

 
 2015年10月10日(土) 曇り



 
 戦争遺跡巡り編です。
 


 呉市昭和町の『アレイからすこじま』駐車場のそばに
 海軍技手養成所跡の碑があります。
 


 海軍技手養成所は昭和三年に横須賀から移転。
 
 造船・造機・造兵の三科があり、きわめて限られた人員を対象に
 徹底した中堅技術者育成のための高度な教育が行なわれました。

 
 碑文より。
   
 海軍技手養成所ハ慶応三年横須賀ニ創立サレタル黌舎ニ始マリ
 爾後造船工学校技手練習所等名称学制ニ変遷ハアリタルモ
 何レモ日本海軍揺籃成長期ノ中堅技術者養成ヲ目的トサレ
 大正八年三月勅令第三十四号ヲ以テ
 海軍技手養成所令ガ公布セラレ校舎ヲ横須賀ニ設ケ 
 専門学校ニ準ジテ教育サルルコトトナリ
 造船造機ノ二科ヲ置キタルガ昭和三年校舎ヲ呉ニ移シ 
 海軍造兵職工講習所ヲ合併シテ
 造兵科(砲熕・水雷・電気・製鋼・航空)トシ 
 昭和十七年金属材料科機械工作科ヲ増設 
 従来ノ海軍技手養成所ヲ第一海軍技手養成所ト改称 
 航空関係ヲ分立シテ横須賀ニ第二海軍技手養成所ヲ設ケテ
 機体発動機兵器材料ノ四科ヲ置キ 
 昭和十八年ニハ燃料関係トシテ大船ニ
 第三海軍技手養成所ヲ新設セラルルモ 
 昭和二十年八月終戦ヲ迎ヘ第一海軍技手養成所ハ
 第二十四期生第二海軍技手養成所ハ
 第四期生ノ卒業ト共ニ此等ハ凡テ廃所トナレリ 
 然リト難モ黌舎以来ノ卒業生一、七八三名 
 何レモ日本海軍ノ艦船兵器航空機ノ造修ニ於ケル
 中堅指導者トシテ輝カシキ事績ヲ挙ゲ 
 戦後ハ各界ニ進出シテソノ復興ニ
 多大ノ貢献ヲ為シタリ戦後五十年ヲ機トシ
 今茲ニ同窓生有志相計リ校舎跡ヲ望ム
 此の地ニ本碑ヲ建立 
 先輩諸兄ノ功績ヲ偲ブト共ニ同窓ノ心ヲ結ブ絆トシテ 
 後世ニ海軍技手養成所ノ名ヲ刻シ 
 自ラヲ工士ト称セシ稔持ヲ伝フト言フ

  平成八年十一月
  海軍技手養成所同窓会






 呉海軍工廠職工教習所・工員養成所跡地記念碑。
 


 職工教習所(後に工員養成所)は大正七年に設立され
 優秀な小学校卒業生の中から選抜されました。
 

 普通の中学へ入るより難関で、
 競争率は7倍強だったといわれています。
 
 敗戦までに約二万名が卒業し、生徒は見習工と呼ばれ
 中堅工員要員として教育されました。




 碑文より。
 
 大正七年(一九一八年)呉海軍工廠は
 中国、四国地方の小学校高等科二年卒業生より、
 厳重な試験により、優秀者を採用し、
 中堅工員養成の目的でこの地に
 職工教習所(後に工員養成所を開校し、
 終戦(昭和二十年)までの二十七年間に
 約二万名の卒業生を送り出した。
 この生徒は一般には見習工と云われ、羨望の的であった。

 三年間の本科選ばれて補修科更に
 全国の工廠からの技手養成所等への道を設けられ
 名実共に工廠を担う者となった。
 当時の軍隊に入営した者、
 又一般社会人としても優秀者指導者として活躍し
 広く見習工出身との見習工出身との名声を高めた。

 昭和十三年には、海軍工作科
 予備補習生(一般に工作兵と呼ぶ)制度が設けられ
 他への流出を阻止されたこともうなずけるものであった。
 学校は小さく期間は短かかったが
 我々に多く教訓を与えてくれたことに感謝する。

 戦後、その精神、知識、技術は各方面に発揮され
 日本復興と発展に大きく寄与されたことは広く認められた。
 
 しかし、戦争に多くの学友が国難に殉じたことは
 惜しみても余りあり、決して忘れてはならない。

 ここに同窓会より基金を募り、呉市の協力を得て
 懐しのこの地に思い出と功績を偲び記念にこの碑を建立した。

  平成十年五月吉日 同窓会


 




 



Posted at 2015/10/10 11:54:50 | トラックバック(0) | 戦争遺跡巡り | 日記
2015年09月28日 イイね!

