
やっと雨、やみましたよ。
ほんと、もう4月も終わり
5月に入ろうかってのにこの寒さ。
来週の火曜日頃までに
また、一回寒くなるらしいです。
その後は半袖でいけるようになるのかなぁ~。
デブなんで寒さには強そうですが
実は弱そうなへびめたさんです。こんばんわ♪
そんで、今日は休みだったので
足場はわるいですが
以前から気になってた場所へ。
いざ、田丸城へ!with 次女。
画像は虎口案内板と次女ですw
こんな写真を撮ってる変わり者の親は他にはいませんでしたw
長女は幼稚園に通い出したので
いつもは嫁、次女との3人で行動なのですが
嫁は、本日、お医者さんへ。
で、次女を連れて遊びに行くのですが
「公園へ行く?」
って聞くと、もちろん答えはイエス。
で、いつも遊んでる近所の公園へ行くと思ったらしく
車に乗ろうとすると、
「ドコ行くの?」
って・・・・。遠くの公園だよと言い聞かせると次は
「すべり台ある?」
って・・・・・。城址に滑り台なんか無いです(汗
「すべり台はないけど、登ったり降りたり出来るよ♪」
って。納得したのか車に乗り込む。無事、調略成功ですw
田丸城は、三重県玉城町にある城址で
1336年に北畠親房にて築城。のちに織田信長に攻められ
弟の織田信雄が養子となり最終的に北畠家の家督を継ぎ
田丸城を改修。しかし5年で放火により焼失。
江戸時代に入り、蒲生氏郷、稲葉道通と城主は変わり
最終的に紀州徳川藩領となり家老の久野宗成が入城。明治に廃城となる。
こう書くと間は空いているものの、
築城後500年あまりも城としてあったのは驚異的かもw
建造物はイロイロ変わるけど、その場所に城が500年もってのは凄いですね。

堀から大手門の図。
左手には役場があり、城内に役場があるというw
役場の人は、毎日、田丸城に入城して仕事してたり役場に用事のある人は
田丸城に入城している事になる。
「俺、婚姻届だしに、ちょっと田丸城へ入城してくるわ。」
なんて、会話が現在でも成立するのであるw
ちょっとカッコイイかもw萌えるぜぇ♪
ちなみに、
「俺、離婚届を出しに田丸城へ入城してくるわ。」
って、出て行くと、その方は帰らぬ人となるらしい。
噂では城内で腹切り&介錯の刑に処されるとのことw
※嘘です。玉城町のみなさま。申し訳御座いませんw

富士見門。田丸城内で現存する唯一の門。三の丸と二の丸の間にあったそうです。
廃城後、個人に引き払われ、昭和に今の場所に移築されたそうです。
建造物自体は江戸中期のものだそうです。管理が適当なのにワロタw

いざ!本丸へ!目指すは天守台!!
お城跡に来て、何が萌えるって言うと
こういう曲がりくねった通路だったりですねぇ~。
迷路のようになってて、こっち行ったらNooooo!袋小路だぁ~。やられるぅ~ってw
そういうところに萌えますw天守閣が残ってる有名な城も好きだけど
城の形(本丸、二の丸、堀や城壁)を残してる城址の方が好きですね♪

本丸の石垣。6~7mはありそう。結構、綺麗に残っていて、野面積みの石垣が
またまた、萌える要素ですねぇ~。戦の厳しい中、頑張った石垣。
野面積みの石垣は戦国時代の石垣の象徴。綺麗に切られた石垣は江戸時代以降。
私の中で、江戸時代の城と戦国時代の城とでは扱いが全然異なりますw

本丸に到着すると、幼稚園児たちが遊びに来ていて
人間様がいっぱいで城址の雰囲気ではありませんでしたw
そんな中、とりあえず、人のTOPに立ちたい次女は天守台へw

天守台からの風景。玉城町(田んぼしかないけど)が見渡せます。
とったぞぉぉぉぉぉぉぉ(濱口まさる風)って感じで爽快です♪

現城主のアヒル氏。かなり強そうw
次女なんか噛まれそうになってました。
城主のアヒル氏に舛添氏の離党やら現在の世相について聞いてみたところ
クェクェ言ってましたwやばいらしいですw
田丸城は明治まで城として残っていたせいか
石垣を含む城の形状がきちんと残っており
本丸、二の丸、北の丸と歩いて散策できるようになっています。
また、虎口の門はありませんが虎口があった石垣も
綺麗に残っており、さもソコに門があるように感じられ
城を楽しむには十分でした。
お金を払って天守閣に登る城廻もいいですが
城址に行き、思いに耽るのも、また面白いモノです。
Posted at 2010/04/23 23:08:06 | |
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歴史街道 | 日記