
以前、活動していた団体からの原稿依頼。
懐かしくもあり、また今の気持ちを綴ってみた。
長崎子ども劇場が誕生したのは1967年。僕の歳とおんなじだ。そんな自分がおもに活動に参加していたのは高校2年(17歳)のときまで。いまから四半世紀も前のことだ。その後何度か間接的にお誘いを受けお手伝いをしたこともあるが、やはり少年から青年へと変わりゆく多感な時期での想いでが多い。
子ども劇場を一言で表現すると自分のなかでは
「雄叫びをあげろ!俺たちみんなガキ大将」
という言葉が浮かんでくる。小学生のころ参加したキャンプのスローガンだ。劇場のキャンプは俗にいう林間学校とも昨今ブームになっているアウトドアとも少し違う。大自然の中で子供達が主人公となり、自分たちの手で3日間の生活を送る。キャンプ当日までに5~6回の班会議を行いメンバー同士の結束を固め友情をはぐくみながらイベントを迎える。そこには参加する少年少女たち一人一人のなかに「トムソーヤ」の世界が刻まれていく。引率する大人はあくまで最低限に抑えられ、見守るだけだ。今もキャンプが好きでテント生活を時々送る原点はそこにあるように思う。
さて、もうひとつ書き記しておきたいことがある。長崎子ども劇場に役員として長年携わっていた母のことだ。母が亡くなる2000年まで僕はずっと生意気で親泣かせの自分を見るに見かねて「子ども劇場」に参加させているのだ、と思っていた。正直、例会に行くのは好きではなかったし、楽しみにしていたのは“5月の子ども祭り”と先にも述べた“夏休みのキャンプ”だ。母の遺品を整理していた時、見たこともないたくさんの写真が出てきた。そこには母が本気で演劇活動に取り組み、舞台俳優を目指している若い頃の活き活きとした姿が映し出されていた。結婚し3人の子供を産み、経済的に裕福ではない(当時はみんなそうだった)環境のなかで専業主婦としての毎日をおくるなか、母は「子ども劇場」の活動の中に自分の夢を託し自らも参加していったのではないか?残念ながら生前の母が自分自身のことを語ることはなかったので確証はないが、それまでの子ども劇場との関わりを振り返ると、母は自分自身のために子ども劇場に参加していたのだろうと思う。ただ、ヤンチャな僕の将来を考え、子ども劇場の例会以外にも、映画や寄席、コンサート等々、様々な文化に触れる機会を小さい自分に体験させてくれた母に心から感謝している。
人を豊かにする文明と文化。僕は後者が好きだ。文明は便利にはなっても心は満たされない。携帯電話やパソコンが普及しても、むしろ日常はせわしなくなるばかりだ。一方文化は未来永劫、人を様々な形で楽しませてくれる。今、僕がハマっているモノに長崎の伝統工芸品「三川内焼」がある。三川内焼に描かれる「唐子絵」のように、世界中どの地域の子供たちも皆、平和で安穏と暮らせる世の中を夢みながら筆をおくこととします。
こんな、自分にもお声をかけて下さった、事務局のみなさん“ありがとう”。
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Posted at
2010/04/03 14:52:59