
地震当日から被っていた
釣り用のキャップ…
地震でヘルメットがないので
代わりに使ってましたf^_^;
*注*
あまりの長文なので携帯からは閲覧途中で途切れるカモ
「11日当日の話」
朝1番で寝ぼけて柱に左足の小指を
派手にぶつけて朝っぱらから
嫁さんに乗せられ病院へorz
オチは第一第二間接の剥離骨折f^_^;
全治2ヶ月wと云われギブス代わりに
薬指と湿布とテーピングで固定され、帰宅
嫁さんは仕事が休みで郡山の
友人と須賀川で待ち合わせで
矢吹へ行くので出掛け
俺は足が痛かったですが会社へ…
お昼で自宅に戻り、昼食とお昼寝w
また会社へ…
まぁ、いつもの変わらない日常でした
午後からは納期に追われた
熔接の作業してました。
この業界、スピーカーに鉄粉が
付着してダメになるので携帯は
事務所に置いてるんですが…
嫁さんが休みで出掛けて居る時は
携帯をポケットに入れて仕事する
癖がありました。
2時45分…
あと2個で熔接作業終わりと
ピッチ上げてました
2時46分…
熔接してたらポケットから
けたたましいアラームが鳴り
最初何だか解りませんでしたが
熔接を止め、皮手袋を外し
携帯を見ると
「緊急地震速報」
即座に何故か嫌な予感がした。
同時に、材料の棚とシャッターから不気味な軋み音が・・・
工場出口近くで作業してた俺は
咄嗟に1番工場奥でプレス機の
金型取り付けをやっていた
親父とその近くで別なプレス機で
作業していたお袋にかなりデカイ声で
俺「地震来るぞ!!外出ろ!!」
一瞬、キョトンとする両親。
俺「早く!!外に逃げろ!!」
言った瞬間走り出す両親と
襲っきた大きな揺れ。
両親を外に出し、俺も外に出るが
立って居られない。
しがみつかれたが、バランス
崩しそうだったので座る様に促す。
工場と事務所がギシギシと
現実味の無い揺れ方するのを
外から眺めるしかない状態。
何かが落ちる派手な音や
ぶつかる音が聞こえた
だが座っているのが精一杯。
少し立ち上がって周りを見渡すと
家が立って居る場所からは
砂煙が立ち上り、息子が通う
保育所を見て建物が無事なのを
確認したが見てる間に
また強い揺れ…
お袋のAZワゴンを安全な場所へ移動し両親を車内避難させた。
この時嫁さんに電話するも全くつながらない・・・
緊急時に付きなんともいえないがこのあと何度も
電話するも、全くつながらなかった。
ちびコロ(飼い犬)の事務所内で
悲痛な鳴き声で気が付き
救出へ事務所へはいったが
水槽の水が揺れて溢れ水浸し状態
神棚や図面を置いた棚からは全て落ち
散乱状態だが、余震が続き無視を決め込み
ちびコロを救出して車へ。
激しい揺れが収まりったがまだ揺れてる。
親父に自宅を見てくる様に言われたが
マイプレはガソリンを夕方入れる予定で
給油ランプが点いていたのを思い出す。
結局、親父のカペラワゴンで会社から出た
自宅に向かうR118号
いつもの光景・・・のわけは無い
石積みの塀は落ちブロック塀も歪み
道路には瓦が落ち散乱している場所が
数箇所有りとっさにかわす
ありえネェ・・・そう思った。
自宅に着き自宅の飼い犬もエラい吼えている
自宅のブロック塀は・・・・辛うじて大丈夫だ。
自宅外観は・・・OK
中は・・・うちらの冷蔵庫は中が飛び出して
散乱していた・・・とりあえず閉じようとした時
また余震・・・生きた心地がしなかった。
物凄い勢いで片付け閉じて、屋外へ・・・
この間5分ほど・・・外には近所の人たちも出ていた
道路や隣地区の被害状況を伝え、
次は息子の通っている保育所へ・・・
保育所は農道の端なので地理的には
大丈夫!建物だって・・・
こうは思ったが、農道は盛り上がり
電柱は傾斜が付いていた、
何より保育所の型枠で固めた塀が道路側に
斜めになっていた。車を止め、中へ・・・
児童は全員遊戯室(体育館っぽい)に集まっていた
泣き出す子も多数いたが、全員お昼寝用の
布団を頭に掛けていた。
入り口を入るとスグに息子の担任の先生が居たので
俺「○○は!?」
担任「無事です!こちらに居ます!」
クラスごとに固まっていたので直ぐに分かり
息子も気がつき、しがみ付く。
即、踵を返し担任と保育主任に声を掛け
つれて帰る事を伝えた。
そのまま、会社へ一旦戻り両親の乗った
AZワゴンへ息子を乗せた。
親父は工場裏の窓が枠ごと破損したのを確認していたので
