信州・小諸城

当時集めていなかった100名城スタンプゲットのため、松本城と上田城を高遠城跡と小諸城とセットに組込みました。
2020年11月08日●信濃・高遠城(262枚撮影・2時間31分)147箇所目~●信州・松本城再び(142枚撮影・52分)40箇所目~●信州・上田城再び(97枚撮影・42分)41箇所目~●信濃・小諸城(299枚撮影・1時間35分)148箇所目の長野お城巡り3で回りました。
100名城を79箇所行ったので長野県100名城スタンプを全てゲットに行きました。
これで松代城(海津城)を含めて全て制覇しました。
さてこの小諸城は関ヶ原合戦の前哨戦として上田城決戦の徳川秀忠が居城としましたが上田城攻略が出来ず関ヶ原合戦に間に合わないという失態をした苦い思い出のお城です。
三の門と大手門が現存し石垣も徳川が修復拡張しただけに立派です。
山城としては珍しい城下町より低い場所に築かれ、周りを何重に囲まれた渓谷により攻めるに難しいお城です。
僅か1回の訪問でしたが、満足感85点のの御城でした。
写真は東から見た、信州・小諸城・三の丸・三の門/花見櫓跡と愛車CX-3。
小諸城は上田城決戦のため建てたので、なかなかでした。大手門が線路で分断され離れているから注意しないとね❤。148箇所目。_2020年11月08日16時50分
関連リンクよりフォトギャラリー検索より写真を見て下さい(2022年9月アップ予定)。
==============HPより===========
長享元年(1487年)に大井光忠によって築城されたと考えられている。
戦国時代、武田信玄の東信州経営のために現在の縄張りとされた。
現在残っている城跡の元になったものは信玄の軍師であった山本勘助の縄張りだと言い伝えられているが、根拠となる史料はない。
安土桃山時代から江戸時代にかけて、石垣を構築した近世城郭に改修された。
現在のような構えとなったのは仙石秀久の改修によるもので、三重天守もその頃に建てられたものであった。
天守には桐紋の金箔押瓦が用いられていたが寛永3年(1626年)に落雷によって焼失している。
城郭は城下町である市街地よりも低地に縄張りされ、市街地から城内を見渡すことができ、このため穴城とも鍋蓋城ともいう別称がある。
また、浅間山の田切地形の深い谷を空堀として利用しており、西側の千曲川の断崖も天然の防御として利用されている。
現在は、当時の建造物は石垣と現在の懐古園の入り口の三之門、市街地に存在する大手門のみが現存している。大手門と三之門の2棟は共に国の重要文化財に指定されている。その他、天守台、石垣などが現存する。
移築現存する建物としては、足柄門が市内光岳寺山門として、黒門が市内正眼院山門として、旧北御牧村(現:東御市)の民家に本丸御殿の書院といわれるものが移築されている。
午前9時00分~午後5時(冬季を除く園内各施設共通)※動物園・遊園地は除く。
※徴古館・藤村記念館・小山敬三美術館・小諸義塾記念館 冬季は9時00分~16時30分(最終入館16時)
住所: 長野県小諸市
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