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2012年04月09日 イイね!

歴史街道 ~ロマンへの扉~ 名古屋城編

歴史街道 ~ロマンへの扉~ 名古屋城編 今日は春休み最後の
日曜日でした。

桜を見に行きたいと
ふと思った数日前。

桜と言えば、城ですよねぇ~。

本日訪れたのは
日本百名城に選定されていて
金のしゃちほこでも有名な
名古屋城です。

名古屋城と言えば、
徳川家康が、関ヶ原の合戦後
豊臣家対策として、行政の力で築城したお城ですが
もともとは織田信長のお父ちゃん織田信秀が
今川家よりぶんどった城で信長誕生の城としても
有名だそうです。
私、知りませんでしたw

現在の名古屋城天守閣は復元天守であり
元の天守は戦時中の空襲によって焼失しております。

復元された天守の中は5層7階建てとなっていて
中にはエレベーターもあり、観光用にかなり整備されており
歴史を感じる様な作りになっていないのが少し残念です。
これじゃぁー河村市長も木造にするって言いますわぁw

天守内には甲冑や刀、襖や当時の暮らしを表すものなど
イロイロな展示物がありましたが
花見時期の日曜日。展示物より人しか見えませんでした(涙)

そして名古屋城と言えば、築城の名手「加藤清正」の作品である事でも有名。

でも、ちょっともっさりしたお城ですねぇ~。
どしっとして強そうですが、私はもう少しスマートな感じの城が好きですね。

名古屋城と言えば、もう一つ有名なのが
名古屋おもてなし武将隊。

甲冑を着た役者さんが殺陣や寸劇などを披露してくれるモノで
最近では織田信長役の人と前田慶次役の人は
たまにテレビでも取り上げられたりしてます。

私も見たいと思ったし嫁も織田信長は見てみたいと言ってましたが
公演スケジュールを見ると信長も慶次も出てこない・・・・w
ってか、4月のスケジュールに二人の名前はありませんでした(汗)
嫁、ちょっとテンション下がる。あげく
「ち、違うところ行く?」とか言ったりしてたw

最後は、金のしゃちほこを眺めて帰ってきました。

モトモトのしゃちほこは純金約200㎏も使って作られていたそうです。
今のしゃちほこは約80㎏。それでも結構な金額っぽい。

うぅ~ん。是非ともお家に持って帰りたいモノですなw

桜は、7分咲きなのか、もう散り始めてるのかよくわかりませんでしたが
そこそこ咲いていてすごく綺麗でした。

しっかし、人、人、人で少し人に酔って帰ってきました。
ちょっと疲れましたわ(´・ω・`)ショボーン
Posted at 2012/04/09 00:27:40 | コメント(2) | トラックバック(0) | 歴史街道 | 日記
2011年02月27日 イイね!

歴史街道 ~ロマンへの扉~ 彦根城編

歴史街道 ~ロマンへの扉~ 彦根城編 今日はとある理由があって
娘たちと私の3人で行動です。

べつに嫁と喧嘩したわけじゃありませんw

娘たちと行動となると
行く場所は限られてくるんですが

やっぱ、子供と行く場所って
言ったら城郭しかないっしょ!!

今日、陥落させに行ったお城は
私の好きな武将の一人である
井伊氏の居城「彦根城」です。
井伊の赤備えが国内最強のはずw
いや、真田かw



国宝ともなっている天守。
日本国内にて現存する天守閣で国宝に指定されている四天守のうちのひとつ。
三層三重天守。






城に来たとき、中を見るのは当たり前なのですが
石垣外から、ぐるっと城を一周すると、たまに当時の城のあった風景を
思い起こせるような景色がある時があります。中から見るより
外から全体をザラっと見た方が城は楽しいw
でも彦根城は、そうゆうのはあまりなかったw
梅林です。ジューダスのポイントオブエントリーのジャケみたいな風景w
もともとは米蔵がたくさんあった場所だそうです。





そして、コイツをシバケば、この城も我が手中に!!
と、思ったのですが・・・・。
ヨチヨチ歩き。
風車を風に当ててポージング。
その際、自分で鈴を「チリ~ン♪チリ~ン♪」って下から手で揺らすんですw
カ、カワイ過ぎるwww
城主手強く、あえなく撤退ですw


