2024年03月26日
一年前
今年に入って、不思議なことに、夜の闇がなんとなく恐ろしく感じることが幾度となくあった。
それは、去年の今時分を思い起こすからだと思う。
去年の2月は酷かった。
1か月間、一日も欠かすことなく日に数度は40度くらいの高熱が出た。
検温の度に主に点滴で解熱剤が打たされた。
今、思い返せば、まあ、生死の境目に居た訳である。
抗がん剤以外に、多種多様な抗生剤と、食事がほぼ出来ないから栄養剤など、一日に数度は必要とされる解熱剤の点滴を含めると毎日30本くらいの点滴を打たされていた。
たこ足配線というのがあるが、たこ足点滴ラインとでも形容した方がいいだろう状態で、右手も左手も腕の欠陥が硬化して色々と大変だった。
血管の痛みがひどく、血小板の輸血や抗がん剤の点滴が漏れた事故も体験した。
あれから1年。
いま、やみあがりおっさんと自称し、呑気に車弄りをしながら、ある意味、余生を生きている。
生きる意味を模索しながら、一進一退の体調不良をあまり気にしないように、単に生きている。
同時期に読んでいた同病の闘病ブログ主は、半数くらい亡くなった。
悲観的になるのは、自身にも周囲にも良くない。
だから、今は、あまり将来を考えないでいる。
刹那に生きているというのとは、少し違うのかも知れないが、先を考えないで、ただ時間が過ぎていくという感じだ。
もっとも普通に長生きするという感じもない。
自分の病気タイプだと、容体が悪化すると2か月で死の淵を覗く羽目になる。
だから、油断は出来ないのだが、今は毎月のように医師に監視してもらっているから即死はなさそうである。
だが、数年から5年程度か?と暫定的に寿命を限定しているのは確かだ。
生きていることは働くことだと自認していたから、働かずに生きるのもしのびない。
退院しても寝たきりで、通院も妻依存だったのだが、ティーダという車と巡り合って、予想に反して元気になった。
クルマというものは、単なる機械ではあるのだが、時として人との関係においては、不思議な濃密さがあるように思う。オーディオを弄ってからは特にその関係性が良好で、不思議な愛着が湧いている。
そのせいか、眠れない時は、深夜のドライブに出かけることがある。
心配そうな表情は見せるものの、妻は気持ちよく送り出してくれる。
(わがままが許されている)
そして、おっさんは・・・・・・
目的地も無く、意味の無い深夜のドライブを堪能する。
彷徨というよりは 徘徊に近いのだろうが。
意味もなく走ることは、意味もない時間を生きている自分に、妙にマッチする。
そして、ゆっくりとではあるが、次なる進展が訪れることを期待している。
いま、チャレンジしようとしていることは、何等かの仕事復帰である。
現状の体調ではデスクワークは可能なので、副業とてい以前していたパソコンを使った業務は出来ている。
しかし、本業は肉体労働なので、そこにどうやって戻れるかを考えている。
少し動くと身体が簡単に悲鳴を上げるので、焦らず取り組みたいのではあるが。
これは、簡単ではない。
とっちらかった人生を歩んできた私は、抱えているものが多い。
終活としてやるべきことも、この先、1年くらいかかりそうだ。
ティーダとの楽しみを、あとどれくらい共有できるのか。
その時間が、思いがけず長くなることを期待したい。
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Posted at
2024/03/26 22:31:29
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