2009年10月11日
昭和40年より前
高度成長期に道路事情の緩和を考えちまちま進めていた計画
中央、東名、関越、東北道、常磐道を繋ぐ首都圏渋滞緩和の切り札であった。
「とうちゃん!何でここだけ空き地やねん?」
「ここは将来でっかい道路ができるんだぞ。東京を囲むでっかい道路が…!」
空き地にたててあった角海老の看板。
不法に投棄してあった材木…
あの空き地は私の遊び場であった。
怪我も沢山したがそれくらいが丁度良い。
親父は結局東京を囲む道路を見ずに他界した。
ちなみに上のような会話をした事実はない。
( ;゜ω゜)エッ
埼玉県は土地の確保を最優先に行い、私が生まれたときにはすでに区画の目途までできていたようだ。
実際工事が始まれば…
三郷から所沢まで短期間にできた。
しかし他県はやる気があるのか無いのか…一向に進まなかった。
予想通り渋滞は本格化
埼玉県は国道298と外環道のおかけで関越、東北道、常磐道の行き来はかなり改善されていた。
そんな中…東京が重い腰を上げたのだ。
予算を組んでやる気だ!
てか西に行く気がしないのは東京で渋滞するからだ。
交通がよくなれば経済効果も上がる!
頑張れ東京!
私の温泉のために!!
(`・ω・´)
…
…
で。
結果は自分たちの財源確保のためだけにあちらこちらで夢や努力を打ち壊している民主党により予算を9割奪われた…
もう…
だめなんだろうか…
埼玉県だけの外環。
頑張れ…東京と千葉。
私の立場だと税金は上がるわ夢は壊されるわ民主党は働く扶養あり年金無し者は国民と認めないらしい。
取られるばかりでございます。
(´・ω・`)
何か手だてを!
Posted at 2009/10/11 01:12:56 | |
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