
1ヶ月近く余計に時間がかかった小倉監督解任後、全てがシナリオ通りに進み迎えたJリーグ最終節。
すでに降格が決まった湘南ベルマーレ相手に、引き分けでも良いポジションまで来ていたのに負けちゃった…。
めちゃめちゃ悲しかったけど、落ちちゃったもんは仕方ない。
願いは、J2に定住しないこと。 1年で復帰とか言ってるけど、J2だってナメたらいかんでね。今年ナメた結果がコレだからさ。
ボスコを失うのは、もったいないけど、久米社長に呼ばれたから合わせて切られちゃった…
小倉解任の時のトーチュウの中面に、わかりやすい記事があったから、私の備忘録も兼ねて書き写しておきます。
三つどもえ対立の折衷案だった小倉体制
ボスコ派 vs ハシェック派 vs ザック派
GM兼任監督の背景
---フロントの権力闘争 -—
そもそも、なぜ育成年代のコーチ経験すらない小倉GM補佐が、GM兼任監督に就任するという極めて異例の人事が行われたのだろうか。鶴の一声でこの人事を断行したのは久米一正社長だったが、そこには苦渋とも言える理由があった。
昨秋、西野朗監督の解任を決めたフロント内では、3人の外国人が新監督候補に挙がっていた。当初から久米が推していたのが、今回監督となったボスコ・ジェロヴスキー。
昨年8月の時点で水面下で打診をしており、本人も乗り気で中国リーグ・広州富力の監督に就任したストイコビッチ元監督からのコーチ就任要請を断っていた。
一方、中林尚夫専務、松本高徳チーム統括部ちょうらが推したのが、元チェコ代表監督で、現役時代はJリーグでもプレーしたイワン・ハシェックだった。これはアーセナルのベンゲル監督の推薦をもとにリストアップした3人のうちの1人。ただカタールのクラブの監督を務めており、高額の違約金がネックだった。
— 想定外の「第3勢力」---
こうしてクラブ内で両者が対抗するなか、想定外の第3勢力が現れる。子会社化が決まっているグランパスを統制下に置こうとしたトヨタ自動車人事部だ。
当時の広田利幸担当部長は、FC東京の立石敬之GMに数回接触し、GM就任を打診。同時に元日本代表監督のアルベルト・ザッケローニさんの招聘を進めた。
— 賭けに出た久米社長 —
トヨタからの出向組でサッカー界には疎い中林が発言力を強め、腹心の「愛されたいクラブ推進室」室長の保坂勝が入れ知恵する構図に、久米は強い危機感を抱いていた。
さらに思わぬ横やりまで…。「こんなことでは、このクラブは終わる」。この三つどもえの権力闘争を収束するために、久米は賭けに出た。
「小倉がいるじゃないか」。昨年10月、久米が提案したGM兼任監督案に一同は驚いた。小倉は昨年6月に中林派が招き、GM補佐からGMへの昇格が既定路線だった。
そもそも小倉は胸の内では監督職を希望しており、本人にとっても願ってもない話。そして中林派にしてみれば、自分たちが完全にクラブの主導権を握ることになる。
一方で久米は編成の現場から身を退きつつ、小倉や松本がいずれ自分を頼ってくると読んでいた。さらに万が一に備え、今年1月にスイス2部クラブのGM就任が決まっていたジュロヴスキーを、そして切り札として闘莉王をフリーにさせていた。
— 闘莉王復帰が切り札 —
こうして両者は、とりあえず手を組むことでトヨタ人事部の介入を阻止。前代未聞の新人全権監督が誕生した。
だがその裏で、今回の騒動につながる久米を中心とした旧クラブ派、中林らトヨタ出向組による権力闘争の火種が、消えることなくくすぶり続けていた。
(宮崎厚志)
Posted at 2016/11/06 23:22:18 | |
トラックバック(0) |
サッカー | スポーツ