
先週のお話ですが、
ろなうどの親友でもあり、鉄道界の師匠であった小山(おやま)115系Y392氏(以下 師匠)が、自宅の埼玉から初めて車(90系Vitz RS)で来阪しました。
前日午後5時半にさいたま市内を出発、翌午前1時半に ろなうどの家に到着しました。(早っ!)
疲れも見せずに早速ろなうど邸へご案内。
師匠、オレの部屋を見るなり、またウチの街並みを見るなり相当カルチャーショックを受けてましたよ。
師匠の住む街の方が大都会なのにねぇ~(笑)
今回師匠が来た最大の目的は、105系を撮りに行くこと。
朝9時頃まで寝て、昼前に師匠を連れて自宅を出発し、早速105系が走っている桜井線「京終(きょうばて)~帯解(おびとけ)」間の撮鉄場所へ車でLet's go!!
第二阪奈道路経由で約40分、場所は前回と同様国道169号線沿いにあるスーパー「オークワ」奈良古市店にちょっこら止めて、そこからテクテク歩いて5分の所にある出屋敷踏切付近で撮りました。
早速ご挨拶代わりに105系の原色である春日色が来ましたよ~
桜井線は元々非電化で開業し、1980年に高田駅まで電化されました。
レールは1978年から50Nレールを使用している所を見て、非電化の時に交換されたそうです。
木の枕木で犬釘が使われてますよ。昔ながらですねぇ~
帯解方面から万葉集のフルラッピング車が来ました。
↑の折り返し桜井行きです。
先頭車のクハ105形(クハ105-5)は元常磐緩行線を走った元103系1000番台からの改造です。
午後2時近くまで撮鉄し、そのあと奈良駅に向いました。
ココでみん友のキューブコロコロさん(以下コロコロさん)と合流し、早速桜井線の105系を乗鉄しました。
ろなうども105系に乗るのは2000年8月の宇部線に走る3扉車以来実に12年半ぶりです。
ワンマン運転の為に運賃表示器が付いてます。バス機器流用で、昔はカラオケで有名になったクラリオンが製造したものだと思います。
105系の扇風機です。 コレ、マジでほしぃ~
外見は非冷房に見えますが、一応冷房装置は付いています。
ダクトなどの部品は殆どバスのものを使ってます。
首都圏ではピカピカ輝くステンレス車に最先端のVVVF制御の豪華な4扉車が東西南北に走っているのに対し、コチラは国鉄型車輌が今でも走ってる所で師匠も相当興奮してましたよ。
途中の桜井駅で降りて、後発の和歌山行きが来るまでの間、奈良から乗車した105系を撮ることにしました。
画像の105系はクモハ105形500番台のトップナンバー、クモハ105-501で旧番号はモハ103-1031で、昭和46年3月に東急車輛(東京)で製造され、昭和59年5月に大井工場にて105系に改造されました。
DT21T付随代車、昔101系にも採用された台車で両抱式ブレーキが実に懐かしいッス。
約30分後に和歌山行きの105系に乗車しました。
来た105系は先程京終で撮鉄して撮った、元103系1000番台顔のクハ105-5です。
その運転台です。
高田駅に到着しました。
左はエメグリ(厳密にはターコイスブルー)の105系が止まってました。
桜井から乗ったクハ105-5は、前述の通り元常磐緩行線に走った103系1000番台からの改造で、旧番号はクハ103-1017で、昭和46年2月に川崎重工で製造、昭和59年8月に長野工場にて105系に改造されました。
ちなみにクハ105-5の相方はクモハ105-515であり、旧番号はモハ103-1014で、昭和45年12月に ろなうどの家の近くにある近畿車輛で製造、昭和59年6月に広島工場にて105系に改造されました。
ココから先は画像はありませんが、和歌山線に乗って王寺駅まで行き、そこで一旦下車して近くのマクドで軽食、王寺から関西線221系大和路快速に乗って奈良駅に戻りました。
(画像クリックすれば結構大きく見れるよ~)
そしてコロコロさんを自宅の最寄り駅まで自分のキューブで送り、午後9時頃に師匠と共に自宅に戻りました。
そのあと師匠を連れて、近くにある ろなうどお薦めのアメリカンダイナー「#1 U.K WILDCATS CAFE」に連れて行き、一緒に食事しました。
師匠もあの飯の量に驚きながらも完食しました。 スゴイ!!
この日は終日暖かく、またお目当ての105系春日色とエメグリも見れて師匠も大変満足していましたよ。
師匠、またお出でね~
前編おしまい
後編へつづく~ (キートン山田風に)
Posted at 2013/03/16 22:35:22 | |
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