勝龍寺城跡
光秀の娘・細川ガラシャ(細川忠興の妻)の居城
2020年10月21日

★2020年10月のお城巡りに組込みました。
●2020年10月07日越前・一乗谷城・山城再び(234枚撮影・4時間48分)110箇所目~若狭・小浜城(105枚撮影・58分)139箇所目。
●10月08日大和郡山城再び(33枚撮影・37分)124箇所目~薬師寺(123枚撮影・1時間30分)~唐招提寺(75枚撮影・59分)~山城・元離宮二条城(302枚撮影・2時間22分)140箇所目~山城・伏見桃山城(63枚撮影・34分)141箇所目。
●10月09日長岡天満宮(23枚撮影・20分)長岡京公園~山城・勝龍寺城跡(33枚撮影・28分)142箇所目~山城・伏見桃山城(81枚撮影・38分)141箇所目~山城・淀城跡(129枚撮影・1時間01分)143箇所目~近江・水口城(91枚撮影・40分)144箇所目~尾張・犬山城再び(330枚撮影・1時間59分)11箇所目。
●10月10日尾張・小牧山城再び(330枚撮影・1時間59分)29箇所目~三河・岡崎城再び(336枚撮影・1時間43分)30箇所目~三河・西尾城(244枚撮影・1時間29分)145箇所目~三河・長篠城跡(229枚撮影・1時間21分)146箇所目。
●10月11日三河・吉田城再び(255枚撮影・1時間41分)92箇所目~遠江・浜松城再び(313枚撮影・1時間21分)31箇所目~遠江・掛川城再び(378枚撮影・2時間0分)32箇所目と、お城16箇所と神社お寺3箇所をかなり強行軍日程で見学できました。
但し、8箇所が新規のみで写真撮影再び8箇所のお陰です。
★櫓と門が復元された公園が有る筈なので再訪問。
●2021年3月26日摂津・大坂城再び(233枚撮影・2時間4分)4箇所目~山城・勝龍寺城公園再び(151枚撮影・1時間17分)142箇所目~丹波・亀山城(87枚撮影・52分)154箇所目~丹波・黒井城(199枚撮影・2時間13分)155箇所目。
●3月27日因幡・鳥取城再び(333枚撮影・2時間52分)116箇所目~但馬・出石城/有子山城再び(240枚撮影・3時間18分)115箇所目~丹波・園部城(113枚撮影・1時間3分)156箇所目。
●3月28日天橋立再び(21枚撮影・42分)~丹後・田辺城(167枚撮影・1時間16分)157箇所目~若狭・小浜城再び(資料パンフレット捜し3箇所)(13枚撮影・61分)139箇所目~加賀・金沢城再び(286枚撮影・2時間8分)25箇所目。
●3月29日加賀・鳥越城(本丸直下迄車+資料館・市庁舎分署・10km離れた観光センター)(190枚撮影・1時間52分)158箇所目~若狭・佐柿国吉城(162枚撮影・1時間31分)159箇所目~若狭・金ヶ崎城(131枚撮影・1時間4分)160箇所目~近江・小谷城・山頂/別尾根(前回4時間22分大手道は整備・清水谷は未整備多い、今回3時間20分清水谷~山頂~山崎丸ルート・未整備でNo.1)125箇所目。
●3月30日近江・彦根城再び(344枚撮影・2時間39分)12箇所目~近江・観音寺城再び(246枚撮影・2時間37分)138箇所目~近江・水口城再び(173枚撮影・59分)144箇所目~近江・水口岡山城(30近い曲輪だけど遊歩道整備)(249枚撮影・1時間50分)161箇所目~伊勢・桑名城(118枚撮影・1時間8分)162箇所目。
●3月31日近江/越前・玄蕃尾城・主郭(最初の500m急坂)(178枚撮影・2時間52分)163箇所目~賤ヶ岳の戦い・玄蕃尾城砦/東野山城砦(砂利道林道等登城口が判らず頓挫・もし制覇していたらNo.1)~美濃・金山城(森蘭丸公園として遊歩道整備で楽)(342枚撮影・3時間36分)164箇所目と追加3箇所と諦めた砦跡2箇所を入れて21箇所訪れました。
2020年10月お城巡りで10月9日に行き33枚撮影28分で終わり満足感65点です。
トイレを含めて一枚由来の紙を戴き会話したので、実質的時間は20分です。
お城の遺構は燃えてしまい残っていないそうです。
現在お寺として残っています。
公民館が隣接する約80 x 50mの敷地です。
周りを見回しましが、川沿いの狭い路地の先に有り、お寺に入るのも狭い大型車だと敷地内に停めるのも大変です。
