この記事は、
BRIDGESTONEトークショー@渋谷について書いています。
ちょうどましゅ~さんがいいネタを振ってくれました。
撤退1周年記念(?)ということで書けるだけ書いてみましょう。
う~んリアルだなぁ~、自分史でもある。
2002年 それ(フェラーリ圧勝)を尻目に虎視眈々とF1の仕事狙う。
日本GP前にちゃっかりと次期ドライバーラインナップを知っちゃうほど、顔を広めていた。
2003年 年度替りの直前のことである。
「万博の仕事やらない?」と云われ、「興味ねぇよ!」と罵倒!
「じゃあナニならやるんだ!?」と云われ「F1!」と即答、そのまま仕事になる。(笑)
打倒フェラーリ!とマシンのデザインをパクっているのみてをいをいと思う。(爆)
第二戦ブラジルGPで燃料タンクの設計不備でリタイヤ。
名誉会長&会長から「高校の物理をやり直して来い!」と罵倒されている
エンジニアさん達をみて哀れに思う。
打ち合わせの席で空力解析担当の責任者と初対面。
車載映像からどのサーキットのどのコーナーかを言い当てる。
これが後々伝説として語り継がれる。
モナコGPの予選をみて、「トゥルーリすげぇ~!」と一人で興奮!
当時、車載映像からエンジン回転数を算出するソフトウェア開発を担当していたので、
推定数値であるガエンジン出力を知っていたからである。
トップのBMWに比べて70-80馬力低いエンジンで
坂道のあるセクター1でトップタイムってなによ。
仕事で定期的に東富士に行く。
「エンジンより空力ですよ。」との私の主張に耳貸す人がいない。をいをい。(苦笑)
秋も深まる頃にカウンターパートの方が欧州の本拠地に移動。
仕事終了の挨拶のあと、ふたりきりで話す。
「もっと続けていたら目標はやりとげられたと思うよ。」とねぎらいの言葉と
非売品のポスター(関係者のみ配布)を頂く。
2004年 春先からえらく低迷。なのに連休明けに本丸の東富士に異動。雰囲気暗し。
ITと名のつくものはすべて面倒をみることになる。
PCの設定からネットワークの申請。
上記異動までの間、本社のITセクションで仕事をしたので顔は効く様になった。
それでもってCADやらCAEやらCFD(計算流体力学)の導入やら。
はたまた、ようやく拡張された欧州本拠地との専用回線関連の本社と東富士の
軋轢の調停などなど。
上記、モナコですごいドライバーを獲得すればなぁうんぬんの話を
梅雨シーズンに聞いた記憶がある。
「モナコで買ったから、ギャラあがっちゃうよねぇ。」と某エンジニア口を滑らす。
エンジンベンチに用もないのに週一回は通う。
だってエンジン音菜まで聞きたいジャン(笑)
何台かあるエンジンベンチの一機がのちのちLF-?というスポーツカーのエンジンとなる。
夏ごろに某エンジニアがBSうんぬんと更に口をすべらす。(笑)
またこの頃、CARTで活躍していたドライバーを解雇。定例MTGの会議室は暗かった。
でも代りのテストドライバー要員も成績ぱっとせず。
「なんで変えたの?」と一部の方々、疑心暗鬼に。
昨年までルノーにいた現ロータスのスーパーエンジニアとエンジン担当の某主査が
欧州本拠地でバトル!その内容を興奮気味に話す某主査を横目でじっくり観察。(笑)
結果からみるとスーパーエンジニア氏に否あり。
サルも木から落ちるのね。
そのバトルの火種となったベルギーGPのエンジンシミュレーションのために、
欧州からエンジニア来日。そのシミュレーションを見に行くために、エンジンベンチ訪問。
エンジン音を聞きながら、「ここはオールージュだね。」、「あっレコンブ。」
、「ここでバスストップシケイン」とコース解説。
そのマニア度ぶりにエンジン担当エンジニアにも関心される。
エンジンベンチでの会話もマニアック。
上記、車載映像からサーキットとコーナーを言い当てる伝説で冷やかされることも。
秋頃に欧州本拠地からITエンジニアが来日。
使っているCADシステムが日本では扱っていない製品だって。
ベルギー経由で強引に持ってきたらしい。
実は社内ITセクションでも問題になっているらしい。
見かけによらず強引なF GM。
来日したのは二名。ひとりはドイツ人(某CAD会社のパンフレットにも登場)
ひとりはスウェーデン人、こいつとはロニー・ピーターソンの話題で盛り上がる。
奥様が日本茶が好きというので、設定で使った機材といっしょに川根茶を送ってやる。
えらく喜んでくれてその後の仕事が大変楽になる。
一方、ケチだと聞いてはいたがドイツ人氏はこちらがコーヒーおごってもまったく動じず。
スウェーデン人はさすがに3回目は遠慮したが。(笑)
ドイツ人氏は富士山見物もしたかったようだが、あいにく天候不良でみえず。
せっかくなので写真が趣味の”三島のオヤジ”からポストカードを入手して、
これも機材といっしょに梱包して送ってやる。
後日、なんてfriendlyは人物だと賞賛された。(笑)
#付け届けは世界共通の技だと認識した瞬間であった。(爆)
さてさて日本GP前になにやらあわただしい動き。
ん?昨年、わたくしが提案したことをやろうとしている?
