
大川小の行方不明者捜索自衛官に 勇気を与えた小学生の手紙
東日本台震災では10万人もの自衛官が派 遣された。救った人名は2万人にも上る。 だが、彼らの奮闘はこうした数字だけでは 推し量れないものも数多く存在する。そこ でSAPIOは多くの自衛官にインタビュー し、その埋もれたエピソードを発掘した。 今回は宮城県石巻市立大川小学校で行方不 明者の捜索に携わった自衛官たちに話を聞 いた。
* * * 石巻を襲った津波による最大の悲劇の一 つが大川小学校の壊滅だった。石巻市立大 川小学校は、児童108人のうち74人が死亡 または行方不明となった。学校周辺や校舎 内では、自衛隊による必死の不明者捜索が 行なわれ、瓦礫や汚泥が取り除かれた。そ して震災から約1か月後。
「すいません!」
4月6日、大川小学校近くの追波川河川運 動公園に設けられた宿営地内を歩いていた 第14戦車中隊(岡山)の石井宣広3曹は、 突如、背後から声を掛けられた。
その可愛らしい声の主は、ワンピースを 着た小さな女の子だった。少女は、振り向 いた石井3曹にこう言った。
「これ、読んでください……」
石井3曹に封筒を渡した少女は、名前も 告げずに走り去っていった。少女は、母親 と思しき女性の運転する車でやってきて、 偶然近くを歩いていた石井3曹に手紙を渡 したのである。
そこには、覚えたてのたどたどしい文字 でこう綴られていた。
〈じえいたいさんへ。 げん気ですか。 つなみのせいで、大川小学校のわたし の、おともだちがみんな、しんでしまいま した。でも、じえいたいさんががんばって くれているので、わたしもがんばります。 日本をたすけてください。 いつもおうえんしています。 じえいたいさんありがとう。 うみより〉
石井3曹は込み上げるものを必死で堪え た。
「胸がいっぱいになりました……。あの頃 は、発災から1か月が経とうとしており、 疲れもたまっていたのですが、あの手紙 で、『明日からも頑張るぞ!』と皆、勇気 が湧いてきたのです。そして自分たちの やっていることが人々のためになっている んだ、とあらためて認識しました」
その後、この手紙は第14旅団長・井上武 陸将補の陣取る女川の指揮所に届けられ、 たちまち各派遣部隊に伝わった。
井上旅団長は言う。
「手紙を見た時は、もう体中の血が逆流す るほどの思いでした。『よし、どんなこと があっても全員を捜し出すぞ!』という思 いが漲ってきましたよ。うみちゃんは、ど んな思いでこの手紙を書いてくれたんだろ うと思うと……」
少女が自衛隊に寄せた『日本をたすけて ください』という切実な祈りに全員が奮い 立った。中には、手紙のコピーを手帳に挟 んで災害派遣活動に励む隊員もいた。同県 利府町の加瀬沼公園に宿営地を設営した北 海道の第1高射特科群のある中隊指揮所に も、この手紙のコピーがボードに貼り付け られた。
東日本大震災から49日目にあたる4月28 日、飯野川第二小学校の体育館で、大川小 学校の犠牲者の合同慰霊祭が営まれた。祭 壇には74の可愛らしい児童の顔写真が並ん だ。その中には、いまだ行方不明の6人の 児童の写真もあった。
その間も、第14旅団の隊員たちは、うみ ちゃんの手紙を胸に、行方不明の児童を捜 し続けていたのである。
※SAPIO2011年8月17日・24日号
仕事で暑いとか言うてられへんね!
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2011/08/04 12:31:53