スタンプやパンフレットは伏見城同様有りません。
しかし、一枚神社の由来らしき書類を頂けました。
ガラシャに興味なければ行っても無駄です。
往時のお城は、川を堀代わりとした平城だったのだろう。
現在大河ドラマ麒麟が来るで明智光秀が放送しているし、細川忠興にも興味が有ったので行ってみましたが、残念なお城跡です。
福知山城も行ったし、一乗谷城外の神社も行ったので、明智光秀親子関連は充分でしょう。
二条城と淀城のオマケだったから良いでしょう。
追記
どうも調べたら近くに勝竜寺公園が有り、櫓や堀が復元されています。
2021年には再訪問してからアップします。
HPによると、コジンマリしていますが良さげのお城のようです。
再訪問の公園は模擬門は雰囲気はイマイチ、櫓は二辺の壁のみで内側は開放し休憩所のベンチになっています。
外からの見た目はグゥなのに100万円掛からないであろう櫓は、他のお城公園の手本になるでしょう。
パンフレットと独自スタンプゲットで、前回と合せて満足感74点です。
関連リンクよりフォトギャラリー検索より写真を見て下さい。
写真アップは未編集が溜まっているのと、次回訪問を合わせて2022年5月頃です。
===================HPより==========================
勝龍寺城(しょうりゅうじじょう)は、現在の京都府長岡京市勝竜寺に所在した、南北朝時代から江戸時代初期に存在していた日本の城である。
城名は付近の同名古刹(勝龍寺)に由来する。
勝龍寺城は京都盆地の西南部、小畑川と犬川の合流地点に位置し、西国街道と久我畷が交差する交通上の要衝で、京都では山崎城につぐ防衛拠点であった。
また勝龍寺城は古墳を流用して築いたのではないかと言われているが、「主郭や沼田丸ではそれらしき痕跡は認められない」とされている。
延元4年/暦応2年(1339年)、京都をうかがう南朝方に対抗するため、北朝方の細川頼春が築いた城と言われてきたが、「歴史的根拠はなく、むしろ後に城主となる細川藤孝(幽斎)の正当性を強調するための創作である可能が高い(幽斎は頼春次男頼有の末裔)」としている。
この城の初見は『東寺百合文章ひ』の康正3年(1457年)1月19日に「来る二月八幡御番人夫五人、晦日勝竜寺へ早々越さるべく候」とあるので山城守護畠山義就が郡代役所として築城したと推定されている。
観音寺城の戦いで勝利した織田信長は、足利義昭を奉じて上洛する2日前の永禄11年(1568年)9月26日、柴田勝家、蜂屋頼隆、森可成、坂井政尚ら4人の家臣に先陣を命じ、桂川を渡河し三好三人衆の岩成友通が守る勝龍寺城を攻撃させた。
また勝龍寺城は細川忠興・ガラシャ夫妻ゆかりの城としても知られる。天正6年(1578年)8月、藤孝の嫡男忠興と明智光秀の娘お玉(細川ガラシャ)が勝竜寺城で結婚式を挙げ、新婚時代を過ごしたとされている。
現在
本丸および沼田丸趾が1992年(平成4年)に勝竜寺城公園として整備され、模擬櫓などが建造された。往時の遺構としては、北門に当時の石垣の一部が残る。
また当城の北東に位置する神足神社境内に土塁・空堀を復元している。
勝龍寺城の主郭部分は東西120m、南北80mの長方形をしており、東、北側の幅12mの水堀を残している。
また東、西、北の三面には土塁が残っている。
西側の土塁は高さ10m、幅5mと大規模なものである。
南側の土塁、堀は消滅してしまったが大正11年(1922年)の地図には記載されており、主郭部分を堀と土塁が巡っていた。
またこの主郭の西側には「沼田丸」という曲輪があった。
これは細川藤孝の妻の実家であった沼田氏の屋敷があったのではないかと伝えられている。
また大正11年の地図には沼田丸周囲にも堀が描かれていた。現在は勝竜寺城公園の駐車場がある。
それ以外の曲輪として、松井屋敷、米田屋敷、神足屋敷、等があった。
主郭部分より北東に200mの地点に神足神社があり、そこから南側に東西に土塁と空堀がある。
この空堀の中央部分には土橋が架かっており、この土橋に対して西側土塁が張り出した部分が、横矢がかかる構造となっている。
住所: 京都府長岡京市
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