
中森明菜さんというと言わずと知れた80年代後期〜90年代を代表する「アイドル」の一人です。
確か、デビューは私が生まれる2、3年前だったように記憶しています。
松田聖子さんなどと並んで語られることも多く、当時の若者から絶大な人気を獲得していたとか。「聖子ちゃん派」とか「明菜ちゃん派」とか派閥があり、「明菜ちゃん派」はどちらかというとちょっとヤンチャなタイプの方々が属していた派閥だとかなんとか。
私の親の世代が正にどストライクで、母親との会話の中にもちょくちょく中森明菜さんの名が登場したのを覚えています。もちろん母親はヤンキーでした。当然父親もです。本人たちは否定していますがヤンキーじゃない人の押し入れに刺繍入りの短ランやらボンタンやらは眠っていないと思います。
そんな私は特段「80年代アイドル」呼ばれる方々に興味を抱くこともなく生きてきましたが、ここに来て空前の「中森明菜ブーム」が到来しています。
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約1か月前、とある要件で仕事終わりに静岡県まで車で走る機会があったのですが、その時に「たまには気分を変えるか」と常に車載しているCDケースを漁っていた際にいつだったかブックオフで購入していた中森明菜さんのCDが目に付き再生したことがきっかけでした。(私はCR-Z購入時から今でもカーオーディオはCD派です。)
往復220kmの深夜ドライブの最中、何度も繰り返し中森明菜さんのベスト盤を聴くうちにすっかりその魅力に引き込まれていました。
そこからは毎日YouTubeで過去のテレビ番組の映像で彼女のパフォーマンスを観ながら酒を呑み、よりその圧倒的な歌唱力とダンス、衣装の世界観に魅入られております。
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私の学生時代…つまり90年代後半のアイドルというとモーニング娘。が猛威を振るっていた頃で、当時は「アイドル」という存在になんら関心を持つこともなく自分の好きな偏った邦楽ロックばかりを好んで聴いていました。
余談ですが、私があまり洋楽を聴いてこなかった理由の一つに「歌詞が読めないから」というものがあり、ロックというサウンドに魅了されながらも歌詞の世界観というのも私の音楽的嗜好には大きな影響を及ぼします。
どんなに稚拙で滑稽であっても、アーティスト本人たちが紡ぐ世界観に興味の矛先があり、その延長線上に「シンガーよりもシンガーソングライターの方が好き」という価値観があったりします。
なので、ロックサウンドに限らず自身で作詞作曲しているアーティストも好きだったりします。
逆に言うと、詞曲共に他者からの提供を受けシンガーとしての表現に専念しているアーティストにはあまり惹かれたことがありません。
が、もちろんこれはシンガーを否定する価値観でもありません。あくまで好みの問題ですね。
話が逸れましたが、本題の中森明菜さんはというと私が知る限りでは基本的には楽曲は詞曲共に他者からの提供を受ける「私の興味の外のアーティスト」なのです。
恐らくは「アイドル」と呼ばれる活動をしている方の多くはそのスタイルなのではないでしょうか。
そんな私が何故「中森明菜の世界」に魅せられたのか。
そこには私が思う「アイドル」の枠に収まらない圧倒的な表現者としての佇まいがあったからです。
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中森明菜さんの歌唱力に関してては「明菜ど素人」の私のであっても知り得ていたものではありますが、私が衝撃を受けたのは彼女の「楽曲の持つ世界観に対しての表現力」です。
全てかどうかはわかりませんが、少なくとも私が調べた限りでは全盛期と呼ばれる頃の彼女はメイク、衣装、振り付けなどを全てセルフプロデュースし、楽曲の世界観を表現することに於いて正に「プロ」だったといいます。
また、レコーディングに於いても自身が納得するまでリテイクを重ねるほどの拘りを持っており、それは当時の歌番組などの映像を観てもわかるように「生の歌唱」に対してのクオリティの担保にも繋がっていると思われます。
これらは「アイドル」という文化をほとんど知らずに生きてきた私が持つアイドルと呼ばれる方々へのイメージと大きくかけ離れるものでした。
もちろん、平成・令和のアイドルの中にも同じような価値観やクオリティで活動をしておられる方々はいらっしゃるものと思われますが、少なくとも私が見聞きする範囲では知り得なかった衝撃でした。
