備中松山城

2017年11月四国お城巡り1に組込みました。
●1日目・2017年11月06日①犬山城(64枚撮影70分)11箇所目~➁彦根城(151枚撮影78分)12箇所目。
●2日目・~11月07日瀬戸大橋と鷲羽山とあたごループ橋(76枚)~③備中松山城(117枚撮影4時間26分)13箇所目~倉敷美観地区(40枚撮影30分)~しまなみ海道(139枚撮影2時間)~道後温泉と松山市路面電車(74枚)。
●3日目・~11月08日④伊予松山城(180枚撮影110分)14箇所目~⑤伊予宇和島城(67枚撮影50分)15箇所目~四万十川(33枚撮影1時間40分)~土佐中村城(10枚撮影10分)16箇所目。
●4日目・~11月09日仁淀川(43枚撮影90分)~⑥土佐高知城(135枚撮影90分)17箇所目~⑦讃岐丸亀城(81枚撮影60分)18箇所目~讃岐高松城(128枚撮影71分)19箇所目。
●5日目・~11月10日紀州和歌山城(139枚撮影76分)20箇所目~高野山(122枚撮影2時間10分)に組込みました。
雲海に浮かぶ幻想的な備中松山城が魅力とは思いますが、天候と時間によっては雲海が見られないので考えて行って欲しい。
しかし天守まで750m細い山道を20分以上登る苦労や、新幹線からの距離を考えると、行くには決心が必要です。_2017年11月07日見学。
でも趣のあるこのお城は、お城好きなら是非見学して欲しい。
追記、2019年11月16日再訪問。
●1日目・2019年11月14日①福知山城再び(39枚撮影20分)57箇所目~兵庫県➁篠山城(289枚撮影1時間57分)114箇所目~③出石城・有子山城(197枚撮影2時間6分)115箇所目~鳥取県④鳥取城(265枚撮影1時間40分)116箇所目。
●2日目・~11月15日・島根県⑤松江城再び(266枚撮影1時間39分)6箇所目~⑥月山富田城(411枚撮影3時間14分)117箇所目~鳥取県⑦米子城(234枚撮影1時間50分)118箇所目。
●3日目・~11月16日・岡山県⑧備中松山城再び(413枚撮影3時間36分)13箇所目~⑨備中鬼ノ城(294枚撮影2時間12分)119箇所目~兵庫県⑩赤穂城(254枚撮影1時間57分)120箇所目。
●4日目・~11月17日⑪龍野城(364枚撮影3時間24分)121箇所目~大阪府⑫千早城(126枚撮影2時間42分)122箇所目。
●5日目・~11月18日・奈良県⑬高取城(394枚撮影2時間54分)123箇所目~⑭大和郡山城(232枚撮影1時間33分)124箇所目~三重県⑮伊賀上野城再び(65枚撮影50分)88箇所目のお城巡りに組み入れました。
2回目は、413枚撮影3時間36分でした。
普通の人ならバス待ち時間含めて4時間半、麓の高梁高校付近も撮影なら550枚4時間半、展望台で朝一撮影なら570枚6時間コースです。
●2024年3月26日①須磨・姫路城(3回目)(268枚撮影・4時間31分)・5箇所目外堀と門跡~②備前・岡山城(2回目)(338枚+市電3枚撮影・2時間6分)・58箇所目西の丸櫓と本丸再撮影~③備中・松山城(3回目)(92枚撮影・1時間20分)麓館跡~山麓曲輪・13箇所目。
姫路城3回目は外濠を制覇、搦手は未だに通行止めが残念なので満足感80点、岡山城は西の丸櫓、門跡、櫓跡、本丸周り制覇で満足感90点、備中松山城は満足感85点でした。
●2024年3月27日④伊予・松山城(3回目)(464枚撮影・3時間47分)本檀天守と二の丸御殿跡~10時半~⑤伊予・今治城(2回目)(303枚撮影・2時間54分)本丸周辺櫓跡/外曲輪~。