※嫁は今日、ママ友さんだけの
「ドキっ!ママ友だらけの新年会!ポロリは無いよ♪」に参加。
焼肉を食べてくるそうですw

私は、お昼、マクド。夜は帰ってきて親子丼で終わりましたw




【 番 外 編 】
私、過去にどっぷりアニメオタクでしたw
と、突然のカミングアウトにみん友の皆様もPCモニターの向こうでドン引きwww

滋賀に行ったなら、もう行くしかない!!
ちょっと登校してきましたw


アニメ「けいおん!」の主人公たちが通う学校の元ネタ「豊郷小学校」です。
現在は新校舎が建ち、この旧校舎は図書館や子育て支援センターなど
町の憩いの場として活用されています。
詳しくはフォトギャラを見てください。

アニメにハマったのはもう数年ぶりw
ハマるきっかけはニコ動の演奏してみたで
みんながコゾッテ主題歌を演奏してました。
アニメの曲の中じゃ「うじきつよし」の北斗の拳の主題歌の次に衝撃的でカッコ良かったw

本命の「don’t say lazy」はコアラさんが紹介していたので違う曲を紹介。
キーボード含むバンド形態で、とてもバランスよく構成されているのですよ。
私はシンセ弾きだったので5人編成のバンドは大好きw


そして演奏してみたで動画を見まくってたら出会った
3次元な律っちゃんw ※律っちゃんってのはアニメでドラム担当の名前です(汗)

手数王「菅沼孝三」氏の弟子だそうです。
手数王と一緒でハイハットは叩かず踏み倒してます。
曲は「けいおん」の曲なのでへんな曲ですが
シャッフルなリズムでテンポも速め、かなり難しめな曲なのに余裕です。
スネアをタカタカって叩いてる時ってハイハットはお休みだと思ってたし
ライド叩いてる時もハイハットはお休みと思ってましたw
ローファーでツインペダルとかって凄すぎます!(汗)
中学生らしいですよ。プロだそうです(汗)

この投稿後、みん友が一人とかになっていないことを切に願いますw
とか書いてクレイさんが真っ先に逃げてるとかって無しですよw
Posted at 2011/02/27 01:13:18 | コメント(6) | トラックバック(0) | 歴史街道 | 趣味
2010年05月26日 イイね!

歴史街道 ~ロマンへの扉~ 神戸城址編

歴史街道 ~ロマンへの扉~ 神戸城址編今日、嫁は長女の幼稚園の
参観日でお昼もママ友同士で
ランチだそうで。

じっとしてることが不可能な
次女と、少しでもフリーダムタイムが
あればじっとしていることが出来ない
へびめたさんで午前中から
お出かけしてました♪

今日のフリーダムタイムは
午前中から夕方までと
結構、ロング♪

こんな日は攻めるしかないよね!

行っちゃう?次女?

って事で、城跡へ♪

本日、城攻めを行った城跡は
鈴鹿市にある「神戸城址」。

城址内は公園となっており
写真は、公園の遊具。
私が子供頃はこんなコンクリの遊具が
結構ありましたが、今、コレを作ろうと思えば
まぁ~、転倒による頭部強打の恐れとか
高さがあるのに手すり等の安全面が微妙とかで
同じ物が作れないんでしょうなぁ~。
大体、公園にある遊具は全面手すりや柵で覆われてて
高い場所でも落ちないしコンクリではなく鉄と樹脂類でできてます。
写真の鉄の取っ手みたいな階段なんか
安全面無視な構造で上から落ちた時の悲惨さは想像を絶する物がありますw
でも、こんな遊具の方が楽しそうなんですよねぇ~。
滑る部分も斜度が60度はあるんじゃないの?ってぐらいの急斜面。
最近の公園では見かけない遊具。少しでもコンクリが剥がれれば
即座に「KEEP OUT」テープが巻かれお役ゴメンとなってしまうのでしょう。
今のうちに20世紀の遊具を存分に楽しんでおくれ♪

