昭和の末期、二十歳を過ぎる頃まで運転免許を取得しなかった織瀬は、通勤手段として国鉄を利用していました。
勤め先が大津だった頃、行きは普通や新快速を利用し、帰りは時間が合えば京都発柘植行きのDD51牽引50系客車に乗り、草津まで各駅停車を楽しみながら乗ってたりしたものでした。
写真チェーン店でしたので栗東店や草津店、彦根大藪店などにも行く機会があり、一番北に有ったのが長浜店でした。
長浜店、結構応援に行ってた頃が有りまして。
店長が急病で休んだりすると、他店から助っ人が入るんですね、行かされるのは経験者だったり下っ端だったりで、そのどちらもの立場だった織瀬は、結構な割合で鉄砲玉扱いを受けあちこちの店舗に飛ばされてました。
まぁ、電車移動を楽しんでたので嫌ではありませんでしたが(`・ω・´)ゞ
長浜店の店長が急病入院する事になり、2ヶ月程通った事がありました。
毎朝、検収出入口を通り親店舗の事務所で釣銭金庫を預かり開店準備、その時期の売り出し商品を店頭に出したり集配便の準備をしたりでようやく開店、毎日がコレの繰り返し。
食事は彦根から来る自社集配便担当に少しだけ店番をお願いして店内で弁当買ったりパン買い込んだりで済ませてましたが、やっぱり飽きてくるんですね店内だけじゃ(/ω\)
ある時、「米原だったら駅弁あるやん!」と思い出し、買う事にしました。
当時はまだ古いままの米原駅で、北陸線のホームには巨大なタイル張りの洗面台(蒸気機関車の煤落とし洗顔用だとか)が有り立ち食い蕎麦もホームで営業しており、そこで駅弁も買えました。朝のホームで買ってた駅弁、ほんのり温かかった記憶が有ります。
井筒屋さんが駅弁事業(飲食全般)から撤退するニュースは結構、衝撃を受けました。
昨年秋に鳥栖駅で買った駅弁と同じく老舗、しかも駅専売の真正駅弁、基本的にその駅でだけの販売。
旧型客車の車内持ち込みで丼代20円(10円だったかも?)を払い、うどんやそばを啜りながら新疋田辺りまで遠征して写真撮ってた中学の頃から、米原駅北陸線ホームの井筒屋さんには度々お世話になってました。
仕事変わって北陸本線方面を利用しなくなり、単車や自動車の免許取ってから国鉄及びJRも滅多に利用しなくなってしまいました。
SL北びわこ号の撮影等で米原駅を訪れる頃には駅リニューアルによりホーム売り場も無くなってました。
「あの旅先で食べた駅弁が買える!」
「地元の味がここで手に入る。」
駅弁フェアは本来、そんな価値も有った筈です。
他店はどうあれ、井筒屋さん、ありがとうございました。
本当なら今日、
大都市近郊区間大回りを利用して米原で駅弁購入、余呉駅で一旦下車してホームで雪景色見ながら駅弁食べて、ぐるっと琵琶湖回って一駅旅する予定でした。
馬鹿みたいに雪が降らなければねぇ・・・(/ω\)
Posted at 2025/02/08 14:10:11 | |
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鉄道 | 日記