2008年08月05日
GoodBye Hero
本当は昨日書こうと思いましたが,ちょっとショックだったのか今日になりました。
先週末8月1日付けである漢(おとこ)が組織を去った。
定年退職ということだった。もう彼もそんな年なんだと感傷が先にきた。
電話をかけて知った。1日違いであった。
ご縁がなかったのか?不義理である。
否,ご縁はあった昨年,彼らとしては”ハレ”の舞台といえる場所であった。
結局,それが最後の邂逅となった。場所はお台場であった。
用件を伝えられなかったため,電話では対応してくれた方にお礼を言った。
ついでに昨日の2位表彰台についておめでとうとも伝えた。
電話対応してくれた方も4年ぶりくらいでした。(余談)
電話する前に,”三島の親父”のところにも相談した。
三島の親父とはわたくしの心の親父である。実の親父は昨年亡くした。
今は心の親父ひとりということになる。
三島の親父は,ある漢(おとこ)の先輩に当たる。
その先輩も定年のことは知らなかったようだ。
定年になっても嘱託といって働き続ける制度がある。
三島の親父もそうだ。親父としては,まだまだ働き続けるんだろうと思ったのだろうか?きっとそうだと思う。
その漢(おとこ)には仕事でかなりお世話になった。
自分が決定的な仕事をしたという場面で,サポートしてもらったこともある。
機密過ぎてかけませんし,そもそも本人の許可がもうとれない(泣)
詳細はご容赦をば。
そんななかで色々な方に話した中で一番好評なお話をさせていただく。
わたくし個人としても一番印象的な話である。
時は何年か前にさかのぼる。
西暦2000年,まだ20世紀だった頃の話だ。
時は6月。雨がしたたる水無月かな。
あるレースを前にしてその漢(おとこ)の元に電話が入った。
国際電話である。発信元はUnited States。
開口一番,電話の主は叫ぶように云った。
「明日のレースは大丈夫なのか?!」
その漢(おとこ)はエンジンベンチもある実験部門の責任者であった。
これにいたるには経緯がある。
この漢(おとこ)が属していた組織は,レースで負け続けていた。
レース部門の責任者が,涙を浮かべながら,エンジンベンチで壊れてオイルまみれになったパーツを拾っていた時期もあった。
レース主催者から「特別にに練習走行の時間を設けるから壊れないエンジンを作ってきてくれ!オイル漏れでレースが中断するのは困る!」とまで言われていた。
レース参戦から5年が経過し,ようやく良い兆しが見え始めた。
トップチームへのエンジン供給とのちにF1に乗ることになるトップドライバーとも組むことになった。
テストでのタイムも上々である。
そういった状況での電話であった。
その漢(おとこ)は言い放った。
「そのエンジンは,俺の部下の○○と□□が組んだエンジンだ!
俺が保証する!!」
翌日,レース初勝利。
これが上半期世界売り上げNO1の”世界の巨人”と呼ばれる自動車メイカーの強さのささやかな秘密である。
あなたはどこまで部下を信頼できますか?
もうこういう本物の漢(おとこ)と会えないのか......。
わたくしが昨晩書けなかった理由と気持ちを察していただけたら幸いです。
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Posted at
2008/08/05 08:17:10
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