
今週、闘病中に相当お世話になった方と会食する機会があり、食事後もコーヒー店で長時間つきあってもらって、お互いの近況や現状の病状とか今後の話をして、かなり元気を貰いました。そもそも病棟というのは閉鎖的な空間ですが、その中でも無菌室というのは、異様なまでの虚無なスペースでして、生存という感覚が希薄になってくるような精神世界を垣間見ました。
現実というものは、不思議なもので、私自身も浮世離れした今年1年をある意味うらめしく思っているものの、9月にまだ若い仕事上の知人が亡くなったことや、昨年末にガンになった知人が8月に再発後にあっけなく亡くなったことを知りました。自分も、一歩間違えば、その世界に逝ってしまった訳で、不思議な世界線というか、今、こうして浦島太郎のように、普通の世間に戻ってきて、好きな音楽をBGMにティーダを運転していることは、ある意味、とてつもなく貴重な時間の過ごし方をしている実感がわいてきます。
車の運転というものは、目的地に到達するという、実用的な利用のためにあるのでしょうけど、私の場合、何の目的も無く、「ただ 走る」 という無目的な行為が、とても価値ある(自分にとって楽しい)行動と思えることが間々ありまして、そういう時に何を嬉しいかっていうと、単に、車の運転を楽しんでいる部分が非常に大きいわけです。車と対話しているような感覚さえあります。
若い時は、大型二輪で直線番長みたいな走り方しか出来ず、第三京浜とか西湘バイパスとか追ってくる白いセダンとかそういう世界観にいましたが、やみあがりおっさんになった今は、普通の速度で、単に道を走るという行為そのものが、楽しくて仕方ありません。
幸い、田舎に住んでいるので、道もそこそこ空いていて、景色もいいし、どこへ行くにもちょっと距離があるので、車の運転をするには恵まれた環境にいることは確かです。
道を楽しむ、まさに道楽 の 世界観ですね。
(多分、本来の意味とは異なるとは思いますが)
生き延びてはみたものの、仕事の現場から離れて、しばし治療の後遺症に苦しむ、存在価値の希薄なひと様の役に立つ人間でありませんが、今の自分にとって、単に生きているだけの存在であっても、日々、ティーダの運転を楽しんで、この世に存在していることを、心の底から有難いなあと思える今日この頃です。
Posted at 2023/11/18 21:53:05 | |
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