そんな事はドーデもいい話で。
肝心の城攻めですが・・・。

今回、訪れた城後は三重県鈴鹿市神戸本多町 にある
神戸具盛氏が築城の神戸城。

神戸城のスペックは
築城は神戸具盛氏で1550年ごろ。
その後、織田家の伊勢侵攻により
三男の織田信孝が城主に。
そして、城主はいろいろ変わり最終的には名門「本多家」が
明治まで統治し解体となっています。




城跡には天守台が残っていました。

天守台近影(望遠レンズしか持ってこなかったので引きの画が一切ありませんw)






野面積みの石垣が相変わらず男前。
やっぱ石垣は戦国時代のモノの方が漢(おとこ)って感じするよねぇ~。
不揃いな石が男気を語っていますw






内堀。橋の上からなので引きで撮れず、「内堀」って言わないと
なんのこっちゃわからない最低な写真w

鯉が泳いでいましたがあまり整備されておらずちょっと汚かったです。





天守台全影(全部写ってないけど)
それほど大きくはない城なのに天守台は結構立派なもので
5層の天守が建っていたらしいです。その為か、石垣の石は
大きなものが多く、天守に登るための石段はまたもや次女の身長の2/3ぐらい。
天守台に対し平行になっているので(非常階段のようになっていて正面から登る石段ではない)
しっかり手をつないでないと次女、即落下です。
「気をつけてねぇ~」って掃除のおばあさんが声を掛けてくれましたが
ハァハァいいながら登っていました。






明治に入り、城が解体され払い下げされた太鼓櫓。
現在は蓮花寺(鈴鹿市東玉垣町)に移築されており
綺麗な形で残っていました。(改修した感じ?)
太鼓櫓って初めて聞きましたが、太鼓で時間等を
城内にお知らせする時報のような役割をしていたそうで
音が漏れるよう、中ほどがスノコ状態になってます。


今回、訪れた神戸城。
場所はすぐにわかったんですが、駐車場が裏手?にあったので
城址周辺を一周しちゃいました。
道が狭く、クネクネいしていたのでMPVだった私は少し緊張w

城跡へ行くにはちっちゃい車が便利かなぁ~。ライフにはナビがないし。

やっぱ、史跡巡りには単車が一番かなぁ~。でも免許ないしなぁ~。

建造物のある三重の城跡があとちょっとなので県外遠征となっちゃうしなぁ~。

愛知、岐阜。やっべ。考えただけでヨダレモンデスゼw
Posted at 2010/05/27 01:38:45 | コメント(7) | トラックバック(0) | 歴史街道 | 趣味
2010年05月08日 イイね!

歴史街道 ~ロマンへの扉~ 伊賀上野城編

歴史街道 ~ロマンへの扉~ 伊賀上野城編 明日は母の日。
皆さん、自分の母親に
普段の思いの丈をぶつけていますか?w

私は男の子な為
母の日はおろか
父の日も敬老の日も
すべてスルーしてきたんですが
結婚を期に嫁がするって事で
ついででやり始めましたw

でも、普段から一緒に暮らしていた
親や祖父母、就職を期に里を離れ
結婚し子供が出来て親の大変さを知り
今では、感謝してもし尽くせません。
離れて暮らしているので
父や母には孫の可愛さを経験して貰えず
大変、不憫に思っております。

思春期の頃、誰でも経験ある
母に対する暴言。
「産んでくれなんて言ってない。」なんて言葉。
今では口が裂けてもいえませんし
もし我が娘達がそんな事を口走ろうものなら

・・・・へびめたさん、泣いて飛び降りちゃいますよぉ~

・・・・・高石垣からw

なんて事で、今日は行ってきました!

天守閣のある城へ!

