淡路洲本城

2018年9月末、1日目2018年09月28日・竹田城(140枚撮影2時間17分)56箇所目~福知山城(93枚撮影・58分)57箇所目~岡山城+後楽園(177+89枚撮影・2時間10分)58箇所目。
~2日目2018年09月29日・大洲城(207枚撮影・2時間21分)59箇所目~今治城(235枚撮影・1時間56分)60箇所目~川之江城(77枚撮影・49分)61箇所目~丸亀城再び(107枚撮影・63分)18箇所目。
~3日目2018年09月30日・洲本城(222枚撮影・1時間58分)62箇所目~明石城(175枚撮影・2時間1分)63箇所目~岸和田城(84枚撮影・52分)64箇所目。
~4日目2018年10月01日・甲府城(185枚撮影・1時間36分)65箇所目(予定は上野城が台風で変更)で巡りました。
淡路洲本城は、紀伊水道に面した小高い山頂と普段いる麓(現在は博物館)があります。
山頂のお城は眺めはいいですが、残念なことに耐震のため天守二階への階段は撤去されています。
石垣も崩れていたりと残念なことになっていますが、かなり広範囲に広がっていて見応えはあります。
下手なナビだと狭い道路の道案内になるので、調べてから行って下さい。
名城スタンプも博物館にしか有りません。
鳴門の渦潮見学とセットがお勧めです。
関連リンクのフォトギャラリー検索に貼ったURLより写真を見てください。
================HPより==============
洲本城(すもとじょう)は、淡路国津名郡洲本(現在の兵庫県洲本市小路谷)にある日本の城跡。
別名三熊城。
1526年(大永6年)、三好氏の重臣・安宅治興が築城した。治興の後は養子安宅冬康(三好長慶弟)、冬康死後は長男信康、二男清康へ受け継がれ、1581年(天正9年)の淡路討伐の際、総大将羽柴秀吉に降り、城は仙石秀久に与えられた。
しかし、秀久は九州征伐の際に軍律違反を犯して高野山へ追放され、かわって脇坂安治が城主となり、天守が造営されるとともに、石垣の大改修の際、倭城での経験から「登り石垣」が築かれた。
大坂夏の陣の後、徳島藩の蜂須賀氏の所領となり、筆頭家老の稲田氏一族が由良城代となるが、交通の便が悪いなどの理由から1631年から1635年にかけて由良城を廃して洲本城に再び本拠を移した。
この移転は城下町ごとの大移転であったため俗に「由良引け(ゆらびけ)」と呼ばれている。 現在は曲輪、池、石段、石垣、櫓跡などが残る。
上下の城を繋ぐことで防御力を高めた「登り石垣」という全国でも数例しかない珍しい遺構が良好な状態で保存されていることが評価され、2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城に選定された。(164番)
住所: 兵庫県洲本市小路谷
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