絶対無理して修復しない、工場内には余震があるので
入らない約束させ、自宅の状況等を伝え
息子にはママ探してくるから!と伝えた。
珍しく「ハイ!」と一発で返事が返ってきた。
この時点で3時30分頃
嫁さんには携帯が全く通じない。
一応、メールで「会社に全員居る、見たら会社来い」と打つ
この状態では・・・と送信はされたが届くかどうか・・・
不安を抱えつつ、再度親父のカペラで出た
途中、近くのガソスタにて店員居たので聞いてみるも
ダメの答え・・・ヤバイな
矢吹に向か出だすも、道路がナニこの状況。
道路は陥没、隆起、段差、地割れのオンパレード。
川の橋を渡るのにつなぎ目が離れてる&15cmほど落ちてる・・・
「ここは帰れない」と悟った。
そして、何で川が堤防スレスレの濁流なのかこの時は分からなかった。
塀の倒壊やら、道路の陥没やらで迂回迂回迂回ひたすら迂回。
結局出れたのは鏡石のR4・・・
「嫁は変に悪運強いから」の一途の望みで4時半の
時点で会社へ戻るのを決意。
帰りもR118は寸断されたのを迂回中に知っていたので
裏道回避、生きた心地がしないが
変に冷静で、近くのセブンに戻る直前に寄って
飲み物(お茶類)食べ物を買う。
商品全てひっくり返したような状態のセブンで買い物するとは・・・
家族5人がとりあえず食べれる状態のものを買い
会社へ戻る・・・
ん!?
嫁車アルーーーー!
嫁ブジ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!
すいません。抱きしめちゃいました(爆
嫁さん曰く
友人とカフェ行こうとして道を間違えて(;゚∀゚)ハィ?
戻っていたところR4で地震にあう。
たまたま橋の上だったことも有りメチャメチャ揺れたそうな
「あ、あたしここで死ぬ」とマジで思ったらしい。
即友人を須賀川の待ち合わせ場所に送り
そのまま何とか保育所にまわり、会社見たら車が見えた
から会社に来たそうです。
お袋には「○○(俺)に会わなかった!?」といわれたそうですが
俺の性格からして、探しに出たのはウスウス帰宅途中に感じていたそうです。
その後、全員帰宅をして自宅の状態を把握
俺ら世帯は食器数枚と、新婚旅行時に購入した二人の名前入りの額のガラスが
落下して散乱してました。
両親達のほうは、食器が6割割れてエライ事に
こちらが片付けに時間がかかりました。
散乱した食器やらを片付けてフト・・・
水道が弱い!
断水する!?
慌てて水用ポリタンクを出し給水。
PCのところに、ずぼらに放置していた
ペットボトルにも全て給水。
裏の荷物小屋も倒壊は免れていたので使えそうなモノを
探す探す。
釣りが好きでいろんな無駄なモン有りましたが
こういう時には役に立つ(爆
短期な飲み水は確保しないとと思い必死でした。
飲み水を確保して、夕飯の準備。
嫁さんとお袋に任せました。
夕食中にこの天災の一部を知る。
TVからはありえない津波の映像・・・
火災の映像・・・
ナニコノM9って(;´Д`)
水が完全に出なくなったのは午後8じ頃。
その頃は既にトイレ用の水を井戸水にてバケツに貯めていました。
井戸水がどれだけ出しても物凄く茶色・・・
風呂(五右衛門なんでいけたが)はパスして茶の間で就寝。
何度もくる大きな余震に目が覚め、
俺も地震発生から、神経が物凄く過敏状態で寝れず。
一夜を明かしました。
結局、嫁さんに送ったメールは3日後の朝に到着
俺の足の痛みが戻ったのも3日後でしたw
さて、発生から17日が経ちました。
会社の復旧状態もほぼ100%に復旧しました。
家も大丈夫、人も大丈夫。
俺はもう
「被災者」
と自分を思わ無いようにします。
誰かのブログに有りましたが、俺は
「復興者」
へシフトしようと思います。
俺は前に進みます。
災害なんかに負けない!
がんばろう東北!東日本!
そして全てのがんばっている人たち!
さて、余談だが・・・プレの物欲センサー張り
まくりだったのに震災で、貯めた分
全部吐き出しちゃったからなぁ・・・orzカネネェ
とりあえず、震災関連のブログはコレで最後にします。
あとは別カテゴリーで書いて行きたいと思いますので
また生暖かく見守ってね(ハァトw

Posted at 2011/03/28 20:37:23 | |
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