日本GPのフリー走行2本目でトップタイム。
決勝翌々日の出社日に普段冷静なM氏が興奮気味に語る。
こちらも気合が入る。
その日の午後、欧州にある前線基地と東富士とのIT関連の問題解決のため、
なぜかシャシー担当テクニカルディレターを打ち合わせ。
これで大分、風通しが良くなたかな?
開発スピードが格段によくなるはずである。
これと前後して、空力解析データ管理システムなるものの売り込みがあった。
その会社の営業本部長さんと知り合いになる。
後日(2007年)その方と品川で飲む。
その日はシルバーストーンの近くにある空力解析会社と某H社のF1担当エンジニアが
その方の仲介で邂逅した日でもあった。
「それなら2009年のマシンは楽しみですね。」と私はコメントした記憶がある。
そのマシンはブラウンGPって名前になりましたけどね。(爆)
ブラウンGPを勝たせた男。それは日本人です。
#これは本邦初公開じゃないかな?
これだけどっぷりつかっているにも関わらず成績は低迷。
来期こそはとあらゆる施策を施して年が変わるのを待つ。
「まってろフェラーリ!」それがこの頃の心の叫びであった。
2005年 この年でF1を離れることが確定していたので、まあ記念にと
マレーシアのセパンでおこなわれたK4GPにその自動車会社の有志と参加。
自分の走行中にスコールに見舞われ、アクアプレーニングを起こし、
奥の上り坂のコーナーでコースアウト。
あの雨粒は雨じゃねぇ~よ。
その一ヵ月後に上記モナコですごいなと思ったドライバーが初表彰台に上がる。
その記念ミニカーは後日入手。(笑)
おいらがセパンでコースアウトして、露払いしたせいだろうと今でも思っている。
例のミシュランボイコットのアメリカGP、BSさんは喜んでいるけど、
ポールはうちのチームのドライバーだったんだよなぁ~。(ため息)
#でも結局、ラストイヤーのバーレーンでフロントローとっても勝てなかったからなぁ~
夏前まではフェラーリの背中が見えてたんだよなぁ~
後半失速するのは、シミュレーションや実験データの解析スピードの遅さから
予測はしていた。
そのための対策案も頭の中にはあったが.........。
また、前年に提案した空力用解析データ管理の仕組みがタイヤデータのdiff(違い)を
解析するのに応用できるな!と思いついたのが、転職の面接の席でした。(爆)
ベンチャー企業だったせいか翌日内定でました。
#当時の副社長兼CTOに偉く気に入られたと後々ヘッドハンターから伺いました。
ということで冬には東京に戻り、IT業界にも戻りました。
そして2010年現在.........フェラーリ乗ってます(爆)
まさしく勝ち馬に乗ったわけです。(笑)
収入も当時と比べると.......約2.5倍ってか?(爆)
#↑
#完全に"道楽”でやってましたね、F1は。(笑)
そして
「F1に勝てないメーカーの車は車じゃないよね。」
の迷言を残す。
でもね!
一番、成績がよかったシーズンに自分が関われたのは誇りに思ってますよ。
#今もその時の遺産でメシ食っているようなもんですから。(笑)