戦跡巡り◇故海軍一等飛行兵曹 久世龍郎君之碑
投稿日 : 2013年04月21日
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2012年8月18日(土) 晴れ
終戦一週間前の昭和二十年八月八日、北九州北部に来襲した米軍機と空中戦の末、戦死した久世龍郎海軍一等飛行兵曹(三重県津市出身)の慰霊碑に訪れました。
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戦時中、飯塚市は空襲自体は免れましたが、北九州市(八幡・小倉等)の空襲に向う米軍機が上空を飛び交いました。
第三四三海軍航空隊所属の久世一等飛行兵曹は、この八幡市街の空襲に向かうB29重爆撃機の大編隊を迎え撃つため、長崎大村基地を海軍局地戦闘機紫電改にて単機出撃。
飯塚市の上空で交戦しましたが、空中戦を繰り広げた末に撃墜されこの地に墜落し壮烈な戦死を遂げました。
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久世一等飛行兵曹は戦死時、若干18才の若者であり、墜落地点に駆け付けた付近の人々の涙をさそいました。
その後、久世一等飛行兵曹の死を悼んだ墜落地点にお住まいの住民の方々が板の墓標を立て菩提を弔いまいた。
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碑文より
維時昭和二十年八月八日 世界第二次大戦末期 米軍戦爆連合大編隊北九州に飛襲せし時 第三四三海軍航空隊所属一等兵曹 久世龍郎(三重県津市出身)は 若干十八才の身を以って 単機大村基地を発進 鯰田上空にて敢然敵大編隊に突入し熾烈なる空中戦を交え この地にて 國土防衛に殉じた 依って茲に石に刻み彼の霊を弔うと共に世界の平和を祈念する
昭和四十八年十二月 三菱鉱業セメント株式会社
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昭和三十六年から飯塚市内の海軍OBらが墓標の前で慰霊祭を始め、昭和四十八年には地元企業などの協力により墓標を石碑に建て替えられました。
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『三四三空隊誌』より
紅顔可憐な少年でした。散髪屋で頭の上に長い毛を残して『分隊長これは長生きに通じるまじないです』といって大笑いしました。
茶目で美少年で、頭の切れる人柄は、飛行隊全員に可愛がられました。
八月八日壮烈な戦死を遂げました。
しかしあなたの雄々しい尽忠の精神と、純真に生きた一生は、私には忘れられない印象です。どうか故郷の森で安らかにお眠り下さい。
ご冥福を祈ります。
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場所は飯塚オートレース場そばになります。
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慰霊碑の向かいには碑建立に協力されたセメント会社があります。
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