私のラリーのデビューは95年だったかのMSCC東京フレッシュマンラリーでナビを最初に始めた事から始まるのですが、今のようにSSだのTCだのPNだのという時代ではなく、正確な到着時間との戦いなAVE主体のラリーでした。その頃は規定台数一杯の60台フルグリットが当たり前な時代でフレッシュマン向けのラリーでも人気のある群馬なんかは普通には受理されませんでした。その頃はほんとに台数も多くて、フレッシュマン・県戦・関東戦・地区戦・全日本というピラミッドがあって、それでも群馬フレッシュマンは相当人気があったような記憶があります。その当時にラリーを教えてくれた方は栃木・茨城ラリーシリーズからステップアップして関東戦に出ていた方だったのですが、私は東京Fから栃茨デーラリーとかにでたりとかしていました。やっとこ車の運転が様になってきた所で群馬ラリーにエントリーして1週間前にエンジンブローで幻の出走になってしまったのですが、この時はその関東戦に出ていた方のクラブ名刺を織り込んで申し込みして受理されるように計らいをしてもらったりして。なんだかんだでレベルに対しての考えがあった頃ですね。60台をこえてしまうので受理されるようにするには何が基準かって出場経歴と推薦ぐらいでした。
その後、新潟に仕事で引越し1年程新潟でお世話になっていた頃は、メインはダートラで、そしてなんとか出られたのが今では開催されていない新潟のラリーでした。グラベルとターマックのMIXで雨でリスキーながらもSSベストとって喜んでいた矢先に田んぼの溝に嵌ってSSスタート直前の道でリタイヤと情けない結果だったりとか。そんなことが20代初頭の頃にやっていた記憶。
ナビでスタートしたラリーも2回目にして関東戦のナビをやることになり、それもMSCCだったけど・・・ハイアベが兎に角しびれるというかCPにはいってハイアベなんでチェックカードをもらいながらロケットスタートなんてちょっと危ないのが普通でした。んで実は僕はラリコンの操作をマスターはしたのですが、どこで何の処理をすればよいというマスターの仕方だったので、時間と速度と距離・・・なんて1年ぐらいたってから理解しました(^^;その代わりぜったいに入力ミス・操作ミスをしない・・・なんていう手段でしたけど。アルファ補正は補正表を使っていたし・・・電卓叩くのはコントロールシートの時ぐらい・・・そーいうレベルで楽しんでいましたが・・・栃茨デーラリーの大学ラリー気質でさすがにコテンパになってやっと勉強したぐらいです。
でエントリーしながらも応援でオフィシャルのお手伝いに行ったりしたときに看板パスコン役になったり、フィニッシュの笛吹きやったりとかして色々な形でラリーに関わるようになっていきました。そういえば埼玉にもラリーがあった頃でしたね。その頃のラリーを教えてくれた夫婦がラリーにとっても紳士な方々だったり、新潟のクラブの方々も良い方々だったので、色々な事を学んでこれた気がします。
そもそも・・・なんでラリーが好きになったかというと・・・悪友からの誘いからだったのですが、初めてのラリーは実らラリコンが2ステ途中でリセットされてしまってパニックという散々な結果だったのです・・・が、コマ図だよりでまったく未知の道を走る楽しさと、知らない景色の自然あふれる情緒、夜通し走ってゴールした時の達成感、新鮮な世界でかつ余計なことを考えないその世界の中に没頭出来る感覚(これはスリルによるものでしたがw)、そして非現実的なグラベルロードの感覚・・・ルールの中で閉鎖された道を全開で走る快感・爽快感。ラリーはパリダカとしか認識していなかった私のラリーが好きになった起源がこんな感じです。さらにサブファクターとして味付けが加わっているのは、刺さっても車が競技スピードを保てる限り諦めない、フィニッシュを目指すという姿勢です。この時は新車のエボ3でヘビーウェットの中、コーナーで壁に頭から刺さってしまいサクションパイプがつぶれて加圧しなくなった車輌となってしまったのに諦めずに走り、その次の連続するステージで明らかなパワーダウンにも関わらず下りでベストタイムをたたき出したりして。この勝負に掛ける諦めない姿勢に私も打たれ・・・1ステは12位ぐらいだったのがタイムを出し続け、その間に何台もの車がコースオフして墓場となっていく中、3位でフィニッシュなんていう結果に。なんてタフなスポーツなんだと思いました。なので私はラリーを経験していく度に好きになっていったタイプで今日まできてしまったのですが、この頃から環境はある程度恵まれていたのかも・・・なんて思います。ラリーを知らなければこんなに大金叩く事もなかったかもしれませんけど(笑)
そしてそんな自分が得た感動を伝えていきたくてクラブを立ち上げたり、未だにその頃と変わらない活動をしたり、全く自分でもおもっていなかった全日本への挑戦など続けていますが・・・昨今のとりまく環境や人間模様など色々と、なんか当時のスピリッツのようには行かないことも多くて困っちゃいますが、やはり、ラリーという純粋なスポーツを良い面や悪い面を色々と経験して変化も含めて感じながら、もっとよりよいラリーの伝統(というほどでもないかもだけど)を伝えていけたらなと思います。

