もし自分が開発スタッフだったら、こんなこと考えるんじゃないだろうか?
レーシングカー等、個人の好みにセッティングできる車両は問題ないのだが、市販車はどうしても想定するターゲット上の万人向けに作り込まねばならない。
公道上でのテストは限られた事しか出来ず、評論家や購入者が犯す無茶を、一般走行車に混じって公道上で試す訳にはいかない。
必然的にテストの主戦場はテストコースやサーキットになる。
そんな制限された条件の中で、数十種類のパーツ同士を、数千通りの組み合わせの中から選定していく。 コスト上の制限、量産性、安全保証もある中、気の遠くなりそうな作業だろう。
公道上を走る市販車に万人に完璧な車など
ある訳が無い。
耐久力が数時間もてば良い、レーシングカーとは訳が違う。
数十万キロ、数年間の保証を謳わなければならない。
アフターマーケット・パーツ等とは耐久力マージンの設定がそもそも違う。
出来るものなら、代わりにやってごらん、と開発スタッフは言いたいのではないだろうか?
一方ドライビング・スタイルも各人各様だ。
そのため当然評価も分かれる。
目を瞑(つぶ)れる所、気になる所はみな違う。
普通に生活していても、気が付くところはそれぞれ違う筈だ。
どうしてキッチンの○○が・・・とか、○○はこうあらねばならない。
・・・と言われても、気にならない人にはどうでも良い事だ。
気が付く人が偉い訳でもなく、知らず内に困難を乗り越え対処してしまう人の方が凄い場合もあるのかも知れない(?)
私を含め、日本人は情報(他人の評価)に過敏すぎる。
誤解を恐れず敢えて言えば、花粉症みたいなものだ。
同じ場所に暮らす万人に、同量の花粉(情報)がもたらされている筈だ。
それに体が反応し続ければ苦難になってしまう。
体が反応しないなら、それは別に問題ではない。
花粉(情報)に反応しないのは、鈍い、異常だ、と言われる筋合いも無いのだ。
評論家(他人)の評価に洗脳されず、自分の好みに正直に感じ取ったまま、気に入らなければ、耐久性のリスクを自分で背負って自分好みに改善していけば良い。
買い替えの難しい高価な耐久財など、どうしても一過性にすぎない(?)自分の評価を決められず、経験者の言うことを鵜呑みにしてしまいがちだ。
大丈夫、後から重箱の隅を突くような所が気になりだしても、本来そこは大して重要なことではない筈だ。
自分の経験、好みを信じて、全霊を注ぎ込み試乗をしよう。
その時感じた相性が80%、この世に完璧はありえない!
後は自分を慣らすか、車を改良(改悪?)すれば良い。
対価に見合う買い物かどうかを真剣に悩んで決断すれば良いんじゃない?
あっ、でも・・・他人の評価が(自分の評価より)ずっと重要と考えている方は、真剣に情報集めて下さい(ちょっとイヤミみたい?)
Posted at 2008/03/06 14:11:09 | |
トラックバック(0) |
IS F | クルマ