淡路洲本城

2018年9月末、1日目2018年09月28日・竹田城(140枚撮影2時間17分)56箇所目~福知山城(93枚撮影・58分)57箇所目~岡山城+後楽園(177+89枚撮影・2時間10分)58箇所目。
~2日目2018年09月29日・大洲城(207枚撮影・2時間21分)59箇所目~今治城(235枚撮影・1時間56分)60箇所目~川之江城(77枚撮影・49分)61箇所目~丸亀城再び(107枚撮影・63分)18箇所目。
~3日目2018年09月30日・洲本城(222枚撮影・1時間58分)62箇所目~明石城(175枚撮影・2時間1分)63箇所目~岸和田城(84枚撮影・52分)64箇所目。
~4日目2018年10月01日・甲府城(185枚撮影・1時間36分)65箇所目(予定は上野城が台風で変更)で巡りました。
2026年3月末・四国お城巡り変更⇒九州お城巡り4を計画しました。
●2026年3月25日豊前・小倉城再び(2回目)(20枚撮影・15分)夜景・145km。
●2026年3月26日長門・萩城(2回目)(178枚撮影・3時間59分)7時20分~11時20分・188km⇒筑前・福岡城再び(3回目)(190枚撮影・3時間2分)13時30分~16時30分・55km⇒唐津のイカ
●2026年03月27日肥前・唐津城(3回目)(283枚撮影・4時間19分)8時~12時20分・18km⇒肥前・名護屋城(2回目)(452枚撮影・4時間0分)12時46分~16時46分・91km⇒
●2026年03月28日・肥前・平戸城(3回目)(296枚撮影・4時間4分)7時19分~11時23分・102km⇒肥前・玖島城(大村城)(170枚撮影・1時間30分)13時16分~14時46分・84km⇒肥前・佐賀城(2回目)(224枚撮影・2時間43分)16時16分~18時59分・52km⇒
●2026年03月29日筑後・柳川城(83枚撮影・1時間54分)8時34分~10時28分・25km⇒筑後・久留米城(161枚撮影・2時間54分)11時12分~14時06分・113km⇒豊前・中津城(2回目)(289枚撮影・2時間17分)16時4分~18時21分・85km⇒関サバ/別府温泉と別府から宇和島フェリー(23時50分発2時間45分着)
●2026年03月30日伊予・松山城(4回目)(138枚撮影・3時間45分)7時22分~11時07分・4km⇒伊予・湯築城/道後公園(2回目)(20枚撮影・12分)11時56分~12時08分・57km⇒伊予・大洲城(3回目)(193枚撮影・1時間51分)13時14分~15時5分・40km⇒伊予・宇和島城再び(3回目)(190撮影・2時間44分)15時43分~18時27分・18km⇒
●2026年03月31日伊予・河後森城(191枚撮影・1時間55分)7時11分~9時6分・59km⇒土佐・中村城(2回目)(175枚撮影・1時間52分)10時29分~12時21分・130km⇒土佐・高知城再び(3回目)(127枚撮影・1時間52分)14時59分~16時51分・12km⇒土佐・岡豊城(50枚撮影・26分)17時24分~17時50分・164km⇒
●2026年04月01日・阿波・徳島城(2回目)(189枚撮影・3時間8分)8時2分~11時10分・59km⇒淡路・洲本城(2回目)(191枚撮影・1時間43分)12時16分~13時59分・67km⇒播磨・明石城(2回目)(181枚撮影・3時間30分)15時06分~18時36分・53km⇒
●2026年04月02日播磨・姫路城再び(4回目)(170枚撮影・4時間32分)8時34分~13時06分・88km⇒播磨・尼崎城(100枚撮影・51分)14時56分~15時47分・31km⇒河内・飯盛城(57枚撮影・1時間37分)・17時11分~18時48分・558km⇒●4月3日朝着。
淡路洲本城は、紀伊水道に面した小高い山頂と普段いる麓(現在は博物館)があります。
山頂のお城は眺めはいいですが、残念なことに耐震のため天守二階への階段は撤去されています。
石垣も崩れていたりと残念なことになっていますが、かなり広範囲に広がっていて見応えはあります。
下手なナビだと狭い道路の道案内になるので、調べてから行って下さい。
名城スタンプも博物館にしか有りません。
鳴門の渦潮見学とセットがお勧めです。
関連リンクのフォトギャラリー検索に貼ったURLより写真を見てください。
================HPより==============
洲本城(すもとじょう)は、淡路国津名郡洲本(現在の兵庫県洲本市小路谷)にある日本の城跡。
別名三熊城。
1526年(大永6年)、三好氏の重臣・安宅治興が築城した。治興の後は養子安宅冬康(三好長慶弟)、冬康死後は長男信康、二男清康へ受け継がれ、1581年(天正9年)の淡路討伐の際、総大将羽柴秀吉に降り、城は仙石秀久に与えられた。
しかし、秀久は九州征伐の際に軍律違反を犯して高野山へ追放され、かわって脇坂安治が城主となり、天守が造営されるとともに、石垣の大改修の際、倭城での経験から「登り石垣」が築かれた。
大坂夏の陣の後、徳島藩の蜂須賀氏の所領となり、筆頭家老の稲田氏一族が由良城代となるが、交通の便が悪いなどの理由から1631年から1635年にかけて由良城を廃して洲本城に再び本拠を移した。
この移転は城下町ごとの大移転であったため俗に「由良引け(ゆらびけ)」と呼ばれている。 現在は曲輪、池、石段、石垣、櫓跡などが残る。
上下の城を繋ぐことで防御力を高めた「登り石垣」という全国でも数例しかない珍しい遺構が良好な状態で保存されていることが評価され、2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城に選定された。(164番)
住所: 兵庫県洲本市小路谷
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