• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

Marie's Gardenのブログ一覧

2015年09月06日 イイね!

櫻山招魂社

 
 2015年9月6日(日) 雨




 山口県下関市の『桜山神社』に訪れました。
 

  



 元治元年(1864)年1月、高杉晋作の発議によって
 


 創建された招魂場で慶応元年(1865)年8月には
 


 社殿も造営され招魂場としては
 


 日本で最初のものといわれています。
 






 社殿の裏に招魂場があります。
 
 明治維新で散った志士たち396柱がここに祀られています。


 中央に吉田松陰、両側には高杉晋作、久坂玄端が並び
 無名の志士も当時の身分制度に関わらず平等に祀られています。
 
 墓石の大きさはどれも同じで、命の平等さを尊重する思想が伺えます。


 戦死した兵士 ひとりひとりを、「神(隠り身 かくりみ)」として祀る
 「招魂場」の発想は、のちに東京九段下の靖国神社へと
 受け継がれていくことになったといわれていいます。

 整然と立ち並ぶ霊標の姿は、
 奇兵隊における武士、町人の身分制度を越えた
 新しい時代への理念を伝えています。
 



 ここは奇兵隊の調練場でもあったそうで、
 招魂場になって以後、桜が植えられたことから
 桜山と呼ばれるようになりました。
 



 今年は創建150年ということで、
 今月、創建記念大祭が執り行われるようです。
  

   →→→桜山神社公式サイト。










Posted at 2015/09/06 18:11:11 | トラックバック(0) | 戦争遺跡巡り | 日記
2015年09月03日 イイね!

松山海軍航空隊跡碑 その②

 
 2015年9月3日(木) 晴れ




 戦争遺跡巡り四国編です。



 前回のその①に続き続編です。

 松山海軍航空隊の遺構を探索してみました。



 松山海軍航空隊跡碑。
 
 松山海軍航空隊 略史

 ・昭和18年10月1日開隊。甲飛第13期入隊。
 ・昭和19年3月15日宇和島分遣隊発足。
 ・昭和19年4月1日甲飛第14期入隊。
 ・昭和19年9月1日卒業生の飛行練習課程凍結。
 ・昭和19年9月15日甲飛第15期入隊。
 ・昭和19年11月1日甲飛第14期の一部、浦戸海軍航空隊へ転出。
 ・昭和19年12月1日乙飛第24期の一部入隊(最後の乙飛)。
 ・昭和20年3月1日宇和島分遣隊、独立して宇和島海軍航空隊発足。
 ・昭和20年4月1日甲飛第16期入隊。
 ・昭和20年6月1日予科練教育凍結。
 ・昭和20年7月15日解隊。
 




 松山海軍航空隊跡碑文。
 
 茲は松山海軍航空隊跡地なり 
 大東亜戦争中この地に海軍飛行予科練習生あり 
 搭乗員たらんとして日夜厳しき教育と訓練に耐へ 
 必勝の信念を以て敵に当らんとこの門を出ず

 時に戦雲愈々急を告げ 
 米軍の侵攻本土決戦の様相を呈す
 遂に隊員尽く一死以て国に報いんと 
 ある者は特攻隊員に 
 ある者は沿岸防備要員と 
 隊を去り国難に殉ぜんとす

 終戦、幾星霜往時の姿すでに無しとは言へこの地
 松山海軍航空隊は我等予科練の夢の跡也
 以て隊跡碑を建立す
 
 平成十三年六月一日再建立
      松山空甲飛十四期会
      世話人 愛媛松空会
            熊本松空会
 
 松山空施設は終戦後、占領軍の宿営地として
 一時期使用され、海軍から大蔵省へ移管された後、
 大半が松山市に売却されました。
 松山市は臨海工業用地として大阪曹達や帝人を誘致しました。



 道路の突当りには帝人松山工場が見えます。
 



 帝人の工場は松山海軍航空隊があった場所に
 建設されているのでこの石碑が建立されました。
 



  ◇松山海軍航空隊跡碑
  ◇松山市北吉田町1055-2









Posted at 2015/09/03 22:01:59 | トラックバック(0) | 戦争遺跡巡り | 日記
2015年08月29日 イイね!

