• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

Sidemanのブログ一覧

2024年11月17日 イイね!

教習所のこと とか 1

以前、ブログにも書いたが、昭和62年3月、私は陸上自衛隊に入隊した。
初めて運転免許を取得したのが自衛隊なので、他の人とはちょっと違う特殊な体験だと思う。
この頃の私は、車にはほとんど興味がなく、運転免許を取りたいという気持ちもあまりなかった。
今の隊員はどうなのかわからないが、当時、多くの隊員が入隊の動機に『資格取得』を挙げていた。
しかし、私は違っていた。
入隊後間もなく教育隊で行われた幹部、教官、助教と新入隊員との顔合わせ的な会合で新入隊員も一人ずつ自己紹介することになり、入隊の動機を言うことになっていた。
『資格取得のため』が最も多く、次に『自分を鍛えるため』といった動機が多かったと思う。
ただ一人、私だけが「日本を守るため入隊しました」と言った。
私としては『言ってやったぜ!ざまーみろい』という感じだったのだが、会場が「お~ぉ」とどよめいたのを覚えている。

教育隊を経て部隊配備された後、しばらくして私は自分の将来に迷いを抱いていた。
というのも、当時の陸上自衛隊は今とは違い、日本を取り巻く平和にあぐらをかいていたと思う。
そうではない方々も、特に上位の階級にある方はそんなことはなかったと思うが、下位の階級の者には特にそんな雰囲気があったことは確かだと思う。
批判はこれ以上書かないこととするが、ここは私がいる場所ではないと感じていた。
陸上自衛隊の任期は2年。
1任期の終わりが迫った平成元年3月頃、このまま自衛隊を続けるか退職するか決めなければならない。
私は他の職場の採用試験を受けることにし、そこに受かるまでは自衛隊で勤務することにしたい旨を上官にも伝えた。
そして同じ頃、私に大型第一種免許取得のため自衛隊の自動車教習所へ入校させる、という話が来た。
確か記憶では転職の採用試験が4月中で、その旨も上官には伝達済みだった。
私には「教習所に行かせるから」というのは、自衛隊を継続させるための殺し文句にならない。
これは上官たちも知っていたと思う。
他の隊員には、これが自衛隊を続けさせる殺し文句になることが多い。
なぜなら、実際には皆が希望する『資格取得』は、なかなか順番が回ってこないのだ。
1任期目で運転系の資格が取得できる者はほとんどおらず、2任期目でようやく順番が回ってくる。
2任期目の始めに免許を取らせれば、その後任期満了まで2年近く働いてもらえるのだ。
なので、『辞める』と言っている私に、このタイミングでよく話を振ってきたなと思う。
『採用試験なんか受かるはずはない』と思われていたのだろうか。
大型免許は転職先でも必ず役に立つ資格だったので、ありがたく教習所に行かせてもらうことにした。
「行かせていただくが、採用試験に受かったら退職する」旨もこの時はっきりと伝達した。

つづく
Posted at 2024/11/17 15:28:09 | コメント(1) | トラックバック(0) | 思い出話 | クルマ
2024年11月15日 イイね!

発掘しました


ガレージの奥にあるパーツが詰まった衣装ケースを整理していたら、EF7用のリアゲートダンパー未使用新品を発掘しました!
今、車に着いているダンパーは、もう抜けかけてて自然落下してくるのですが、開く時の補助ぐらいには効いているので、まだ交換しません。
反発力が無くなったら交換しようと思います。
Posted at 2024/11/15 15:04:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2024年11月03日 イイね!

