
個人的な見解の話しをしようと思ってるので、間違いなどが散見されると思いますが 生暖かく見てもらえばと思います。
マセラティ ビトゥルボと言えば「宇宙一壊れる」と言われているようですが、私見では壊れることは副産物であって “経営再建との闘い” をしていた時期が本来の姿だと思います。
それを「ビトゥルボ(シリーズ?)」と言われていたりしますが「デトマソ期」と呼ぶ方が正しいかと思ってます。
ビトゥルボとはその名の通りツインターボのとこなので、最終的には3200GTになるのかと思います。
しかしながらその後の(現代の)モデルにもツインターボは搭載されてまして、それらをイタリア語ではビトゥルボとなるので宇宙一壊れるという不名誉な称号を持ったビトゥルボシリーズなのかといえば、それは違うのだろうということになります。
つまり「ビトゥルボ」とはツインターボのことであって、私も友人と話す際にビトゥルボという言葉は使うものの、「宇宙一壊れる称号を持ったモデル」を指すならば 本来はデトマソ期という言葉が正しいのかもしれません。
ではそのデトマソ期はいつなのだということになりますが、1975年から1993年と言われてまして、1981年にビトゥルボを発表したことから「宇宙一壊れる」という不名誉な伝説の始まったのだと思います。
80年台と90年台での大まかな違いとして、キャブかインジェクションかという違いがありますが、壊れるという点だけで言えばキャブの方が調子悪いとも言えますし、初期のインジェクションの方が壊れるとも言えるかもしれません。
「経営再建との闘い」で言えば、当然ですが波があるわけでして、良い時と悪い時があって、そのときそのときで作り込みなどに違いがあったと思います。さらに働いてる人たちの技量だってマチマチであったはずなので、壊れにくい個体や壊れやすい個体もあったと思います。
だから「壊れまくる」と感じる個体と「あまり壊れないよ?」と感じる個体があったはずです。
だけどそれこそが「経営再建との闘い」の結果であって、壊れることは(悪い意味での)副産物であるという意味はそこにあります。
なにやら壊れることに価値を感じる話しも聞いたことがあり、まるで「壊れまくるビトゥルボを維持してるオレ凄い」的な話しも聞いたことがありますが、個人的には的外れな話しに感じます。
また時代というものは「そのとき」ということも大切と感じていて、1993年以前当時に乗っていたのかどうかと、そのときには乗ったことがなくて現代に乗ってるのでは違いがあると思います。
別に当時乗っていたから偉いとかそういったことでは全くありませんが、当時の空気感を感じたことがあるかどうかは一つの指針になるかと思います。戦争体験の無い私に戦争は想像するしか無いように。
さらにギブリ2の話しです。設計はデトマソ期であることは確かなのですが、オーナー社長をやったことがある方なら理解してもらえると思いますが、資本が充実する前の1993年までに製造したギブリ2と1995年以降にフィアット資本が入ってからのギブリ2では全く違ったものになることは、例え設計が同じでも違ってくることは容易に想像できると思います。
さらに技術の流入もあって、1995年ころからのギブリ2は一気にマトモな車になっていき、フェラーリ期と言われる1997年ころからはさらに良い車になっていきました。
そのあたりを考えると、やはりギブリ2に関しては「ビトゥルボ」であることは間違いありませんが「デトマソ期」の「宇宙一壊れる」という不名誉な称号は1994年までであると感じます。
つまりは1995年(途中)以降のギブリ2はマトモな車であり「宇宙一壊れる」わけではありません。
設計はそれまでと同じで作り込みや技術流入で良い車になっていったのですから、大変に素晴らしいことで、ギブリ2を買うならば後期の方が良いということは間違いありません。
ただ何故か不名誉な称号である「宇宙一壊れる」ということを 殊更に言いたがる方にはもしかしたら気になる点なのかもしれませんが、あまり壊れない(機械なので壊れることがあるのは当たり前ですが)(また1993年以前モデルとの比較になりますが)ギブリ2を持っているのに「壊れまくるビトゥルボを維持してるオレ凄い」的に考えるのは如何なものかと感じます。
そもそも壊れにくい素晴らしい車になったのですから喜ばしいことなので、私がギブリ2を買うならなるべく後期(1997年とか)を買って「やはり壊れにくくていいな!」と喜んでいると思います。
機械ですし、今では古くなっているので故障があることは当然として、宇宙一は壊れませんよ。
私はデトマソ期に経営再建のために頑張っていた時期のマセラティが好きで、その時期には狂気と絶望があったのだと思います。
しかし狂気と絶望の中で作り出されたモデルには抗いがたい魅力を感じまして、それは壊れるかどうかではなくその時期を乗り越えて製造されたというストーリーを感じるからだと思います。
あくまでも私の考えなので全然違うと思われるかもしれませんし、賛同して欲しいわけでもありません。ただ個人的にそんなバックボーンがある車が好きで持っているわけで、ただそれを現代の技術でどんどん改造してしまうことに矛盾があるのか、はたまた当時出来なかったことを上乗せしているのか分かりませんが、あまり当時を偲んでいてばかりでもなく、私が楽しいと感じる車趣味としてやりたいことをやってしまってます。
(製造年とか〜期が何年とかで間違っているかもしれません。素人の戯言なので間違っていたとしてもスルーしてください。)
Posted at 2025/12/20 10:23:02 | |
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