94年か95年の冬のとある午後のこと
この時代、私が住んでいる街の近くには、まだホームセンターやカー用品店などはなく、そういった買い物をするときは車で20分とか30分ぐらいかけて買い物に行ってた。
昼食後、家を出るときにはその後に雪が降るとは全く思ってもいなかった。
しかし、買い物を終えてホームセンターを出て間もなく、雪がちらつき始めた。
雨から雪に変わるというのではなく、最初から雪だった。
雪はどんどん激しくなり、私の街に通じる峠道にさしかかったときには、道路に薄っすらと雪が積もるぐらいの状態だった。
EF7が今履いているタイヤは、ダンロップ フォーミュラD40/M2だ。
先輩からEF7を譲り受けた時には、ブリヂストン レグノを履いていた。
いくらなんでもボーイズレーサーにプレミアムコンフォートは無かろう、ということで他のタイヤを探していて、行きつけのタイヤショップに中古が3本あるというので、1本新品を買ってEF7に履かせたものだ。
当時のダンロップではかなりスポーツ寄りの位置付けのタイヤで、ドライもウェットもそこそこ行けるタイヤだった。
でも、もちろん雪道には全く適していない。
実はこの峠道を通らなくても、遠回りをすれば坂道を回避して家に帰れるのだが、まさかこんなに急激に積もるとは思っていなかった。
軽さが重要なこの車、タイヤチェーンなどという重量物を常時積載しているわけもない。
引き返すこともちらっと脳裏に浮かんだが、更に時間を要するわけで、今の降雪状況だと街中に車を放置して帰らなければならなくなる可能もある。
だから、このままこの峠道を帰ることにした。
ステアリングを左右に大きく切ったりしながらトラクションを稼ぎ、なんとか前進を続けた。
スタッドレスなら全く問題のない積雪量だ。
もしかしたらオールシーズンタイヤでも行けるかもしれない。
だが、D40/M2には辛すぎた。
なんとかだましだまし運転して、やっと頂上までたどり着き、道は下り坂に入った。
下りをどう走るか....と!!、考える暇もなく、いきなり左にスピン。
ちなみに、私はスキーはやらない。
映画「わたしをスキーに連れてって」は、大好きな映画だ。
リアルタイムで観たし、ああいった仲間がいればスキーに限らず楽しいだろうとは思った。
実際に陸上自衛隊時代には、訓練で1度、観光で1度、スキーをしたこともある。
でも、スキーを趣味にすることは、とうとうなかった。
だから、積雪路の運転経験は、この当時はほとんど無かったに等しい。(後に転職してからかなり経験したが)
この時のスピンは、ドライの路面を攻めているときにブレイクするのとはまるで違った。
気が付いたら既に横を向いていた感じだった。
EF7は、そのまま進行方向に対して90度左を向き、滑りながら少し下って道路左側の縁石に右前輪の方から接触。
数ヶ月前に買ったばかりだった、お気に入りのUSレーシングスポーツのFRPリップスポイラーが大破した。
(
USレーシングスポーツは栃木県にあるエアロパーツメーカー)
『やっちまったよ~....』と心の中で泣いてると、近くで道路工事していたおっちゃんたちがワイワイワラワラと集まってきて、道を塞ぐ感じで停まってしまったEF7を、ちょっと広いゼブラゾーンの中に誘導してくれた。
割れて道路に散乱していたスポイラーも持ってきてくれて、「ほい、これ10万ぐらいか?残骸もってけよ」と、優しいおっちゃんたち。
10万はしなかったと記憶しているが、かなり気に入ってた。
ここで考えた。
雪はまだ止む気配がない。
このままEF7で坂道を下って帰るのは無謀だ。
EF7で積雪路を走れるようにしなければ、ここに置き去りにしたままになってしまう。
明日は仕事があるし、時間はもう15時近い。
どうにかして、EF7を連れて帰らなければならない。
なるべく早くだ。
そこで決めた。
歩いて一旦家に帰り、チェーンを持ってこよう。
ここでチェーンを装着して、EF7に乗って帰るのだ。
つづく

USレーシングスポーツのCR-X前期用リップスポイラー装着時の姿がこちら。
装着してから今回の記事で破損するまで、期間が短かったため、はっきり写ってる写真が日光サーキットでの走行会のこれしかなかった。
装着後は、高速道路での直進安定性が増したのをはっきり感じた。
ショートホイールベースのCR-Xには、かなり効果的だったと思います。
1枚目の運転席に座っているのは、私ではなく先輩のTさん。
ボンネットがつや消しになってるのは、FRPボンネットを作る際、FRPで型取りして塗装を痛め、缶スプレーで応急処置したままの状態だったため。
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※ 家族からこの出来事については94年か95年だとの指摘がありましたので、冒頭の「91年か92年」の部分を修正いたしました。