
Double Fantasy / John Lennon (1980)
イカした4人組の1人だったジョンレノンが、妻オノヨーコさんと二人の名義で残した事実上のラストアルバム。リリースはジョンが凶弾に倒れる1980年。ジャケットの写真は日本人写真家篠山紀信氏の手によるものです。
さて、つい昨日ビートルズを取り上げたばかりです。はてどうしたものかとは思いました。おまけに今日はカミさんが非番で一日中家にいます、長びくのは避けたいところ。でも、いずれ目の黒いうちにはと考えてはいたので、少し早まった感はありますが、ま、良しとします。
という訳で、朝3時半に寝床を抜け出して、ごく小さな音量でCDを回しながら、スマホに向かっています。いま4時10分、家主が起きてくる前に書き上がるといいのですが……
そもそもの話が、このアルバムはドライブに向くのだろうか、という疑問があります。諸々ご意見があるのはわかります、重々理解はしているつもりです。ただ、ダブルファンタジーを聴くためには密室が必要だ、という一点においては、なんとか満場一致での同意をいただきたいと思います。理由はあとで書きますが、迂闊にこのアルバムを他の人の前で聴こうものならエラいことになりかねません。そこに年端のいかないお子さんでもいたら、それこそ児童福祉事務所の出番になるおそれがあります。かと言って、この現代社会に完全な密室なんて容易に見つかるものでしょうか………お、ありますね、ありました、ほら、いま、ここに、目の前に^_^
そんなことより、ちゃぐ爺よ、お前、起きてからスマホに向き合うまでの30分間、どこで何をしてたんだ?
いや、実は納戸で探し物をしてました、懐中電灯もって……
えっ、探しものだって……で、見つかったん?
はい、おかげさまで。ありがとうございます。
朝っぱらからご苦労なこったな、って、これかい探してたっつうのは、あん、「ジョンレノン詩集」、さてはテメェ、カルトの信者だな、白状しろっ!
はい、そのような者だったことはあります、おっしゃるとおりです……そろそろはじめましょうか、ボクがまだジョンの信者だった頃の話あたりから^_^
寸劇にお付き合いいただき、ありがとうございます。本筋に進みます。今回も長くなりそうですが、ひとつよろしくお願いします。
1975年、ジョンレノンは公衆の面前から姿を消します。その理由としては、ヨーコさんとの間に一人息子のショーンが生まれたことが定説になっています。主夫宣言を出したジョンは、ヨーコとショーンを連れて日本で暮らしはじめました。
余談になりますが、ジョンにはショーンのほかにもう一人子供がいます。先妻との間に生まれた男の子で、名前をジュリアンといいます。ビートルズ解散前からジョンはヨーコに夢中で、家庭などかえりみないダメ親父、ジュリアンはいつも独りぼっちです。主夫が聞いて呆れます。その日も録音スタジオに一人たたずんでいたジュリアンを見たポールは、たまらず声をかけます、「おいジュリアンそんなに落ち込んじゃだめだよ」。その声はさざなみのように拡がり、やがてはスタジオ全体での大合唱となりましたとさ、と見てきたようなことを書きましたが、ヘイジュード誕生秘話として、広く語り継がれているところではあります。ジュリアンへの応援歌として生まれたこの歌は、NHKで見たのですが、圧政下のソ連でも聞かれていたそうですね。市民たちは物資が不足する中、レントゲンのフィルムやら何やらに刻み込んだ自作のヘイジュードを地下室に持ち込んでは、夜な夜な回していたそうです。この歌は、その後も彼らを励ましつづけ、やがてロシア民主化運動の原動力にもなったといいますから泣かせます。
ところで、ジョンの引退騒動ですが、ショーンの誕生が原因だという説には、異議があり、違うんじゃないかと思っています。
60年代後半から70年代前半まで、ジョンは、反戦運動のカリスマであり、平和主義運動のリーダーでした。その裏付けとしては、ベトナムの泥沼にハマっていたアメリカ政府が、ジョンを危険分子とみなして徹底的な監視下に置いていたとする、公開済みの公文書があります。さらにその立ち位置は、周囲が勝手に作り上げたものだとばかりは言えず、自身「マインドゲリラ」などと称して活動していましたから、ジョンにとっても余計な迷惑ではなかったはずです。いずれにしても、当時、無数の熱烈なジョンレノン信者が地球上に溢れかえっていたことは、紛れもない事実です。
しかし状況は劇変します。アメリカが支援する南ベトナムの傀儡政権は劣勢を余儀なくされ、1975年、ついに首都サイゴンが陥落、ベトナムは社会主義政府の下で統一され戦争も終わりました。たちまち世間の空気は一変します。ばんばひろふみさんが「いちご白書をもう一度」で歌った、あの時代の空気感です。
こうなると、ジョンの存在は急速にダサいものになっていきます。まだジョンレノンなんか聴いてんのかよ。戦争は終わったのに。時代は変わったんだぜ。そんな世界の豹変ぶりを、人一倍敏感に受け止めていたのは、ジョン自身だったはずだと考えます。
勝手な想像になりますが、ついにジョンは悟ります、俺の時代も終わったな、と。はたして隠遁生活がはじまります。1975年です。どうでしょう、ジョンが主夫宣言を発した第一の理由は、本当にショーンが生まれたことでしょうか?
閑話休題
しばしの日常を満喫したジョンは、再起を考えはじめます、そろそろ出直しするか……ダブルファンタジー誕生の時が近づいて来ました。
準備はいかがでしょうか?
ドアはしっかり閉めましたか?
窓は開いてませんか?
