薩摩・鹿児島城(鶴丸城)

100名城スタンプを2017年当時集めていなかったけど、80箇所集まったので九州お城巡り3ついでに、広島/島根/山口県と四国の新規と再びでスタンプとパンフレットをゲットの予定を立てました。
●2021年05月01日(曇)安芸・吉田郡山城(346枚撮影・3時29間分)165箇所目~石見・浜田城(247枚撮影・2時14間分)166箇所目。
●5月02日(雨)石見・津和野城(295枚撮影・4時間41分)167箇所目~周防・大内氏館跡/高嶺城(続100名城)(241枚撮影・3時間36分)168箇所目~長門・萩城(351枚撮影・2時間50分)169箇所目。
●5月03日周防・岩国城再び(424枚撮影・2時間50分)7箇所目~筑前・福岡城再び(舞鶴公園)再び(637枚撮影・3時間56分)75箇所目。
●5月04日筑前・大野城(97枚撮影・3時間9分)170箇所目~大宰府天満宮(45枚撮影・30分)~吉野ケ里遺跡再び(169枚撮影・1時間39分)8箇所目~肥後・熊本城(171枚撮影・1時間56分)171箇所目。
●5月05日肥後・八代城(357枚撮影・2時間19分)(続100名城)172箇所目~肥後・人吉城(281枚撮影・1時間56分)173箇所目~薩摩・鹿児島城(鶴丸城)(119枚撮影・1時間23分)174箇所目。
●5月06日日向・飫肥城(225枚撮影・2時間57分)175箇所目~高千穂峡(52枚撮影・19分)~豊後・岡城(547枚撮影・2時間45分)176箇所目。
●5月07日豊後・府内城再び(76枚撮影・52分)81箇所目~別府温泉地獄巡り再び(137枚撮影・2時間12分)~伊予・大洲城再び(95枚撮影・52分)59箇所目。
●5月08日伊予・宇和島城再び(449枚撮影・4時間1分)15箇所目~伊予・湯築城(199枚撮影・1時間8分)177箇所目~伊予・松山城再び(268枚撮影・2時間59分)14箇所目。
●5月09日土佐・高知城再び(745枚撮影・3時間52分)17箇所目~備後・片刈城(因島水軍城)(168枚撮影・58分)178箇所目。
●5月10日播磨・赤穂城再び(278枚撮影・2時間32分)120箇所目と10日間23箇所お城巡り。
日本100名城92箇所攻略、沖縄(2)北海道(3)東北(2)箇所残るのみ。
続日本100名城38箇所攻略しました。
駐車場到着15時45分、17時10分に本丸周辺の見学が終わりましたが、山城への案内板が無く時間も遅く暗くなり始めていたのでパスしました。
また外堀門跡の案内が案内図に掲載が無く50%しか見学していませんので満足感50点です。
それでも関東から1800km以上3日間掛かるので再訪問はしません。
楼御門が復元されていますが、水堀も本丸周辺しか無いのが惜しまれる。
写真は1.帰路・北から見た、薩摩・鹿児島城(鶴丸城)・本丸・北御門跡/北御門橋/復元御楼門(遠景)・桟橋通りの愛車CX-3・174箇所目⑤J。
_2021年05月05日17時06分
関連情報URLよりフォトギャラリー検索で写真を見てください(2025年9月29日よりアップ)。
===========HPより=============
鹿児島城(かごしまじょう)は、鹿児島県鹿児島市城山町(薩摩国鹿児島郡城山麓)にあった江戸時代の日本の城。
別名鶴丸城(つるまるじょう)。
鹿児島では一般的に古くから別名の鶴丸城で呼ばれている。
別名の由来は、屋形の形状が鶴が羽を広げたようであったことによる。
1601年(慶長6年)に島津忠恒(家久)により築城され、以後廃藩置県まで島津氏の居城であった。
城跡は国の史跡に指定されている。
概要
江戸時代初期に島津忠恒によって築かれた、上山城跡である城山とその麓に築かれた鶴丸城で構成された平山城である。
平城や山城とする説もある。
城山は、南北朝時代には「上乃山城」および「上山城」という上山氏の居城であったが、後に島津氏に明け渡された。
その後島津忠恒は城山の東麓に屋形を築いて居城した。
麓の屋形(本丸、二ノ丸、出丸)には石垣が築かれたが、公称「77万石」の大名の城としては天守など高層建築や高石垣などは築かれず、明治時代に城跡を訪れた本富安四郎は著書『薩摩見聞記』で「不思議」と評している。
これには江戸幕府に対する恭順の意味があったとされる。
その代わりに、中世式の山城を各地に残し、113区画をそれぞれ家臣に守らせる外城制度を行っていたとされる。
本城である鹿児島城は北に本丸、南に二の丸が位置していたが、単純な構造で防御には問題のある「屋形造」の城であった。
そのため裏山である城山を籠城のための「後詰めの城」としていた。
初代の城代として島津歳久の孫の常久が任命されて居住していたが、常久が早世した後は次の城代は任命されず、城山自体が聖域として立入禁止区域となった。
1873年(明治6年)には「御楼門」という大手口の櫓門と1重2階の兵具所多門櫓、角櫓(隅櫓)、書院造の御殿などがあった。
御楼門と兵具所多門櫓、角櫓の様子については明治初期に撮影された写真が現存する。
住所: 鹿児島県鹿児島市
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