美濃・岩村城(霧ヶ城)
800年の歴史を誇る日本三大山城
2020年04月09日
●2019年9月27日越中・富山城(231枚撮影・96分)106箇所目~越中・高岡城(221枚撮影・110分)107箇所目~能登・七尾城(273枚撮影・102分)108箇所目。
●9月28日東尋坊/道の駅みくに(76枚撮影・57分)~越前・丸岡城再び(74枚撮影・33分)26箇所目~越前・福井城(257枚撮影・2時間15分)109箇所目~越前・一乗谷城(296枚撮影2時間20分)110箇所目~越前・大野城再び(286枚撮影・2時間13分)27箇所目。
●9月29日美濃・郡上八幡城(258枚撮影・2時間22分)111箇所目~美濃・岩村城(277枚撮影・2時間40分)112箇所目~美濃・苗木城(289枚撮影・100分)113箇所目で、お城10箇所をまわりました。
2019年9月末に北陸お城巡りの帰り道で訪れたお城です。
日本100名城でしたが、山城と言う事で後回しにしていましたが、福井県から郡上八幡城跡に抜ければ、3日で回れるので高山をパスして、苗木城跡と一緒に訪れました。
失敗から書きます。
理由は、本丸直下の駐車場を先に行った事です。
何故失敗かは、博物館の有る場所まで降りてから登る羽目になったからです。
山城見学の鉄則は、麓に遺構が有るお城は麓から本丸を目指す事です。
では、攻略順番を紹介します。
本丸直下の駐車場まで車で行きます。
難攻不落の山城の本丸周りを一周してから本丸を見学。
石垣が多く残っていて、景色もまぁまぁです。
二の丸~麓の復元櫓&歴史資料館まで降りるのに、まだ続くのかと思いながら約1時間。
資料館で100名城スタンプとパンフレットをゲット、見学してから周りを撮影し35分でした。
そこからが大変で、50分ほぼ撮影無しで本丸までヒーハーしながら、休憩してはまた登るの繰り返し、ヘトヘトでした。
これでは、難攻不落だなと思えた強固な山城と感じました。
結局2時間半掛かり277枚撮影して見学を終え、隣町に有る次の山城・苗木城跡に向かいました。
普通に麓から攻めれば、行きは体力が有る状態のヨイヨイで本丸を目指せば、2時間半で攻略出来ると思います。
8歳以下や65歳以上の方は、本丸と麓の歴史資料館それぞれ車で行く事をお薦めします。
見応えは有るので、体力温存しながら攻略してください。
郡上八幡城跡は1時間強でアップダウンは楽勝でしたが、苗木城跡は麓から登り攻略して、家路につきました。
恵那ICから10km以上あり、一般道から本丸への道はすれ違い気をつけて登ってください。
よくこんな場所にお城を建てたと思う場所です。
★関連リンクよりフォトギャラリー検索より写真を見て下さい。
============HPより============
岩村城(いわむらじょう)は岐阜県恵那市岩村町にある中世の日本の城(山城跡)で、江戸時代には岩村藩の藩庁であった。
付近は霧が多く発生するため、別名・霧ヶ城とも呼ばれる。
岩村城は恵那市の南部に位置し、明知鉄道明知線岩村駅の南東に位置する城山山上にある。
本丸が諸藩の居城中最も高い海抜717mに位置していた。
このため、日本三大山城の一つに数えられている。
「女城主おつやの方」の悲哀の物語が残る。
鎌倉幕府の征夷大将軍源頼朝の重臣加藤景廉の長男遠山景朝が築き、その子孫の岩村遠山氏が戦国時代に至るまでこの地を治めた。
景朝が遠山荘に赴任した鎌倉時代初期頃には平坦部に築かれた砦あるいは城館的なものであり、織田氏・徳川氏・武田氏の抗争が激しくなった戦国時代末期の16世紀中に遠山氏・武田氏の手で本格的な城山が構築されていったとみられる。
遠山氏の菩提寺であった大圓寺 跡や古市場という遺存地名からも、当初は富田・大円寺に城館や城下町があったと考えられている。
太平記の1337年(南朝:延元2年、北朝:建武4年)金ヶ崎城の戦いにおいて「美濃霧城遠山三郎」なる名が出る事から、鎌倉時代の終わりには諸国に認知される遠山氏の城が存在していたことがうかがわれる。
遺構・復元物
建造物は廃城の際解体されたが、遺構の保存状態は良く曲輪、高石垣、井戸等が良く残る。
岩村町の八幡神社(加藤景廉が祭神として祀られている)の本殿は、岩村城の八幡曲輪から移築されたものである。(現在の岩村城の存在を示す最も古い遺物は永正年間の遠山頼景による八幡神社棟札である。)
土岐門が城下の徳祥寺の山門として移築され現存する。
不明門(伝)が城下の妙法寺の山門として移築され現存する。
岩村城の廊下の部材が、城下の地酒“女城主”蔵元の岩村醸造の廊下にも利用されて残っている(見学可能)。
岩村城のどの場所の建造物かは不明であるが、勝川家の土蔵の一部も岩村城の遺構である。
藩校の知新館の正門と釈奠の間(岐阜県指定文化財)が現存し、城の麓の藩主邸跡に移築されている。
城跡公園
同じく城の麓の藩主邸跡において、藩主邸の一部、表御門・平重門・太鼓櫓が平成2年(1990年)に復元された[8]。
下田歌子勉学所や知新館、菖蒲園が建設されている。
岩村城の規模 【元禄15年記録】
・標高 717m(本丸・最高所)
・城囲い 1,255m(但し一の門内)
・山回り 3,700m
・縄張り 本丸・二の丸・出丸・東曲輪・八幡曲輪・帯曲輪・藩主邸等
・石垣場所 31ケ所(1,700m)
・矢の倉(櫓) 11ケ所(三重1,二重9,一重1)
・多門 大小8ケ所
・門 大小17ケ所
・塀 43ケ所
・狭間 680ケ所(矢・鉄砲狭間)
・城内屋舗 10ケ所(藩主邸は別)
岩村城跡
〒509-7403 岐阜県恵那市岩村町城山
岩村歴史資料館
〒509-7403 岐阜県恵那市岩村町98
住所: 岐阜県恵那市岩村町城山
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