宇和島海軍航空隊

 
 2015年8月29日(土) 雨



 戦争遺跡巡り宇和島編です。

 市内の西にある坂下津産業団地へ訪れました。
 



 宇和島海軍航空隊跡の碑。
 


 
 宇和島海軍航空隊。
 昭和十九年三月一日、宇和島海軍航空隊の前身、
 松山海軍航空隊の宇和島分遣隊として設置。
 奈良、高野山、西宮、宝塚とともに開隊した、
 予科練最後の練習航空隊のひとつです。
 
 昭和二十年三月、宇和島海軍航空隊開隊。
 甲種飛行予科練習生十三期が配属され教育を開始。
 同期は、六月一日予科練教程を終了し、
 上海空・青島空・徳島空(偵察)等に転隊。

 六月一日甲種飛行予科練習生十四期1,900名が
 九月一日には600名が松山海軍航空隊から転隊。

 その後甲飛十五期・甲飛十六期がここで予科練訓練を受け
 昭和二十年三月一日、分遣隊が独立して
 宇和島海軍航空隊となったが、戦況の悪化により
 五月三十一日には予科練は教育中止となり
 練習生は水中・水上特攻要員や陸戦隊員など、
 さまざまな部隊に配属され本土決戦に備えた。







 記念之譜碑文。
 
 太平洋戦争熾烈の秋 我等海軍甲飛十四期生は
 此の地にて猛訓練に励み飛翔の機を待ちたり
 爾来三十有余年 往時を偲びて感無量なり 
 平和の世にあるを謝し 我等の青春の譜を功銘せんとす
 因って隊跡に碑を建て 亡き同期の桜の冥福を念じ 
 祖国の弥栄を祈るものなり

 昭和54年3月11日 建之  
 元宇和島海軍航空隊第14期
 甲種飛行予科練習生有志一同
 



 終戦間際の昭和二十年八月八日、宇和島海軍航空隊に
 総重量約4,800kgの爆弾が投下され予科練生等十八人が爆死。




 宇和島海軍航空隊跡の碑。
 場所は宇和島水産高校の対岸になります。
 











Posted at 2015/08/29 23:05:24 | トラックバック(0) | 戦争遺跡巡り | 日記
2015年08月18日 イイね!

幻の特攻基地

 
 2015年8月18日(火) 晴れ
 




 鹿児島県南さつま市の
 万世特攻平和祈念館に訪れました。
 

 

 日本三大砂丘の吹上浜に、
 昭和十八年夏から十九年末にかけて
 

 陸軍最後の飛行場、
 『万世陸軍航空基地』が建設されました。
 

 この万世飛行場は終戦間際のわずか
 四ヶ月しか使われなかったので
 『幻の特攻基地』といわれています。
 
 当時の遺品や関係資料を、
 特攻隊員が最後の地となったこの地に展示し、
 これらの遺品、記録を後世に残し、
 恒久の平和を祈念するように建てられたのが当祈念館です。






 館内には吹上浜沖から引き揚げられた、
 日本にただ一機の『零式三座水上偵察機』が展示されています。
 

 

 十二試三座水上偵察機として愛知航空機により開発され
 昭和十五年十二月に日本海軍に兵器採用された水上偵察機。
 
 零式三座水上偵察機諸元
 ・乗員:3名
 ・全長:11.49m
 ・全高: 4.70m
 ・翼幅:14.50m
 ・総重量:3,350kg
 ・動力:三菱金星43型空冷式複列星型エンジン14気筒
 ・出力:1,080馬力
 ・最大速度:367km/h
 ・航続距離:最大3,326km
 ・実用上昇限度:7,950 m
 ・武装:7.7mm機関銃×1
 ・爆弾:60kg爆弾×4または250kg爆弾×1



 この機体は第六三六海軍航空隊・偵察三〇二飛行隊の所属機で、
 昭和二十年六月四日福岡の玄海基地から 
 
 
 沖縄方面の夜間索敵のため発進し、
 帰途に敵機の追撃を受け応戦し、
 

 燃料切れで吹上浜沖に不時着、
 塔乗員三名は田布施海岸に泳ぎ着いたそうです。 
 

 五十年近く海の底に眠っていましたが、
 平成四年八月に吹上浜沖から引き揚げられました。
  
 