歴史街道!伊賀上野城編です♪

写真は城や城址には付き物の石段。
コレが長かったり、高かったりすると・・・
娘達の心はすぐに折れ、「帰るぅ~」だの「だっこぉー」だの
グズグズです。伊賀上野城はそれほど、段差も高くなく、グッドな感じ♪


石段を登りきるとソコにはりっぱな三層の天守閣。
いやぁ~テンションあがりますねぇ~w
この天守閣。現存ではなく復興天守で改築は昭和10年と比較的新しい物。





藤堂高虎の兜といえばコレ。
「高虎さぁ~ん」って呼ばれれば
振り返りざまに側近の頭をバシバシししちゃう黒漆塗唐冠形兜。





一層目には兜や甲冑が展示されていました。





二層目にはお皿や茶碗など生活用品的なものが展示されています。





三層目には展示物はなく天守最上層からの眺めを楽しむことが出来ます。
写真は天井に張り巡らされている書や絵。
天守復興時に送られたものなのか?総理大臣の書などがありまいした。




築城の名手とも言われる藤堂高虎。
もともとこの城は筒井定次による築城。
その時は時代は豊臣家のもの。城は大阪を守る為の外城として
作られたそうですが、後に、藤堂高虎が入城。
その時は関ヶ原後のため、今度は豊臣家に敵対する為の城として
藤堂高虎の手によって改修されたそうです。
堀からそびえる高石垣。
ちなみにココから飛び降りる予定w




三層天守と小天守。
うほ♪カッコよすぎ♪いやぁ~。休日というのに人が少ない。
歴史ブームなのにブームに乗れてないのがいいっすねw
名古屋城とかなんか武将が踊ったりしてるというのにw
でも、人が多いより少ないほうが好き勝手できるのでいいのですw

伊賀上野城のスペック
築城は天正13年(1585年)筒井定次。
改修は慶長13年(1608年)より藤堂高虎の手によって。
天守閣は復興天守で昭和10年に改修。三層三階の天守。
登閣料は500円(大人)200円(小人)うちの娘達はタダでしたw


伊賀上野城は公園として整備されており公園内には
写真の俳聖殿や忍者博物館などがありました。

この「俳聖殿」
松尾芭蕉の生誕300年の記念に建てられたそうで
中には芭蕉の像が飾ってありました。

で、像をガン見する娘達。なんか気になるのかw
忍者博物館には行ってませんがいろんな忍者グッズや
忍者ショーなどがあり男の子には人気ありそうな感じです。

ちなみに、忍者の衣装も貸してくれるようで
城内にはちびっ子忍者が何人かいてましたが・・・
今日は暑すぎるからかわいそうw




そして、明日は母の日ということもあり
なぜか私がご飯を作らなければならないらしいです。
そして、今日もプレ母の日との事で、嫁は家でのんびり
取り溜めしてたテレビをずっと見てたそうですw
ま、子供が出来てから子供と離れる時間など皆無ですから
たまにはいいかと。

明日、何作ろう・・・・
家事でも掃除や洗濯は余裕なんだけど
料理が・・・・・w
野菜なんか均等な大きさに切れないw

誰か、料理を教えて下さい。

うちの嫁は目分量で覚えているらしく
醤油や砂糖など味付けの分量の説明が
すべて、「適当やで♪」で終わりますw
大さじ何杯とか無いみたいです。
もう、なにが音符なのかすらわかりませんw
Posted at 2010/05/08 23:49:22 | コメント(7) | トラックバック(0) | 歴史街道 | 趣味
2010年04月23日 イイね!