県戦ではこんな立派なスタートは昔はありませんでした。今では群馬でも長野でもセレモニアルスタートを模したスタートをしている辺りは主催者努力の結果かなと。あるとないでは違うとおもう1つ。ただ単に競争するだけのラリーの時代じゃなくなってきているともいえます?!スタイルも変わってきたと言う事ですね。

先日のラリーでのSSの合間、リエゾンにて地元(それもリエゾン中に通過する)の会社からの協賛品。木曽で行われたラリーで"kiso"ブランドのミネラルウォーター。
地元理解があってこそですね。このウォーターは水源から瞬間加熱殺菌のみでほぼそのままのお水を売っているそうです。会社名も
水源水。自然の恵みに近い所で走るのもラリーならでは?!地域を根ざしたイベントで人気で大規模といえば新城ラリーとかもそうですね(歓迎されていない地区域もあった感じだったけど・・・でもあれはエントラントが悪いかも)。

昔は兎に角ナイトラリーばかりでしたが、今では昼間走るラリーも増えてきましたね。私はラリーに復帰してから殆ど昼間のラリーにしかでていません。この写真・・・0カーやっている時なんですが・・・真ん中走っていてはずかしいですね(苦笑)
と、昔と今を比べてもラリーの質はあがってきているのに熱い人が少なくなっているのでしょうか・・・純粋な勝負としても今のTCラリーはシンプルになったのに15年前のAVE時代の方がすごい熱かったようにも感じます。今みたいに神経質すぎない時代でもありましたが、主催力よりもエントラントを含めた色々なバランスが取れていなくて。ネガは確かに問題ですが、それよりもポジとなる実を育てて行きたい所です。
私は全日本にでようという気持ちになってもやっぱり体制的には簡単にはいきませんでした。今でもめい一杯の背伸びでやっておりますが・・・でも目標をたててそのステップアップの機会を伺い、辛抱をかさねて何年もかけてやっと今があります。今回もそのラリーでの繋がりの甲斐もあり、コドライバーも決まりました。
人との繋がりは宇宙という表現があったり、木の根や枝や葉の樹形で表現したりしますが、ラリーは一人では出来ないスポーツで、さらにそれを支える色々な方々の中で行われています。そして、この”みんカラ”やネットも通じてラリーに問わず色々な繋がりが広がりつつあるのを感じます。
と、ちょっと松本さんのブログより・・・ちょっと自己の視点を変えて、自分がなんでラリーをしているかを振り返り、またあらためて自分を戒める気持ちで。そして自分に出来ることを・・・実現したいことを、枯れた幹に息吹を・・・という感じでやっていきたいなと思います。
さて、GW中にいよいよデミオはグラベル化が完成します。でもそのまえにJN-2は成立するのかな?!ってそのまえにひむかラリーだ!ひむか出たかったなぁ~。
Posted at 2010/05/03 00:39:36 | |
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