
年齢とともに一年間という時間の単位が短く感じられる筈なのではあるが、私にとってこの1年は妙に長く感じられるものであった。福岡伸一先生の動的平衡という概念を用いるなら、お変わりありまくりという今の自分を感慨深く見つめ直す時期になっている。「やみあがりおっさん」というクルマ弄りにあまり相応しく無いアラカン爺であるが、「やみあがっていなかったおっさん」にならないように、フィンガークロスしながら、この一年を過ごしてきて、振り返ってみると、ティーダやみんカラ先輩諸氏に救われた一年であったとも思える。
もっとも免疫グロブリン各数値は低空飛行で、何とも心もとないし、医師の予言が1年以内再発、発病後2か月で死ぬ確率が80%というのも、あまり気持ちの良い未来予報ではないものの、今のところ腫瘍マーカーは低空飛行で日々の暮らしは平穏なうちにある。みんカラを始めるきっかけになったコンパクトカー選びを起点に、ティーダという個体に出会って、弄ったり走ったりするうちに、次第に体力を回復していった過程が、懐かしく思い出される今日この頃である。
「人間は孤独である」とは、良く耳にするフレーズではあるが、実は、あまりピンと来ない概念だった。しかし、重篤な病気になって、その感覚が掴めたように思った。病気の症状というのは、千差万別で他人に伝えにくいし伝わりにくい。特にだるいとか痛いとかの感覚を他人と共有するのは、難しい。
病気の延長に死があるわけだが、そこへの到達の仕方も、他人と共感したり共有することが難しいように思った。
そして、「伝わらないことのまとまった感覚」が、孤独 というものの実態のように思えた。
昨年夏、まるで、刑務所の暮らしと錯覚するような、つらい長期入院から脱した際、私は、自由だ!解放された!と勘違いした。
後遺症と表現するにはあまりにもつらい状態(別の病気を発病していた)で、自宅療養生活が始まった。確かに病気になった際に、医師から、元に戻ることは出来ないという旨のことを宣言されていたのだが、その深刻度を軽視していたのか、楽観視しようとしていたのか、何となく、行動の自由が得られる期待が大きかったのだ。
しかし、退院後の2か月は、体調は悪くなる一方であった。
よくある重病人の退院後の、あれを食べたい、あそこに行きたいという 希望なんて何もないのではあるが、僅かでもいいから、せめて、もう少し 回復基調の状態を想定していたのだ。それで現実に打ちのめされて、精神的に鬱々としてしまった。
4人娘の子育てオヤジとしては、学齢の子供がまだ2人残っていて、経済的な基盤をどう回復するかも喫緊の課題だというのに。
仕事がどうの という次元ではない自分に、かなり面食らった。
何とか、立ち直りのきっかけをつくらねば、と考えた結果、無趣味のおっさんが思いついたのは・・・・・クルマを買う事だった。
自分で運転出来るようになりたい。
当時は、全て妻の運転に頼らねばならない状態だったから。
もっとも助手席や後席に乗っているだけでも、振動で身体が悲鳴を上げるほど、弱ってしまっていたわけだが。
そのころ、体調が良い時に、一日数時間かけてパソコンでクルマ選びを始めたのだった。もっとも最初は、自分が運転するとは考えていなかった。
それで、助手席や後席に乗ることを前提に、条件を絞っていって、割とあっさりとティーダというクルマが選択肢に固定されてしまった。勿論、経済的な側面も考慮しているので、新しいクルマは眼中に無かったが。
しかし、レビューの評判はあまり宜しくないような気がした。
でも、整備手帳などを閲覧しているうちに、問題の乗り心地に関しては、幾らかの改善の余地がありそうだと思えてきて、それで、購入して色々と弄ってみたわけだが、特に補強が面白くて、これが割とハマった。
一旦、クルマの下に潜ると 起き上がるのは相当大変だったが、夢中になれる事をしているうちに、体力が回復しはじめていったと思う。そして、自分で運転をしたくなって、運転も出来るようになった。
正直に言えば、回復するというのは嘘で、もう二度と元には戻らないのだという実感もある。1年後の自分は、想像したより体力的にも免疫等の数値の上でも停滞気味というか低空飛行でやや気分がダウンする。
それにクルマ弄りをきっかけにして、最悪の状態からは脱したものの、行動範囲は半径70キロ程度から外には行けていない。
肉体的な問題は、割と大きいままなのだ。
でも、まあ、今は、素直に1年経過した今の自分の在り様を喜びたい、祝福したいと思う。
クルマに関しては、各種補強は満足度が高いし、オーディオもまあまあのレベルにあって、ちょこっと変更する構想があるものの、こちらは秋の夜長を楽しむ時間にするかも知れない。
一番の収穫は何か、といえば、クルマの運転が、とても面白く楽しいものだと再認識出来ていることだ。運転が楽しいし、コース取りしながら操作することが楽しい。
そういうカーライフが送れていることは、喜ばしい事だ。
そうしたカーライフを過ごせる基盤となった、このサイトには、改めて感謝したいし、諸先輩方の諸々の記事にも、感謝申し上げたい。有難うございます。
先に書いた、孤独という概念が、ちょっと薄れる瞬間が、記事の行間にあふれているのだと 改めて感じた秋の夜なのであります。
Posted at 2024/10/08 21:03:09 | |
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ティーダ | 日記