1曲目はジョンによる復活報告。僕たち二人は十分成長したと言い、また、悠々自適の暮らしは長過ぎたと、5年の歳月を振り返ります。これまでの繰り返しではない、新しい愛のある生活が始まろうとしてる………
いい感じです。
と喜んだのも束の間、ここで、ヨーコ姐さんに出番が回ってきます。なんだ、なんだ、このエロテクノパンクは!
ね、密室で良かったでしょ。いくらダブルな作品だからといってもファンタジー過ぎます。方向性も間違ってますよね。いや、ヨーコさんのことが嫌いなわけではないのです、下の娘にヨーコって名前をつけたくらいですから。でも、これは駄目です^_^!
この調子でこのアルバム、ちょくちょく姐さんが登場しますので油断なりません。
5曲目は、「ジェラスガイ」を想起させるような、別れの気配におびえる男の心情を吐露した名曲に聞こえます。
東洋趣味なイントロではじまる7曲目、ここで歌われるビューティフルボーイはショーンのことであっても、どうやらジュリアンのことではなさそうです。
つづく8曲目は、のちに世界を驚かせ、もう一度ボクたちにジョンレノンを思い出させることになる問題作だと受け止めていますので、最後に回させていただきます。
10曲目は、女性に対する感謝と謝罪を込めた一曲。いくらどうあがいても男は女には勝てない。おじいさんが一生懸命に稼いで建てた家でも、孫にとってはおばあちゃんち。そういう歌です。ホントかい^_^
11曲目になって初めて、「少年」が複数形になりました。
さ、最後の大問題に取り掛からなければならない時がきました。あしたのジョーは死んだのか問題と並ぶ難問、誰がジョンレノンを殺したのか問題、です。
ジョンは、1980年12月8日午後10時50分、ニューヨークの自宅アパートから出てきたところを、サインを求めて近づいてきた一人の男マークチャップマンにピストルで射殺されました。これは確かな事実で間違いありません。問題の核心は、なぜジョンは撃たれなければならなかったのか、チャップマンはなぜジョンを撃たなければならなかったのか、にあります。
その答えがダブルファンタジーの8曲目「車輪を見つめながら」に隠れている、とボクは確信しています。
この歌の中でジョンは、回転する車輪を黙って外から眺めています。回っているのはどうやらメリーゴーランドらしいのですが、ジョンは乗っていません。復帰は果たしても、再びもとの立場に戻るつもりなどさらさらなく、ただ、愛妻ヨーコと二人で子育てをし、世の移ろいを眺めながら、静かに作品をつくって歌っていきたい、もう少し先で証明を試みますが、きっとそんな心境だったのだと思います。
1975年に活動を休止した時点で、ジョンレノン信者は激減しました。ただし、ゼロになったわけではなく、少なからずの残党が教団に留まったはずです。
残党の中に、のんきに隠居暮らしを楽しむ教祖の姿を苦々しい思いで睨んでいるような輩がいても不思議ではありません。また一部の熱狂的なファンは、復帰したにもかかわらずリーダーの椅子に座ろうとしないジョンに幻滅したかも知れません。
歌詞の一部を意訳して紹介します。
みんなが僕に忠告してきます
そんなざまではダメになっちゃいますよ
僕が大丈夫だと答えるとこう言います
ゲームに参加しないと幸せにはなれません
みんなが僕のことを怠け者だと言います
もっと利口に振る舞った方がいいですよ
こうしている僕は満足してるのに
パーティの日々が恋しくはないのですかと
僕はただ座って車輪を見つめています
それが回るのを見てるのが好きなのです
もうメリーゴーランドには乗りません
あとはただ回るにまかせるだけで
齢40にして至った心の境地がこれです。ジョンの正直な思いがひしひしと伝わってきませんか。たまらず応援したくなります。
しかし、あのファンの男の耳には、そうは聞こえなかったのかも知れません。勝手に一人で降りないでください、話が違うじゃありませんか。そんなふうに感じたのでしょうか。この歌がもしかして殺害の動機になったのだとしたら、切ない物語の終わりだと言うほかはありません。
ジョンは、みずから捨てようとした自分自身に、殺されたのだと思います。人生を一からやり直すことを許されなかった男。これがボクなりの結論です。貴方は墓穴を掘ったのです、とは言い過ぎでしょうか?
かつて日本人は熱狂し、自分たちを自分たちで煽りまくった挙句、どう逆立ちしたって勝てるはずのないアメリカを相手に戦争を仕掛けました。やめときましょうよと主張する政治家や軍人はいましたが、国民はそれを許しませんでした。日本人は日本人の教祖であり、日本人は日本人の信者でした。異教徒は非国民と蔑まれしたが、結局はすべての日本人が同じ塗炭を舐めました。
ジョンの命日も、太平洋戦争が始まった日も、時差を無視すればどちらも同じ12月8日。
最後の最後のところで、戦争嫌いの爺サマがシャシャリ出てきちゃいました。以後厳に慎むよう言い聞かせておきますので、きょうのところはご容赦ください。と、以上が、ダブルファンタジーの段となります。蛇足と言っては叱られますが、ジョンからみなさんにメッセージが届いています、代読して記事を締めくくりたいと思います。本日は誠にありがとうございました。
さあクリスマスです
この一年はどうでしたか
新しい年はもうぐそこ
近しい人に親愛なる人
年をとった人に若い人
みなさん楽しんでくださいね
心の底からメリークリスマス
明けましておめでとう
憂いごとなどひとつもない
よい年でありますように
さあクリスマスですよ
弱い人に強い人
お金持ちに貧しい人
この世界は間違ってます
だからみんなにメリークリスマス
黒い人に白い人
黄色い人に赤い人
争いごとはやめましょう
本当にメリークリスマス
新年あけましておめでとう
心おだやかな
よい一年になりますように

Happy Xmas Yoko
Happy Xmas John