越後・高田城
戦いの春日山城から政治の平城・高田城
2020年09月04日

2019年7月東北お城巡りで春日山城の後に行ったお城です。
2019年7月末、3月末の吹雪で行けなかった東北地方日本海側のお城巡り3に行ってきました。
●初日・7月27日・盛岡城(252枚撮影・2時間21分)94箇所目~久保田城(171枚撮影・1時間20分)95箇所目~秋田城(97枚撮影・67分)96箇所目~五城目城(53枚撮影・31分)97箇所目。
●2日目・7月28日・横手城(180枚撮影・1時間30分)98箇所目~山形城(199枚撮影・1時間40分)99箇所目~上山城(156枚撮影・1時間33分)100箇所目~米沢城(115枚撮影・57分)101箇所目。
●3日目・7月29日・新発田城(186枚撮影・2時間20分)102箇所目~春日山城(260枚撮影・2時間27分)103箇所目~高田城(164枚撮影・1時間35分)104箇所目。
●4日目・7月30日・松代城(海津城)(251枚撮影・1時間30分)105箇所目+川中島古戦場+善光寺と12箇所行けました。
木造復元三重櫓が嬉しいお城です。
本丸周りの堀も良く残っていますが、まだ本丸は調査中でした。
西堀には蓮が植えられていますが、他の遺構は土塁が僅かに残るのみが残念。
本丸北側は中学校になっていて、三の丸は運動公園や駐車場になってしまい、往時の雰囲気が無いのが惜しい。
春日山城を廃城にして福島城を築いたが、更に変更して上越市に建てた高田城は、75万石の大大名のお城でしたが、義理の父である伊達政宗と政権転覆を疑われ改易となった悲しい歴史が。
元々、加賀100万石前田家に備えたお城でしたので、譜代大名が入ってます。
関連リンクのフォトギャラリー検索に貼ったリンクのフォトギャラリー検索に貼った写真を見てください。
====================HPより========================
高田城(たかだじょう)は、現在の新潟県上越市本城(もとしろ)町にあった日本の城である。「鮫ヶ城」の別名が市民によく膾炙している。
徳川家康の六男、松平忠輝(越後少将家)の居城として天下普請によって造られた。城地の縄張りと工事の総監督は忠輝の舅の伊達政宗である。
高田城は、高田平野にある菩提ヶ原に築かれた平城である。
約230メートルから約220メートル四方の本丸を取り巻くように二ノ丸、南に三ノ丸、北に北の丸を配し、関川、青田川などを外堀として利用した。
すべての曲輪に土塁が採用され、石垣は築かれなかった。
低湿地に築城されたため排水設備が重視され、城地には現在の技術水準から見ても遜色ない暗渠が張り巡らされていた。
天守はなく、1614年に3重3階の三重櫓を建てて天守の代用とした。
当時の三重櫓の外観は不明で、江戸城の富士見櫓に似た外観であったと伝えられている。
明治以降、旧陸軍第13師団の駐屯地司令部として使用するために大規模な土塁の撤去、堀の埋め立てが行われ、旧城地の東半分は旧状をとどめていない。
本丸を含めた西半分には堀、土塁の一部が残されており、現在は公園として整備されている。
上越市発足20周年記念事業として、焼失した三重櫓を1993年に復興した。
2002年(平成14年)、高田城築城当時、二の丸から本丸に渡っていた極楽橋が発掘調査の資料をもとに再建された。
2017年には続日本100名城に選定された。
住所: 新潟県上越市本城町6-1
関連リンク
タグ
関連コンテンツ( 観光スポット☆、お城☆ の関連コンテンツ )
地図
関連情報