伊豆・長浜城跡(水軍城)

ラブライブ・サンシャイン・2023沼津地元愛まつりに参加と、2023年04月29日沼津・Aqoursゆかりの聖地巡礼に時間が無く行けなかった場所を訪れるため、2023年10月8日~10日沼津・Aqoursゆかりの聖地巡礼2を計画し、10月9日夜の部の地元愛まつり以外は、聖地巡礼を実行しました。
●2023年10月8日は沼津中央高校~沼津駅~沼津リバーサイドホテル/ヨハネのマンション~沼津港大型水門びゅうお~曜ちゃんの家・阿蘭陀館~大瀬崎・オーシャンビュー・フジミ(曜ちゃのタオル購入のため)~安田旅館(千歌の家)の風呂。
●10月9日は6話PVを作ろうの伊豆・長浜城跡(水軍城)~キラメッセ沼津でグッズ購入~沼津リバーサイドホテル2階・ヨハネの部屋~淡島で淡島神社~キラメッセ沼津で地元愛まつり参加~安田旅館で就寝。
●10月10日三津シーパラダイス~三の浦総合案内所と黒澤ダイヤ・ルビィ姉妹の家/長浜停留所~長井中学校(浦の星女学園)とバス停留所~松月カフェ/三津郵便局・バス停留所~伊豆長岡駅~小田原城・総構・早川口遺構/八幡山古郭・東曲輪・西曲輪・鍛冶曲輪/大手門跡/蓮上院土塁を訪れました。
さて伊豆・長浜城は第二曲輪・復元櫓から掘立柱建物跡を撮影がメインでしたが、登城口から頂上まで5分ですが、いつものように162枚撮影・1時間3分で行き方不明な曲輪以外70%は見学出来たので満足感80点です。
建物等は復元櫓、長浜城弁財天社と鳥居、掘立柱建物跡の復元柱、安宅船原寸大模型の甲板が有ります。
駐車場は3台しか有りませんが見学者が少ないので問題有りません。
公共交通機関だと沼津駅か伊豆長岡駅からバスは1時間に1本有るか無いかと不便です。
お城の築城は千葉館山城・里見八犬伝の里見氏との戦いと今川氏を滅ぼした武田の水軍との戦いの為です。
写真は、61.南東から見た、伊豆・長浜城跡(水軍城)・第二曲輪・掘立柱建物跡(2)/北西櫓(2)中景。
_2023年10月09日07時13分
6話PVを作ろうでは櫓下から掘立柱建物跡を描いています。
関連情報URLよりフォトギャラリー検索で写真を見てください(2023年10月31日からアップ予定)。
===============HPより==============
この城郭は、戦国時代関東一円を治めた北条氏の水軍根拠地、重須湊を守るための城と考えられている。
北条氏の祖、伊勢新九郎盛時(北条早雲)は、興国寺城から堀越公方足利茶々丸の館を急襲し、韮山に城を構え戦国大名としての第一歩を踏み出した。
その後小田原を手中におさめ、二代氏綱・三代氏康の頃には領地を武蔵から下総まで広げ、里見氏と激しく対立した。
北条氏は三崎や浦賀を根拠地とする三浦水軍を組織し、江戸湾から里見氏の勢力を駆逐する一方、今川義元亡き後の駿河に侵入してきた武田氏に対しても、伊豆の水軍を組織しその脅威に備えた。
その伊豆における北条水軍根拠地の一つが、この重須湊・長浜城である。
このような情勢の中、天正7年(1579年)には北条水軍の事実上の統括者である梶原備前守が長浜城におかれ、翌天正8年(1580年)、武田・北条両氏水軍による駿河湾海戦が行われた。
戦いの結果は必ずしも明らかではないが、武田氏が織田信長に滅ぼされることで、一応の決着を見ることになった。
その後、天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原攻めにより、長浜城は再び緊張状態におかれた。
しかし、北条方の小田原籠城策に呼応し、水軍の主力も小田原の川岸に集結したことから、長浜城は水軍基地としての機能を失い、韮山開城と共に廃城となったものと考えられている。
住所: 静岡県沼津市内浦重須
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