山城・伏見桃山城
秀吉が建て地震で倒壊、現在個人所有
2020年10月16日

2020年10月お城巡りで訪れました。
●2020年10月07日一乗谷城・山城再び(234枚撮影・4時間48分)~小浜城(105枚撮影・58分)。
●10月08日大和郡山城再び(33枚撮影・37分)~薬師寺(123枚撮影・1時間30分)~唐招提寺(75枚撮影・59分)~二条城(302枚撮影・2時間22分)~伏見城(63枚撮影・34分)
●10月09日長岡天満宮(23枚撮影・20分)長岡京公園~勝竜寺城跡(33枚撮影・28分)~伏見城(81枚撮影・38分)~淀城跡(129枚撮影・1時間01分)~水口城(91枚撮影・40分)~犬山城再び(330枚撮影・1時間59分)。
●10月10日小牧山城再び(330枚撮影・1時間59分)~岡崎城再び(336枚撮影・1時間43分)~西尾城(244枚撮影・1時間29分)~長篠城跡(229枚撮影・1時間21分)。
●10月11日豊橋吉田城再び(255枚撮影・1時間41分)~浜松城再び(313枚撮影・1時間21分)~掛川城再び(378枚撮影・2時間0分)と、お城16箇所と神社お寺3箇所をかなり強行軍日程で見学できました。
但し、8箇所が新規のみで写真撮影再び8箇所のお陰です。
2020年10月8日と9日に訪れた公園です。
初日は暗くなり写りがイマイチ、なので9日に再度訪問しましたが、建物は見た目豪華ですが個人所有で建物には入れませんが、天守・小天守・門の外観を楽しむのと敷地への出入りは自由です。
目の前の有料駐車場に停めて40分有れば廻れます。
トイレは使え無いので200m離れたのバッティングセンターか、500m離れた施設になるので、事前に対処してから行く事。
外観だけですがお城の雰囲気は楽しめるので、良いと思います。
史実とは関係無い建物だし、堀も見えない観光公園です。
私が見た観光者は一人だけです。
敷地は荒れ始めています。
天守の裏側へは入れません。
まぁ建物を楽しむだけの公園です。
50枚撮影38分で終わり満足感65点です。
実際2020年10月8日17時を回ってましたが、建物が個人所有の140箇所目の伏見城に向かってみた。
最初は何とか撮影出来ましたが(63枚撮影・34分)、18時過ぎは暗くて駄目でした。
翌日悩みましたが、再度訪問し(81枚撮影・38分)でした。
模擬天守や模擬門が色鮮やかでしたが、建物に入れないのが残念でした。
堀が見えないのも残念でした。
約35分づつ見学しましたが、建物が有ったので満足感77点です。
==================HPより=========================
伏見城は三度に渡って築城され、最初の城は朝鮮出兵(文禄の役)開始後の1592年(文禄元年)8月に豊臣秀吉が隠居後の住まいとするため伏見指月(現在の京都市伏見区桃山町泰長老あたり)に建設を始めた。
このとき築かれたものを指月伏見城、後に近隣の木幡山(桃山丘陵)に再築されたものを木幡山伏見城と呼んで区別され、さらに木幡山伏見城は豊臣期のものと、伏見城の戦いで焼失した跡に徳川家康によって再建された徳川期とに分けられる。
指月に築かれた伏見城は築城開始から2年後の1594年(文禄3年)に秀吉が入城し、更にその2年後の1596年(文禄5年)に完成をみるが、その直後に慶長伏見地震によって倒壊した。
このため、指月から北東約1kmの木幡山に新たな城が築き直されることになり、翌1597年(慶長2年)に完成した。しかし、秀吉はその1年後の1598年(慶長3年)に城内で没した。
関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は翌慶長6年(1601年)3月に入城し、伏見城と二条城の再建を開始する。
再建は木幡山伏見城を踏襲されているが、弾正丸、大蔵丸、得善丸、御花畑山荘と呼ばれている北西部の曲輪群とそれを取り巻く堀は放棄された。
翌慶長7年(1602年)6月には藤堂高虎が普請奉行に起用され、同年末頃にはほぼ再建がなり、同年12月には伏見城に帰城した。
再建された建物の瓦には豊臣家の家紋、桐紋が使われていた。
このころより大坂城に移っていた大名屋敷が伏見城に戻ってきたが、関ヶ原の戦い直後に城下町は焼き払われており、跡地が東西両軍の大名に与えられたと考えられている。
伏見城跡は伏見奉行所の管理とされ幕末まで立入禁止となっていたらしいが、本丸跡などの主郭部分はのちに明治天皇の陵墓(伏見桃山陵)とされたことから現在も無許可での立入りが禁じられている。
また、伏見城花畑跡は1964年(昭和39年)に遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」が建設され、園内には洛中洛外図に描かれた伏見城を参考にして5重6階の大天守と3重4階の小天守、櫓門などを伴った模擬天守が6億円(当時の金額)をかけて鉄筋コンクリート構造で造られた。
2003年1月、同遊園地は経営母体である近鉄によるリストラの一環で閉園したが、模擬天守は京都市民の運動によって伏見のシンボルとして保存されることとなり無償で京都市に贈与されたほか、敷地を含めて同市により伏見桃山城運動公園として整備された。
ただし、模擬天守については耐震基準を満たしていないことから内部非公開となっており、バリアフリー対応などを含め改修に数億円かかるとされることから2012年10月時点でも具体的な活用予定は無い。
第3期伏見城時代
天守、月見櫓、千畳敷櫓、大手城門、二階門、二の丸御門、表唐門、松丸の長屋、虎の間、千畳敷き、三間九間座、楊貴妃の間、台所、松丸御座敷、松丸数寄屋、松丸古社、松丸小座敷、四方之御座敷、塔、舟入御殿、学問所、三重塔(比蘇寺塔)
多くの建物があったことが伺える。
木幡山伏見城遺構
徳川期の木幡山伏見城については廃城に際して天守を始め多くの建物が他の場所に移築され、例えば天守は二条城天守へ、本丸御殿は大坂城仮御殿となった。特に福山城(広島県福山市)には徳川幕府の西国鎮衛の目的もあり、櫓、城門、殿舎、湯殿、多聞櫓、築地塀、土塀など多くの施設が移されている。
城門
御香宮神社(伏見区)表門(大手門を移築)
西本願寺(下京区)唐門
二尊院(右京区)総門
観音寺(上京区)山門
瑞宝寺旧山門(兵庫県神戸市)
浄照寺(奈良県磯城郡田原本町)表門(伏見城高麗門を移築)
本山寺(大阪府高槻市)中の門
住所: 京都府京都市伏見区
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