雪の峠道でのこと。とか 2

工事関係者のおっちゃん達に、カクカク・シカジカ説明して、今停まってる場所なら工事のじゃまにもならないので大丈夫だろう、とのことで車をしばらく停めさせてもらうことにした。
さて、歩いて帰ると決めたが、傘もない。
上はMA-1を着ていたが、外はかなり寒かった。
しかも、靴は「フォトギャラリー」→『かつてのガレージ』の画像に写ってるアディダス・デサントのレーシングシューズだ。
アウトソールはほぼ平坦なので、こんな雪道では滑ることこの上ない。
転びはしなかったが、何度もヒヤッとさせられた。
転ばないように気を付けながら、トボトボと雪が降る峠道を歩いた。
転倒も心配だったが、後方から近づいてくる車も怖かった。
峠道なので歩道などなく、路側帯があるだけだ。
しかも、道路の端の方は、車が跳ね上げた雪が積もって歩けない。
車が通った後の轍は比較的雪が少ないのでそこを歩き、車が後ろから来たら路側帯の方に避ける。
これってけっこう危険なのでは?
距離にすれば家まで3~4kmだと思うのだが、なかなか前に進むことができず、「こりゃかなり時間がかかるな」と思った。
300メートルぐらい歩いただろうか、白いスズキのアルトが私を追い越した先でハザードを出して停車した。
リアハッチに大きく「4WD」とステッカーがあったように記憶している。
少なくとも、私の知り合いで、その車に乗ってる人はいない。
そのアルトの横を通り過ぎようとしたとき、運転手の方に声を掛けられた。
「大丈夫ですか?送って行きましょうか?」
私よりちょっと年上な感じの女性で、Dr.スランプのアラレちゃんみたいな、丸くて大きいメガネを掛けていた。
こんな善意の申し出を断るわけがない。
地獄で仏とはこのことだ。
「いいんですか!? ありがとうございます!!」と、少し遠慮しながらも送っていただくことにした。
遠慮しいしい4WDのアルトに乗り込む。
聞けば、お姉さんの住んでいるところは、私の居住地よりも更に先らしい。
お姉さんのアルトは、スタッドレスを履いているそうだ。
多分、「買い物帰りに急に雪が降ってきて、頂上で滑って車を置いてきて(ry」という会話もしたと思うのだが、覚えていない。
普通に車で走れれば、拾ってもらった場所から私の家まで10分はかからない。
お姉さんの道行きに支障をきたさないよう、近所の交差点で降ろしていただくことにした。
タイミングよく、その交差点の信号が赤だったため、信号待ちで停車した時に降ろしてもらった。
短いお礼を言うぐらいしか時間がなかったが、その際に透明なビニール傘までいただいてしまったのだ。
さすがに一度は断ったのだが、あまりやり取りしている時間もないので、ご厚意に甘えることにした。
お名前ももちろんわからないのだが、今もこうして覚えているぐらい、この方には感謝している。
降ろしてもらった交差点から家までの数百mを小走りで帰り、たまたま家にいた父にEF7を置いてきた場所まで送ってもらうことにした。
タイヤチェーン、針金、ペンチ、ウエス、手袋、その他必要になるかもしれない工具、また、傾斜地なので車輪止めも持っていった。
ジャッキもスペアタイヤも軽量化のため普段は積載していないのだが(パンク修理剤を積んでる)、もしかしたらジャッキアップが必要な可能性も考え、純正のパンタグラフを持っていく。
実は、私のCR-X用のタイヤチェーンは、EF7の純正でも市販品でもない。
父が昔乗っていた330系グロリアの純正品をサンダーで切り、CR-Xで使える長さにしたものだったと記憶している。
だからタイヤの外径に対して、横のチェーンの本数が足りず、間隔が広く開いてしまっている部分があるのだが、あくまで緊急用として割り切って準備していた。
そして役に立った。
実際にEF7時代から現在に至るまで、CR-Xにチェーンを巻いたのは、この時一度きりだし、CR-Xにスタッドレスを履かせたことは一度もない。
私はスキーをやらないし、ホームコースの奥多摩周遊道路は、雪が降ると閉鎖されてしまう。
それに「いざ」というときに、ドライグリップを発揮してくれるタイヤじゃないと困るのだ。
だから、走り屋の車は、冬でもスタッドレスなぞ履かない。(履く人もいるかもしれないけどさ)
この時送ってもらった父の車は、クラウンだったようだ。
父に確認したところ、今回の出来事は覚えていて、クラウンにはスタッドレスを履かせていたようだ。
さて、クラウンに乗り、10分ちょっとで現場に到着だ。
そして、チェーンを巻いて帰ったはずなのだが、実はこの辺りの記憶はほとんどない。
既に薄暗くなった時間にチェーンを巻いたような記憶が少しあるだけだ。
おそらく、到着するや、ササッとつつがなくチェーンを巻いて帰ったのではないかと思う。
スピンしてからお姉さんに拾われたりした出来事のインパクトが強烈過ぎて、どうやら簡単に済んでしまったことの記憶が抜けてしまったようだ。
そして、数日後、街で偶然お姉さんと再会....なんて、ドラマみたいなこともありませんでした。
Posted at 2024/11/03 20:19:22 | コメント(2) | トラックバック(0) | 思い出話 | クルマ
2024年10月18日 イイね!