アレイからすこじま

 
 2015年9月28日(火) 晴れ




 戦争遺跡巡り編です。
 


 呉市昭和町の『アレイからすこじま』に訪れました。
 

 


 国内で唯一、現役の潜水艦を
 


 間近で見ることができる公園で、
 


 海上自衛隊の潜水艦と護衛艦が錨を下ろしています。
 


 この日は日曜日でたくさんの潜水艦を見ることができました。 
 



 すぐそばには、ASR-403潜水艦救難艦ちはや。
 


 潜水艦の乗員を救助するための救難艦です。 
 
 平成13年にはハワイ沖で米原潜と衝突し沈没した
 愛媛県立宇和島水産高校の漁業実習船
 『えひめ丸』の引き上げ作業も支援しています。
 

 奥には、護衛艦が複数見えます。
 




 旧海軍が使用した魚雷積載用クレーン。
 


 潜水艦に魚雷を積み込むのに使われた4トンクレーンです。
 


 空襲では奇跡的に破壊されずに残ったもので
 


 戦後もしばらく稼働していたそうです。
 


 今はモニュメントとして保存されています。
 

 

 



 翌日の午前中にも訪れてみました。
 


 乗組員の方と比較するとその大きさがわかります。
 
 


 
DE-229護衛艦あぶくま

 


 AOS-5202音響測定艦はりま
 
 



 道路向かいの煉瓦造の建物は
 


 旧呉海軍工廠の中心部で、
 


 工廠本部や電気部、製鋼部、水雷部などが並び、
 


 現在もレンガ造の建物が多く残っています。
 


 今は民間会社が倉庫として使用しています。
 
 



 ◇アクセス
  ・所在地:呉市宮原5丁目
  ・入園料:無料
  ・駐車場:無料・普通車41台
  ・問い合せ先:呉市観光振興課
  ・TEL:0823-25-3309
  ・交通:広電バス『潜水隊前』バス停下車、徒歩約1分







Posted at 2015/09/28 22:30:46 | トラックバック(0) | 戦争遺跡巡り | 日記
2015年09月25日 イイね!

歴史の見える丘

 
 2015年9月25日(金) 晴れ




 戦争遺跡巡り編です。


 呉市宮原の『歴史の見える丘』に訪れました。
 

 軍港都市から平和産業都市としての道を歩んだ、
 明治以降の呉の歴史が一望できる場所として、
 1982(昭和57)年に完成しました。




 噫戦艦大和之塔。
 
 戦艦大和を建造した旧呉海軍工廠を望むこの地に、
 1969(昭和44)年の第30回大和進水日(8月8日)を
 記念して呉大和会により建てられました。


 大和の艦橋をかたどった塔になっています。
 

 


 左には戦艦長門主砲徹甲弾。
 


 右には戦艦大和主砲徹甲弾。
 


 大和新造当時の主要要目表。
 


 戦艦大和艦戦歴表。
 




 旧呉海軍工廠礎石記念塔。
 

 


 昭和57年に残存していた旧呉海軍工廠の
 礎石を集めて建てたもの。
 


 レンガは旧海軍呉鎮守府開庁当時の庁舎建材です。 
 




 目の前にはジャパンマリンユナイテッド呉事業所の
 ドックを見ることができます。
 


 ここは呉海軍工廠の造船部門のあったところで
 戦艦大和が建造された日本一の海軍工廠でした。
 


 左側の一段高い屋根は大和建造中に
 秘匿のためにつくられた屋根の一部です。
 




 ◇アクセス
  ・所在地:呉市宮原5丁目
  ・駐車場:無し
  ・問い合せ先:呉市観光振興課
  ・TEL:0823-25-3309
  ・交通:広電バス「子規句碑前」バス停下車、徒歩約1分









Posted at 2015/09/25 18:27:58 | トラックバック(0) | 戦争遺跡巡り | 日記
2015年09月22日 イイね!