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そもそもが「中森明菜」というアーティストは私の思う「アイドル」とは全く違うところにいる存在だったわけです。
私が思う中森明菜とは「可愛いアイドル」ではなく「かっこいいアーティスト」なのです。
そう、可愛いではなくかっこいい。
歌唱も衣装もパフォーマンスも全てがかっこいいのです。
敢えて古い言い方をすのであれば「シビれる」でしょうか。
もしかしたら世の中的にも「中森明菜=アイドル」と位置付けていない人も多くいるのかも知れません。
私の中では彼女はアーティストだったり表現者だったりという形容がしっくりきます。
声色、振り付け、目つき、衣装、それら一つ一つが楽曲ごとに違う側面を見せ正に観る者を惹きつけるのです。
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ふとここで「アイドル」という単語に関連して思い出されたことがありました。
ここまで散々「アイドルとか興味ねーし!」的な駄文を書いておきながら過去に唯一興味をもったアイドルグループがありました。
それは「欅坂46」です。
中でも平手友梨奈さんというセンターの方のパフォーマンスには当時衝撃を受けた記憶があります。
彼女もある意味でスキャンダラスな側面を持ちつつも楽曲の世界観の表現という点に於いては、それこそ平成後期〜令和期のいわゆる「現代のアイドル」という枠に収まらない「凄み」がありました。「憑依」という表現が相応しいような迫力と言いますか。
デビュー期は王道のアイドル然としつつも徐々に変貌していった過程などは、(その経緯は各々の違うという前提はありつつも)似ているところがあるかも知れません。
そういった型破りなところがかっこよく見えて惹かれるのだとしたら音楽的な意味ではなくスタンス的な意味合いで彼らはロックな存在なのではなかろうかと個人的には思います。
中森明菜さんに関しては有名な「あの事件」を機にいつもどこか翳りのある佇まいになってしまい、それがファンの方々の目には痛々しく映ったのかも知れません。過去の記事を読み私も心中を察しました。
しかしそれでも歌い続ける姿が勇ましくもあり、そこが彼女を「アイドル」ではなく「表現者」であり「アーティスト」であり「歌姫」たらしめているのではなかろうかと、にわかながらに考察してしまいます。
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そんなわけで私は3〜40年の遅れをとりながらも「中森明菜」という伝説的な歌姫の魅力に気づいてしまったのでした。
当時のテレビ番組の映像を収めたDVDを2本購入しましたので時間のある時にじっくりとその世界観を堪能したいと思います。

それとは別に、中森明菜さんの楽曲はそれ自体がめちゃくちゃ良くて、しかもロックっぽいアレンジのものも数多く存在しているのでギターでコピーしようとも思います。弾けるかわかりませんが。ひとまず「少女A」は下手くそなりにコピー出来ました。
今の世の中は便利になったもので、本屋さんや楽曲屋さんでそのアーティストのスコアブックを探さなくてもネットで好きな楽曲の譜面を購入しコンビニでプリントアウトも出来るんですね。
専門学校を出ておきながらも五線譜ではなくTAB譜のスコアを買ってしまいました。
そもそもロック系ギタリストで五線譜で弾ける人ってすごくね…?!

最近「激安ペダル」で有名なエフェクツベーカリーのコンパクトエフェクターを買ったのでこれとパシフィカで遊びます。
昔は「ディストーションでギャンギャンに歪んでればそれでええねん!!」みたいな感じでしたが、歳をとって冷静になると「オーバードライブでも十分歪んでますよね。」ってなる現象なんなんすかね。
まぁ「ラットを一つ商売道具にしているさ」と歌ったシンガーソングライターもいるくらいなのでディストーションペダル一つあればそれで十分というかっこいい生き方も出来るということでしょう。
そういえば彼女もまた歌姫と呼ばれる存在ですね。
そんなわけで、当時からのファンの方が読んだら「にわかが知ったふうな口きいてんじゃねぇぞこの野郎が!!死なすぞ!!」と言われそうな長文ブログでしたが、私にとっては「この人生で素通りしてしまっていたかも知れない貴重で重要な感動を一つ取りこぼさずに済んだ」という大切な出来事でした。
おっさんになってから渋々車の免許を取得して初めてクルマの素晴らしさに気づいたという約2年前を思えば、私の人生は何事に於いても遅咲きになる傾向がにあるのでしょうね。
長文・駄文にお付き合い頂きありがとうございます。