雪の峠道でのこと。とか 1

94年か95年の冬のとある午後のこと
この時代、私が住んでいる街の近くには、まだホームセンターやカー用品店などはなく、そういった買い物をするときは車で20分とか30分ぐらいかけて買い物に行ってた。
昼食後、家を出るときにはその後に雪が降るとは全く思ってもいなかった。
しかし、買い物を終えてホームセンターを出て間もなく、雪がちらつき始めた。
雨から雪に変わるというのではなく、最初から雪だった。
雪はどんどん激しくなり、私の街に通じる峠道にさしかかったときには、道路に薄っすらと雪が積もるぐらいの状態だった。
EF7が今履いているタイヤは、ダンロップ フォーミュラD40/M2だ。
先輩からEF7を譲り受けた時には、ブリヂストン レグノを履いていた。
いくらなんでもボーイズレーサーにプレミアムコンフォートは無かろう、ということで他のタイヤを探していて、行きつけのタイヤショップに中古が3本あるというので、1本新品を買ってEF7に履かせたものだ。
当時のダンロップではかなりスポーツ寄りの位置付けのタイヤで、ドライもウェットもそこそこ行けるタイヤだった。
でも、もちろん雪道には全く適していない。
実はこの峠道を通らなくても、遠回りをすれば坂道を回避して家に帰れるのだが、まさかこんなに急激に積もるとは思っていなかった。
軽さが重要なこの車、タイヤチェーンなどという重量物を常時積載しているわけもない。
引き返すこともちらっと脳裏に浮かんだが、更に時間を要するわけで、今の降雪状況だと街中に車を放置して帰らなければならなくなる可能もある。
だから、このままこの峠道を帰ることにした。
ステアリングを左右に大きく切ったりしながらトラクションを稼ぎ、なんとか前進を続けた。
スタッドレスなら全く問題のない積雪量だ。
もしかしたらオールシーズンタイヤでも行けるかもしれない。
だが、D40/M2には辛すぎた。
なんとかだましだまし運転して、やっと頂上までたどり着き、道は下り坂に入った。
下りをどう走るか....と!!、考える暇もなく、いきなり左にスピン。
ちなみに、私はスキーはやらない。
映画「わたしをスキーに連れてって」は、大好きな映画だ。
リアルタイムで観たし、ああいった仲間がいればスキーに限らず楽しいだろうとは思った。
実際に陸上自衛隊時代には、訓練で1度、観光で1度、スキーをしたこともある。
でも、スキーを趣味にすることは、とうとうなかった。
だから、積雪路の運転経験は、この当時はほとんど無かったに等しい。(後に転職してからかなり経験したが)
この時のスピンは、ドライの路面を攻めているときにブレイクするのとはまるで違った。
気が付いたら既に横を向いていた感じだった。
EF7は、そのまま進行方向に対して90度左を向き、滑りながら少し下って道路左側の縁石に右前輪の方から接触。
数ヶ月前に買ったばかりだった、お気に入りのUSレーシングスポーツのFRPリップスポイラーが大破した。
USレーシングスポーツは栃木県にあるエアロパーツメーカー)
『やっちまったよ~....』と心の中で泣いてると、近くで道路工事していたおっちゃんたちがワイワイワラワラと集まってきて、道を塞ぐ感じで停まってしまったEF7を、ちょっと広いゼブラゾーンの中に誘導してくれた。
割れて道路に散乱していたスポイラーも持ってきてくれて、「ほい、これ10万ぐらいか?残骸もってけよ」と、優しいおっちゃんたち。
10万はしなかったと記憶しているが、かなり気に入ってた。
ここで考えた。
雪はまだ止む気配がない。
このままEF7で坂道を下って帰るのは無謀だ。
EF7で積雪路を走れるようにしなければ、ここに置き去りにしたままになってしまう。
明日は仕事があるし、時間はもう15時近い。
どうにかして、EF7を連れて帰らなければならない。
なるべく早くだ。
そこで決めた。
歩いて一旦家に帰り、チェーンを持ってこよう。
ここでチェーンを装着して、EF7に乗って帰るのだ。

つづく



USレーシングスポーツのCR-X前期用リップスポイラー装着時の姿がこちら。
装着してから今回の記事で破損するまで、期間が短かったため、はっきり写ってる写真が日光サーキットでの走行会のこれしかなかった。
装着後は、高速道路での直進安定性が増したのをはっきり感じた。
ショートホイールベースのCR-Xには、かなり効果的だったと思います。
1枚目の運転席に座っているのは、私ではなく先輩のTさん。
ボンネットがつや消しになってるのは、FRPボンネットを作る際、FRPで型取りして塗装を痛め、缶スプレーで応急処置したままの状態だったため。
--------------------------
※ 家族からこの出来事については94年か95年だとの指摘がありましたので、冒頭の「91年か92年」の部分を修正いたしました。
Posted at 2024/10/18 20:29:28 | コメント(1) | トラックバック(0) | 思い出話 | クルマ
2024年10月11日 イイね!

