
若い頃は高速道路でも一般道でも、追い越し車線を走っていて、後ろから速そうな車が迫ってくると、さっと走行車線に戻って、道を譲るというのは、当たり前の所作だったように思う。当時は、スピードを出せる車とそうでない車の区分が今よりもっとハッキリとしていて、そうした車がすごく輝いて見えていた。
今ではあまり一般的ではなくなったが、パッシングをしながら道を開けて走る高級車も割と多かったと思うし、個人的にはそういう車に嫌悪感はなかった。
ALPINAとかAMGとか、敬意みたいなものを感じていたし、山梨から東京への中央道の下り最速は、ゴルフGTIかと思い込んでいた。スカイラインやセリカXXやソアラなどの国産も、良い感じで走っていたように思う。会社の先輩がラリー好きで、ショップに連れていかれたり無理矢理助手席でコンピュータ操作みたいな事をさせられて深夜の林道を走っていた。仕事で深夜残業して、そこから走りに行く元気があったよな、というか走りたいという衝動に駆られていたんだろう。
いま、時代は大きく変わった。
道路は、そういう走りをする場所ではなくなってしまったと思う。
良いとか悪いとか、そういう感情は無いが、速い車があまり活き活きとしている風情は感じなくなった。高級車的なクルマは、むしろゆったり走っている風さえある。
いきり飛ばしている車が、背の高い軽自動車だったりもするし、実際に、高速道路では、大型トラックのブロック走行とでも形容したくなる、追い越し車線に83キロで78キロ走行のトラックを抜かそうとしているのかしていないのかという風景が当たり前になってしまった。
一般道では老人のノロノロ運転も「あたりまえ体操」状態だ。
通勤時間帯に、ハイビーム点灯で40キロ以下で走行する老人もいる始末である。
(現在の日本を象徴するような光景にも思える。)
文字通り、老若男女が路上に存在し、多種多様なクルマが見られるのではあるが、何となくつまらないなあ、と時折感じている自分がいる。車は生活の道具の意味合いが強く、走りを楽しむ要素は減退しているのかも知れない。
都市部の週末は、郊外型のショッピング店通りに渋滞が発生し、車の性能はアイドリングストップで競うような風情さえある。
自動運転とか、そういった事に興味が無い私は、誰も走っていない平日の中山間地で道を楽しんでいる。走りを楽しむという意味でも、色々と捉え方はあるだろうが、車の特徴を引き出すような、対話のような、そんな雰囲気を模索しながら、ティーダとお付き合いしている。
今日は遠方の病院にて午後に診察を受けるが、そろそろ出発の時間だな。
本日も、道を楽しもう。
(画像は病院の立体駐車場からの眺めです。)
Posted at 2023/12/14 10:03:16 | |
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