特殊潜航艇『海龍』

 
 2015年9月22日(火) 晴れ




 大和ミュージアムの1F大型資料展示室で
 特殊潜航艇『海龍』を見学しました。
 

 



 海龍(かいりゅう)は、大日本帝国海軍の
  


 特殊潜航艇の一種で、敵艦に対して魚雷もしくは
 


 体当りにより攻撃を行う二人乗りの
  


 有翼特殊潜航艇・水中特攻兵器です。
 



 水中を飛行機のように自由に
 

 


 潜航浮上することを目指して開発されたもので
 


 操縦装置も飛行機と同じものを使用していました。
  



 呉海軍工廠などでは潜航実験や研究・開発が行われ
 横須賀海軍工廠と海軍工作学校を中心に建造されました。
 


 
 ・全幅:3.5m
 ・排水量:水中19.3t
 ・最大速度:水上6.5kt、水中10kt
 ・水中航続距離:69km(37.5海里)/5kt
 ・水上航続距離:832.5km(450海里)/3kt
 ・兵装:外装式53cm魚雷×2もしくは爆薬600kg
 



 戦後、進駐してきたアメリカ軍に鹵獲された『海龍』。
 


 後期量産型では艇首に600kgの炸薬を装備し
 両脇に抱えた魚雷発射後、目標の艦艇に突入する
 『水中特攻兵器』となっていました。
 


 展示されている『海龍』は1945(昭和20)年
 静岡県網代湾で艇尾部にアメリカ海軍航空機の
 


 ロケット弾(不発弾)の直撃を受けて沈没し
 1978(昭和53)年5月27日に引き揚げられたものです。
 

 

 




 




Posted at 2015/09/22 18:17:53 | トラックバック(0) | 戦争遺跡巡り | 日記
2015年09月21日 イイね!

零式艦上戦闘機六二型

 
 2015年9月21日(月) 晴れ




 広島県呉市に行って来ました。
 



 昨年のリベンジで再び『大和ミュージアム』へ。
 


 大和ミュージアムメイン展示の10分の1スケールの戦艦『大和』。
 


 日本の持てる技術を最大限投入されて、
 


 建造された戦艦『大和』は、一九四〇(昭和十五)年に進水。
 


 全長263.0m、全幅38.9m、満載排水量は72,800tとされ、
 150,000馬力の蒸気タービンで最高速度約27.3ノットを出した。
 


 当時世界最大の戦艦であり、乗員数は3,300人でした。
 


 全長が263.0mあるからこの大きな模型も全長26.3mあります。
 






 零式艦上戦闘機六二型。
 


 この零戦は、明治基地第210海軍航空隊の所属機で、
 昭和二十年八月六日夕刻、
 


 吾妻常雄海軍中尉が操縦飛行中、
 エンジントラブルにより琵琶湖に不時着水したもので、
 


 一九七八年(昭和五十三)年一月に
 引き揚げられた零戦です。
 
 機体の修復は、吾妻氏ご本人の協力を得て行われました。



 主翼には20mm機関砲(内側)と13mm機銃(外側)です。
 


 エンジンは14気筒、2in1ということで
 右側4本、左側3本の排気管となっています。
 


 機体の日の丸には白色の縁取りがありません。





 零戦六二型の大きな特徴は胴体中央下部に
 250kg爆弾が搭載可能になったところです。



 爆撃機不足のため、爆撃任務にも耐えられるように
 改良されたともありますが、大戦末期の頃には



 特攻などがさかんになってきた頃だったために
 特攻向けであった零戦ともいわれています。
 
 零式艦上戦闘機では国内唯一の六二型です。






 現在大和ミュージアムでは企画展、
 日米最後の戦艦展『戦艦大和とミズーリ』が開催されています。
 
 


 大和ミュージアム
 ・所在地:広島県呉市 宝町5番20号
 ・営業時間:9:00~18:00
 ・定休日:火曜日(祝日の場合は翌日休館)
 ・料金:一般500円、高校生300円、小中学生200円
 ・アクセス:JR呉駅から徒歩約5分
 ※詳しくは こちらへ。










Posted at 2015/09/21 12:40:30 | トラックバック(0) | 戦争遺跡巡り | 日記

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