 知覧特攻平和会館でも有名な子犬を抱く特攻隊員の写真は、
 じつは万世の飛行場で撮られたものです。
 
 昭和二十年五月二十六日に撮影されたもので
 翌日早朝この若き特攻隊員の方々は
 南方へと出撃され、帰らぬ人となりました。
 



 万世の飛行場からは
 十七歳の少年飛行兵を含め、
 二百一人の特攻隊員が
 

 『祖国を護るため』を合言葉に、
 
 沖縄の空に飛び立っていきました。
 


 特攻隊員には遺骨はありません。
 しかし、この世に書き残した遺書があります。
 

 死を間近に控えた隊員たちが肉親、
 愛する人達へ宛てた最後のメッセージ、
 
 その『至純の心』を綴った『血書』や遺品、
 遺書などが多数展示されています。






 祈念館の外観は、パイロットが生まれて初めて飛んだ
 練習機『赤とんぼ』の複葉型を模し、
 

 大屋根には平和を祈る合掌をイメージした
 大空に憧れの『複葉合掌型』の形をしています。
 


 萬世陸軍戦没者慰霊碑
 

 


 碑文

 昭和十九年太平洋戦争の戦局はとみに悪化し
 すでに決定的段階を迎えんとしていた。

 ここ加世田市吹上浜の地に、戦勢転換の神機を期すべく
 地元民学徒ら軍民一致の協力によって、
 本土防衛沖縄決戦の基地万世飛行場が建設された。

 昭和二十年三月二十九日より終戦に至るまで、
 陸軍特別攻撃隊の諸隊、飛行第六十六戦隊、
 飛行第五十五戦隊の若き勇士たちは祖国護持の礎たらんと、
 この地より雲表の彼方へと飛び去った、一機また一機と。

 征きて帰ざるものあまた、あるいは空中に散華。
 あるいは自爆、壮烈にして悲絶。
 その殉国の至誠は鬼神もこれに哭するであろう。

 終戦以来幾星霜、ここに祖国はその輝かしき復興をとげた。
 われら生き残りたるものと心ある人々は
 英霊の魂魄を鎮め、その偉勲を称えんがために、ここにこれを建立する。

  昭和四十七年五月二十九日
 

 




 慰霊碑は昭和四十七年に特攻隊の慰霊顕彰を目的に建立され
 旧町名『万世』をも意味する『よろずよに』と刻銘されています。
 
 慰霊碑自体は沖縄の方角を向いていますが
 慰霊碑の中の特攻隊員が東の方向を向いているのは
 再会を誓った九段の方角なんだそうです。


 平和な現代に生きる私たちにとって
 想像もできない時代。
 
 
 その中で『特攻』という悲劇があったことを
 私たちは忘れてはいけません。
 
 彼らの尊い犠牲の上に
   今の平和があるのだから。。。 






 ----------------------------------------------------
  万世特攻平和記念館 
   鹿児島県南さつま市加世田高橋1955-3
   大人300円 小人200円
   9:00~16:30(閉館17:00)
   無休(12月31日~翌1月1日休)
 ----------------------------------------------------

 



Posted at 2015/08/18 22:19:55 | トラックバック(0) | 戦争遺跡巡り | 日記
2015年07月24日 イイね!

紫電改展示館

 
 2015年7月24日(金) 晴れ




 戦争遺跡巡り、四国愛南編です。
 



 訪れたのは『紫電改展示館』。
 



 紫電改(紫電二一型)
 
  ・全長  9.34m
  ・主翼  11.99m
  ・高さ   3.96m
  ・時速  620km
  ・装備重量 4860kg
  ・エンジン  2000馬力
  ・武装    20mm固定銃4挺
  ・爆装    60kg爆弾4発、250kg爆弾2発
 
 『紫電改』は零戦に代わる新鋭機として
 終戦間近に開発され、海軍航空の
 優秀な戦闘機だったと言われています。

 


