遠江・浜松城(曳馬城)

遠江浜松城(曳馬城)は元々今川義元が治めていたお城です。
織田信長と徳川家康連合軍に敗れ戦死し息子の代に没落。
徳川家康のお城になり、その後の城主が配置換えでどんどん出世していったため、出世城と呼ばれているようです。
流石徳川が治めてきたお城だけに立派なお城です。
私は、●2018年03月02日美濃・岐阜城(89枚撮影・59分)21箇所目~美濃・墨俣城(すのまたじょう)一夜城(35枚撮影・15分)22箇所目~美濃・大垣城(48枚撮影・23分)23箇所目~近江・長浜城(18枚撮影・10分)24箇所目。
●2018年03月03日加賀金沢城再び/兼六園(51枚撮影32分)125枚撮影118分(兼六園含む)25箇所目~越前・丸岡城(84枚撮影・42分)26箇所目~越前・大野城(54枚撮影・1時間11分)27箇所目。
●2018年03月04日尾張・清洲城)(37枚撮影・20分)28箇所目~尾張・小牧山城(57枚撮影・54分)29箇所目~三河・岡崎城(100枚撮影・54分)30箇所目~遠江・浜松城(74枚撮影・35分)31箇所目~遠江・掛川城(158枚撮影・1時間14分)32箇所目・の12箇所を、2017年GW、2017年11月に続き、お城巡り3回目も急ぎ足で回りました。
3月4日に尾張清須城~尾張小牧城~三河・岡崎城~遠江浜松城~遠江・掛川城を強行軍で観光しました。
最初の二つの(尾張清須城~尾張小牧城)は開館前に退散だったので実際天守や周りの堀まで見たのは後半の3つのお城だけです。
駐車場は市役所駐車場を使用しました。
追記、2020年堀跡の発掘調査が進んだようなのと、続100名城スタンプゲットに再訪問します。
●2020年10月07日一乗谷城・山城再び(234枚撮影・4時間48分)110箇所目~小浜城(105枚撮影・58分)139箇所目。
●10月08日大和郡山城再び(33枚撮影・37分)124箇所目~薬師寺(123枚撮影・1時間30分)~唐招提寺(75枚撮影・59分)~二条城(302枚撮影・2時間22分)140箇所目~伏見桃山城(63枚撮影・34分)141箇所目。
●10月09日長岡天満宮(23枚撮影・20分)長岡京公園~勝竜寺城跡(33枚撮影・28分)142箇所目~伏見桃山城(81枚撮影・38分)141箇所目~淀城跡(129枚撮影・1時間01分)143箇所目~水口城(91枚撮影・40分)144箇所目~犬山城再び(330枚撮影・1時間59分)11箇所目。
●10月10日小牧山城再び(330枚撮影・1時間59分)29箇所目~岡崎城再び(336枚撮影・1時間43分)30箇所目~西尾城(244枚撮影・1時間29分)145箇所目~長篠城跡(229枚撮影・1時間21分)146箇所目。
●10月11日豊橋吉田城再び(255枚撮影・1時間41分)92箇所目~浜松城再び(313枚撮影・1時間21分)31箇所目~掛川城再び(378枚撮影・2時間0分)32箇所目と、お城16箇所と神社お寺3箇所をかなり強行軍日程で見学できました。
但し、8箇所が新規のみで写真撮影再び8箇所のお陰です。
浜松城のHPは、
https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/koen-kan/park/parks/hamamatsujou/
関連リンクのフォトギャラリー検索に貼ったURLより写真を見てください。
=======================HPより==========================
浜松城の前身は15世紀頃に築城された曳馬城であり、築城時の城主は不明である。
16世紀前半には今川氏支配下の飯尾氏が城主を務めていた。
この頃の引馬城は、江戸時代の絵図にみられる「古城」と表記された部分であり、現在の元城町東照宮付近にあたる。
徳川家康が元亀元年(1570年)に曳馬城に入城し、浜松城へと改称。城域の拡張や改修を行い、城下町の形成を進めた。
徳川家康在城時における浜松城の具体像は不明確であるが、古文書や出土遺物から現在の本丸に向けて城域が拡張されたことが窺える。
また、徳川家康が築造した浜松城は、土造りの城であり、石垣や瓦葺建物を備えていなかったとされる。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦い以後、江戸時代を通じて徳川家譜代大名の居城となり、浜松城から豊臣色は失われる。
江戸時代の浜松城主は九家二十二代に引き継がれていき、歴代の城主によって城域の改変・改修が進められた。
住所: 静岡県浜松市
関連リンク
タグ
関連コンテンツ( 観光スポット☆、お城☆ の関連コンテンツ )
地図
関連情報