松山城は前回入れなかった本壇天守と二の丸庭園が見学出来て満足感98点、今治城は天守内等撮影禁止が有りますが、城郭図に載った建物跡まで撮影出来ましたので満足感84点です。
●2024年3月28日⑥金比羅宮(128枚撮影・1時間15分)~★⑦追加・善通寺(89枚撮影・56分)~⑧讃岐・丸亀城(3回目)(403枚撮影・3時間38分)修復中の石垣/全体的~⑨蒲生うどん・0877-48-0409/山下うどん~⑩讃岐・高松城(2回目)(242枚撮影・2時間4分)新曲輪・県民ホール周辺/全体的~。
金比羅宮は奥の院が下りで片道30分をパスしたので満足感88点、善通寺は平地で楽チンで満足感90点、丸亀城は石垣修復中と搦手が未撮影ですが満足感86点、高松城は予定外に香川県民ホール周辺の石垣/櫓跡が撮影出来て満足感90点。
●2024年3月29日⑪西本願寺(115枚撮影・1時間32分)〜⑫東本願寺(71枚撮影・45分)~⑬清水寺(118枚撮影・1時間53分)~⑭蓮華王院・三十三間堂(63枚撮影・1時間2分)~⑮京都鉄道博物館(166枚撮影・57分)~⑯山城・淀城(3回目)(18枚撮影・42分)。
今日は朝から西本願寺は満足感90点、東本願寺満足感87点、清水さんは疲れたけど満足感90点、三十三間堂は満足感87点、京都鉄道博物館は80点、淀城跡82点でした。
●2024年03月30日⑰臨済宗天龍寺派大本山・天龍寺(135枚撮影・1時間37分)~⑱旧嵯峨御所・大覚寺(2回目)(120撮影・1時間17分)~⑲上賀茂神社(2回目)(90枚撮影・56分)~⑳下賀茂神社(2回目)(71枚撮影・49分)~★㉑追加・八坂神社(63枚撮影・54分)~龍安寺再び(枚撮影・時間分)9時~金閣寺再び。
今日は天龍寺は満足感83点、大覚寺は満足感89点、上賀茂神社は満足感83点、下賀茂神社は満足感81点、八坂神社は花見で混んで満足感79点でした。
●2024年03月31日★㉒追加・伊勢・桑名城(3回目)(68枚撮影・2時間6分)南北大手門跡/京町見附跡/移築門~㉓尾張・名古屋城(2回目)(150枚撮影・3時間28分)三の丸/本丸/二の丸~★追加(岐阜県には間に合わず、いつか行くつもりだった)・㉔熱田神宮(100枚撮影・1時間21分)~。
お城巡りは桑名市付近で寝たので、急遽追加した桑名城の大手門跡と見附跡と移築門の撮影で右往左往、もっと早く起きれば良かったが全て撮影出来て満足感95点、名古屋城は工事中と関係者以外立入禁止でも予定の撮影は出来て満足感90点、次は予定が変わり熱田神宮は立入禁止区域以外は撮影出来て満足感90点。
●2024年4月1日★㉕追加・美濃・岩村城(2回目)(172枚撮影・2時間20分)八幡神社/二の丸・112箇所目~★㉖追加・美濃・苗木城(2回目)(135枚撮影・2時間30分)48曲がり/高森神社/風穴・113箇所目~㉗信濃・高遠城(2回目)(40枚撮影・29分)笹曲輪/大手門跡/三の丸門跡/搦手門跡・147箇所目。
岩村城2回目は下から登ったせいか楽でした。神社と二の丸を撮影出来て満足感90点。
苗木城は48曲がり登城口が遠く車でも大変なので諦めましたが満足感93点でした。
高遠城は目標の笹曲輪と大手門跡が撮影出来て、前回と合わせて93%撮影で満足感87点。
●2024年4月2日★㉘追加・諏訪大社・下社(春宮/秋宮)(129枚撮影・1時間59分)~
㉙諏訪・高島城(2回目)(221枚撮影・1時間56分)。
諏訪大社下社は春宮と秋宮の両方行き満足感85点でした。
高島城は続100名城スタンプもゲット出来たし、市役所近辺の二の丸、三の丸、南の丸まで撮影出来て満足感87点でした。
しかし29箇所訪問で雨は姫路城と高松城のみで晴男の面目躍如でした。