大晦日にヤン車とのこと。とか

93年か、その頃のとある大晦日のこと。
退屈だった。
特にすることもない。
大晦日特有のTV番組にも特に関心がなく、本当に退屈だった。
当時はSという相棒がいて、彼はAE86(あゝ、わざわざ「AE」と付けなければならないこの煩わしさよ....)に乗っていたのだが、運転するのはあまり得意ではなく、私の助手席でドライブにはよく付き合ってくれた。
彼も私も平日に休みがあったので、つるんで行動しやすかったのだ。
しかし、彼はこの時、大晦日だというのに仕事。
仕方がないので、一人でぶらっと車で流しに行くことにした。
当時は、特定の方々による「初日の出暴走」などという行事(?)が行われていた時代(知らない方はググってください)。
私がよくお世話になっていたカーショップにも、12月になるといわゆる「出っ歯」などと呼ばれるエアロパーツの取り付け依頼が何件も入っていて、お店に行くとそれらが梱包されている巨大な段ボール箱が置かれていたものだ。
なので、大晦日の夜に道路を走ると、初日の出には行かないそっち方面の方々が爆音を鳴らしながら何台か集団で走ってたりする。
このときもそうだった。
特に目的もなく走っていると、集団で爆音を鳴らしながら走っている連中の最後尾を追随する形となってしまった。
まずい。
これで検問にでも引っかかったら、おれも同族と思われてしまうではないか。
と、思ったので(けっこう楽しかったが....)、早々にこいつらとは違う道を走り、そろそろ帰ろうかと思ったころだった。
バックミラー越しに四角いヘッドライトの車がかなりのスピードで私の後ろに来たと思ったら、ピタッとくっつき、しきりに煽ってくる。
こっちは飛ばすでもなくノロノロでもなく、普通に走ってる。
対向車もほとんどないのでとっとと追い越せばいいものを、わざわざジグザグに走ったりするので、流石にちょっとシャクに障った。
とある踏切に差し掛かった。
当然、一時停止する。
と、後ろのやつは、一時停止せずに追い越し、私の前に入ってきた。
このとき、私の中でスイッチが入ってしまった。
相手は白いクラウン(たぶん7代目)だった。
踏切停止のゼロ発進から1速フルスロットル。
クラウンの後部にピッタリとくっついてやった。
こっちは信号GPで鍛えたスロットル操作だ。
安易にベタ踏みすればいいってもんじゃないことは、もちろん知ってる。
クラウンもこちらが追随しているのに気が付き、スピードを上げる。
テール・トゥ・ノーズのまま、2速で更に加速。
クラウンの後部座席に一人で乗ってる高校生みたいなやつが、しきりにガンたれてくるので、こっちが見えないようにハイビームにしてやった。
3速。
ジリジリとクラウンに引き離されてきた。
もともとパワーが違うせいか、ギヤ比が違うせいか。
両方だろう。
向こうは運転手、助手席と後ろの高校生で、3人乗ってるようだ。
急停車され、道を塞がれたらやばいな、と思った。
この道は、踏切から約1km先で幹線道路につながってる。
踏切側から進むと、緩やかな下り坂で見通しの良いほぼ真っすぐな道だ。
幹線道路に交わる手前、約300mのところに交差点があり、右に曲がれば農道に続く道に入ることができる。
見ると、幹線道路に交わる信号が黄色になった。
手前の信号は青だ。
ここらで、潮時だと思った。
EF7を急減速させ、幹線道路300m手前の交差点を右に曲がった。
バイバイ、クラウン
農道をくねくねと走り、一般道へ出た。
クラウンがいないかどうか、注意しながら走った。
家へ戻った頃には、新年が明けていた。
---------------------------------------
注:当ブログの「思い出話」に関しては、虚実織り混ぜて記載しているため、過剰な反応はご遠慮願います。当時の雰囲気を感じていただければ幸いです。
Posted at 2024/10/11 22:28:12 | コメント(1) | トラックバック(0) | 思い出話 | クルマ

プロフィール

Sidemanです。以前も別名でみんカラに登録していましたが、今回、再度の登録です。EFが新車販売されていたとき10代終わりから20代だったオヤジです。みんカラ...

ハイタッチ!drive

みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2026/1 >>

    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

ブログカテゴリー

愛車一覧

ホンダ CR-X ホンダ CR-X
CR-X 今の車が 3台目 (EF7→EF8→EF8)

過去のブログ

2024年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation