
なんだか名探偵コナンの映画のようなサブタイトルをつけてしまったがご容赦を。
若かりし頃の与太話を御笑覧いただければ幸いです。
大雪の降る夜、喜多方の友人宅を発ち、自宅への帰路についていた。まず目指すは郡山である。当初は会津若松インターから磐越道を使うつもりだったが、あいにく大雪で通行止め。並行する国道49号線を使わざるを得なくなった。
実を言うと、この日が人生初の雪道運転であった。昼間、少しだけ積雪路を走る機会があり、まあ何とかなるだろうと思っていた。しかし、想像をはるかに超える、過酷な試練が待ち受けていた。
会津若松市街を抜けた途端、周囲が漆黒の闇に覆われたのである。子供のころから都会で育った自分にとっては経験のない暗さだった。そして、その中に降り注ぐ大粒の雪。この雪が容赦なく視界を奪っていく。自分の前には一台のクルマが走っていたが、そのテールランプが辛うじて確認できるくらいのレベルで、この状況で郡山まで向かうのか…と絶望的な気分にさせられた。
猪苗代に近づくにつれ、雪の粒はどんどん大きくなってきた。右も左も暗闇に覆われ、確認できるのはおぼろげに光る先行車のテールランプのみ。
路肩もセンターラインも判別できない状況で、仮に前のクルマが曲がってしまったら万事休す!である。
「頼む…頼むから郡山までは消えないでくれ」
まさに眼前に揺れる赤い光こそが唯一の命綱であった。
さらに、車内には自分以外誰もいないという孤独感が心理状態の悪化に追い打ちをかけた。誰か一人でも助手席にいてくれれば気も紛れただろうが、自分以外に頼れる者はいない。しかも雪道経験ゼロというおまけ付きだ。
まさに孤立無援ともいえる状況で、孤独感と無事にたどり着けるかという不安が波のように押し寄せ、本当に押しつぶされそうだった。
先行車とのランデブーは上戸浜、中山峠を過ぎても続いた。極限の状態が続く中で、赤いテールランプはまさに暗闇を照らす唯一の希望であった。その存在はまるで神様が遣わしてくれた一筋の光のようにも感じられた。
磐梯熱海が近づいた頃、ようやく雪が弱まり、視界が十分確保できるまでに落ち着いてきた。すると、まるで役目を終えたかのように、先行車は右折して視界からその姿を消したのである。ここまで導いてくれた恩に対し、何度も何度も感謝の言葉を繰り返した。
郡山に無事到着したときの安ど感は今でも忘れられない。クルマを停めてタバコに火をつけたときに、張りつめていた緊張が一気に緩んでいくのを感じた。視界不良、孤独、運転技量の不足…自分を縛っていたすべてのものが消えた瞬間だった。
次の日、喜多方の友人から「雪がメチャクチャ積もった」との連絡が来た。私をあれほど苦しめた雪は猪苗代だけでは飽き足らず、会津全体を覆いつくしたようだった。彼に昨夜の顛末を詳しく話すと、少し間を置いてから「猪苗代の天候には気を付けた方がいいよ。特に冬は本当に怖いんだよ…」と、しみじみとつぶやいていた。その言葉の通り、後日、私は猪苗代からスピン事故という手痛いしっぺ返しを受けることになるのだが…。
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2025/05/10 00:11:27