3月25日昼出発し29箇所の御城/御寺を訪問見学(7箇所追加、2箇所行かず)4月2日16時過ぎに帰宅、8日4時間で2338.5km走行しました。
もし展望台スタートで戻るなら7時間コースです。
まぁ健脚で無い方は止めてください。
展望台に6時前から駐車スペース確保し、7時半頃バス乗り場に来るのが正解でしょう。
もし、バス乗り場から徒歩で登ると往復だけで、1時間以上掛かるルート選択もお勧めしません。
上のバス乗り場からでも、初心者の最初は気付かなかった櫓跡が沢山あります。
自然石と石垣の組み合わせも素晴らしい。
二重櫓跡下まで見て欲しいです。
バス終着点麓側にも下太鼓の丸跡があります。
又、備中松山城こと小松山城の先に、大松山城跡が有りますが、アップダウンが凄いうえ遺構の石垣も僅かなのに、往復55分普通80分掛かるのにクロスカントリーの達成感のみで、お城巡りの楽しさが少ないので、中級者以上で体力に自信のある方以外はお薦めできません。
関連リンクよりフォトギャラリー検索で、写真が見られます。
再訪問の2019年11月16日分は、2021年5月頃アップ予定ですので、少々お待ちください。
===================HPより===================
松山城(まつやまじょう)は岡山県高梁市内山下にあった日本の城(山城)である。
別名、高梁城(たかはしじょう)。
愛媛県松山市にある松山城を初め、各地の松山城との混同を避けるために、一般的には「備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)」と呼ぶ。
日本100名城です。
現存天守12城の一つでもあり、現存天守中で唯一の山城である。
臥牛山山頂(標高487m)から南稜線にかけて遺構が残っており、そのうち一つである小松山城跡に現存天守(標高430m)がある。
城のある臥牛山(松山)は4つの峰からなり、小松山に本丸・二の丸・三の丸が階段状に配され、大松山、天神の丸、前山にも遺構がある。
海抜約430mの臥牛山小松山山頂の本丸へは、麓の城下町から約1,500m、1時間ほどの道のりがある。
この城は戦に備えて建設された「詰の城」であり通常はあまり使われていなかったと思われる。
江戸期の備中松山藩時代は山城で不便なため、山麓の城下町に「御根小屋」と呼ばれる藩主の御殿と家来の武家屋敷群を構え、そこで藩の政務を行った。
現在、御根小屋の跡地は岡山県立高梁高等学校となっている。
仁治元年(1240年)、秋庭三郎重信が備中有漢郷(現・岡山県高梁市有漢町)の地頭となり大松山に最初の城を築いた。
元弘年間(1331年頃)、高橋宗康が小松山まで城を拡張した。
城主は時代と共に上野氏、庄氏、三村氏と変遷する。
戦国時代、三村元親の時代には大松山・小松山を範囲とする一大城塞となった(現在も石垣の一部が残る)。
昭和16年(1941年)には天守、二重櫓、三の平櫓東土塀の3棟が当時の国宝保存法に基づく国宝(旧国宝、現行法の「重要文化財」に相当)の指定を受ける。
これら3棟は、昭和25年(1950年)、文化財保護法の施行により、重要文化財となった。
昭和31年(1956年)11月7日には城跡が国により史跡に指定される。
昭和35年(1960年)、高梁市が管理団体となる。
平成6年(1994年)より本丸の復元整備が行われ、本丸南御門、東御門、腕木御門、路地門、五の平櫓、六の平櫓、土塀などが復元された。
平成18年(2006年)4月6日、日本100名城(68番)に選定された。
716-0004 岡山県高梁市内山下1
住所: 岡山県高梁市内山下1
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