歴史街道 ~ロマンへの扉~ 田丸城址編

歴史街道 ~ロマンへの扉~ 田丸城址編やっと雨、やみましたよ。
ほんと、もう4月も終わり
5月に入ろうかってのにこの寒さ。

来週の火曜日頃までに
また、一回寒くなるらしいです。

その後は半袖でいけるようになるのかなぁ~。
デブなんで寒さには強そうですが
実は弱そうなへびめたさんです。こんばんわ♪

そんで、今日は休みだったので
足場はわるいですが
以前から気になってた場所へ。

いざ、田丸城へ!with 次女。

画像は虎口案内板と次女ですw
こんな写真を撮ってる変わり者の親は他にはいませんでしたw

長女は幼稚園に通い出したので
いつもは嫁、次女との3人で行動なのですが
嫁は、本日、お医者さんへ。

で、次女を連れて遊びに行くのですが

「公園へ行く?」
って聞くと、もちろん答えはイエス。
で、いつも遊んでる近所の公園へ行くと思ったらしく
車に乗ろうとすると、

「ドコ行くの?」
って・・・・。遠くの公園だよと言い聞かせると次は

「すべり台ある?」
って・・・・・。城址に滑り台なんか無いです(汗

「すべり台はないけど、登ったり降りたり出来るよ♪」
って。納得したのか車に乗り込む。無事、調略成功ですw

田丸城は、三重県玉城町にある城址で
1336年に北畠親房にて築城。のちに織田信長に攻められ
弟の織田信雄が養子となり最終的に北畠家の家督を継ぎ
田丸城を改修。しかし5年で放火により焼失。
江戸時代に入り、蒲生氏郷、稲葉道通と城主は変わり
最終的に紀州徳川藩領となり家老の久野宗成が入城。明治に廃城となる。

こう書くと間は空いているものの、
築城後500年あまりも城としてあったのは驚異的かもw
建造物はイロイロ変わるけど、その場所に城が500年もってのは凄いですね。





堀から大手門の図。
左手には役場があり、城内に役場があるというw
役場の人は、毎日、田丸城に入城して仕事してたり役場に用事のある人は
田丸城に入城している事になる。

「俺、婚姻届だしに、ちょっと田丸城へ入城してくるわ。」

なんて、会話が現在でも成立するのであるw
ちょっとカッコイイかもw萌えるぜぇ♪

ちなみに、

「俺、離婚届を出しに田丸城へ入城してくるわ。」

って、出て行くと、その方は帰らぬ人となるらしい。
噂では城内で腹切り&介錯の刑に処されるとのことw
※嘘です。玉城町のみなさま。申し訳御座いませんw





富士見門。田丸城内で現存する唯一の門。三の丸と二の丸の間にあったそうです。
廃城後、個人に引き払われ、昭和に今の場所に移築されたそうです。
建造物自体は江戸中期のものだそうです。管理が適当なのにワロタw





いざ!本丸へ!目指すは天守台!!
お城跡に来て、何が萌えるって言うと
こういう曲がりくねった通路だったりですねぇ~。
迷路のようになってて、こっち行ったらNooooo!袋小路だぁ~。やられるぅ~ってw
そういうところに萌えますw天守閣が残ってる有名な城も好きだけど
城の形(本丸、二の丸、堀や城壁)を残してる城址の方が好きですね♪





本丸の石垣。6~7mはありそう。結構、綺麗に残っていて、野面積みの石垣が
またまた、萌える要素ですねぇ~。戦の厳しい中、頑張った石垣。
野面積みの石垣は戦国時代の石垣の象徴。綺麗に切られた石垣は江戸時代以降。
私の中で、江戸時代の城と戦国時代の城とでは扱いが全然異なりますw





本丸に到着すると、幼稚園児たちが遊びに来ていて
人間様がいっぱいで城址の雰囲気ではありませんでしたw
そんな中、とりあえず、人のTOPに立ちたい次女は天守台へw





天守台からの風景。玉城町(田んぼしかないけど)が見渡せます。
とったぞぉぉぉぉぉぉぉ(濱口まさる風)って感じで爽快です♪





現城主のアヒル氏。かなり強そうw
次女なんか噛まれそうになってました。
城主のアヒル氏に舛添氏の離党やら現在の世相について聞いてみたところ
クェクェ言ってましたwやばいらしいですw



田丸城は明治まで城として残っていたせいか
石垣を含む城の形状がきちんと残っており
本丸、二の丸、北の丸と歩いて散策できるようになっています。
また、虎口の門はありませんが虎口があった石垣も
綺麗に残っており、さもソコに門があるように感じられ
城を楽しむには十分でした。
お金を払って天守閣に登る城廻もいいですが
城址に行き、思いに耽るのも、また面白いモノです。
Posted at 2010/04/23 23:08:06 | コメント(6) | トラックバック(0) | 歴史街道 | 日記

プロフィール

「タイヤ交換なのです♪ http://cvw.jp/b/422230/39352771/
何シテル?   02/21 00:38
2011年12月にキューブ(Z12)に 乗り換えました。 シートがふかふかなのがイケないんだ。 お尻のラインを手洗いしてると ボ○キしちゃいそうですw ...
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