 昭和五十三年十一月、愛媛県南宇和郡城辺町久良湾の
 海底41mに原型のまま沈んでいるのを
 
 地元ダイバーによって発見され翌年七月十四日
 
 愛媛県により実に三十四年ぶりに
 地上へと引き揚げられました。
 

 


 引き上げられた『紫電改』は
 旧海軍三四三航空隊に所属し
 

 

 
 終戦間近い昭和二十年七月二十四日
 豊後水道上空で米軍機と交戦した内の
 一機と言われています。
 

 

 その日土佐沖に進攻してきた敵機動部隊艦載機
 戦爆連合約二百機が、呉・広島方面攻撃に来襲しました。

 これを迎撃するために大村基地から鷲淵大尉の指揮する
 『紫電改』二十一機が発進、宇和海上空で

 三倍の敵機と交戦し、わずか十分たらずで
 十六機の敵機を撃墜しました。

 しかしこの交戦で六機が未帰還となりました。
 
 展示館で展示されている機体は
 そのうちの一機と見られる『紫電改』です。


 
 引き揚げ当時、機体の操縦席に遺骨や遺留品はなく
 機体番号も長年の腐食により読み取ることができず

 六名のうち誰が搭乗していたのかは
 残念ながら判明しませんでした。
 



 この日戦死されたのは343空の六機の搭乗員。
  
  海軍大尉   鴛淵  孝(25歳) 長崎県出身
  海軍少尉   武藤金義(29歳) 愛知県出身
  海軍上飛曹  初島二郎(22歳) 和歌山県出身
  海軍上飛曹  米田伸也(21歳) 熊本県出身
  海軍一飛曹  溝口憲心(21歳) 広島県出身
  海軍二飛曹  今井  進(20歳) 群馬県出身
  



 水中墜落でプロペラが4枚とも内側に
 90度に曲がっていることから
 
 高度な操縦技術を持ったパイロットにより
 海面上に不時着したと考えられます。
 



 引き揚げられた機体は全面フジツボに覆われ
 破損した部分もありましたが、遺族の
 
 「なるべく引き揚げたままの状態で保存していただきたい」
 との要望を受けて、最低限の補修と防錆塗装が施され
 ここに永久保存されました。
 



 『紫電改』は零戦に代わる新鋭機として
 終戦間近に開発され海軍のもっとも優れた
 戦闘機だったと言われています。
 



 現存する『紫電改』は世界に4機で
 日本では唯一機残存します。
 



 日本海軍最後の切り札とも言うべき
 最強戦闘機『紫電改』は久良湾が一望できる
 
 南レク馬瀬山公園で、終焉の地へ機首を向けて
 永久保存されています。
 

 



 紫電改展示館、入場無料となっています。
 
 






Posted at 2015/07/24 18:08:57 | トラックバック(0) | 戦争遺跡巡り | 日記

プロフィール

「4年ぶりの。。。 http://cvw.jp/b/346326/40723817/
何シテル?   11/17 14:21
愛車紹介ではガーデニングをテーマにした『FLOWER&GARDEN』のページや戦争遺跡・近代化産業遺産などの史跡巡りのページをUPしてます。 『おすすめス...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/6 >>

1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     

リンク・クリップ

TANABE SSR Professor SP4R 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2019/02/09 11:53:02
DEPO US サイドマーカー 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2018/12/17 17:54:11
KYO-EI / 協永産業 ワイドトレッドスペーサー 25mm 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2018/12/13 18:44:19

愛車一覧

マツダ ロードスター マツダ ロードスター
ロードスター RS RHTに乗っています。
その他 その他 巡視船巡り (その他 その他)
海上保安庁巡視船艇、海上自衛隊艦艇船舶等のフォトギャラリーコーナー♪
その他 その他 戦争遺跡巡り (その他 その他)
戦争の『生き証人』である戦争遺跡が語りかける平和の尊さと悲惨さ。 人の記憶は失われても、 ...
その他 その他 ガーデニング (その他 その他)
我が家の『FLOWER&GARDEN』のページです。 緑と触れ合う暮らし、そこに生まれ ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation