
「人員10万6250名、航空 機497機、艦船49隻が活動 中」。23万人の全自衛官 の半数近くが、来る日も 来る日も被災地に投入さ れている(※4月12日時 点)。かつての災害時に は「自衛隊外し」すら あったことを思えば隔世の感があるが、それ でもその活動が詳しく報じられることは少な い。彼らは今どんな思いで救助・支援活動を しているのか。震災直後から各地の派遣部隊 に同行取材した、フォトジャーナリストの菊 池雅之氏が被災地の自衛隊員の素顔をレポー トする。
* * * 生き延びた被災者への支援も自衛隊の重要 な任務だ。各所で風呂を開設したり炊き出し を行なったりといった活動をしている。
宮城県石巻市で捜索活動を実施している第 44普通科連隊を取材した翌日、航空自衛隊 の給養小隊が石巻市の沖合に浮かぶ網地島へ 給食支援を行なうというので同行させても らった。網地島は、地震発生直後より定期船 がすべて運休しており、孤立している島の一 つだ。
支援に使用するのは空自の双発ヘリコプ ターCH-47JA。同機は航空自衛隊の松島基地 に待機していた。この松島基地も津波によっ て甚大な被害を受けた。隊員も1名亡くなっ ている。日本が誇る最新鋭戦闘機F-2Bは、 18機すべてが津波に流された。
この日、私を案内してくれたのは、航空自 衛隊のアクロバットチーム「ブルーインパル ス」の編隊長、安田勉3佐だった。ブルーイ ンパルスも松島基地所属だ。しかし、たまた ま震災翌日に九州新幹線開業式典でデモフラ イトが予定されていたため、最寄りの芦屋基 地で待機しており、被災を免れたのだった。
ヘリコプターは松島基地を離陸してから 15分程度で網地島に到着した。機体後部の キャビンドアが開かれると、隊員たちは炊き たてのご飯や調理道具を降ろした。
保温容器に入れられた炊きたてのお米が島 の女性たちの手でおにぎりになっていく。隊 員も一緒に握る。みな笑顔で冗談も飛び出 る。被災地でこうした笑顔を見たのは久しぶ りだ。安田3佐が言う。
「今回の目的は炊き出しですが、ただお腹を 満たすだけでなく、心も満たすことを目的に しています」
パイプ椅子に事務机という殺風景な青空食 堂での実に質素な食事ではあったが、みな大 きな口でおにぎりを頬張る。
「すいません、おにぎりもう1個もらえます か」と恥ずかしそうに申し出るお爺さんに、 「どうぞ、どうぞ、何個でも食べてくださ い。なんなら全部(笑)」と冗談を言う隊 員。私も前日までの遺体捜索の取材で笑顔を 忘れていたが、この時は自然に頬が緩んだ。
現地へと派遣された自衛官たち自身は、 「天幕」と呼ばれる濃緑色のテントで生活を 送っている。ストーブはあるが、朝晩の寒さ はまだまだ厳しい。温かい食事はすべて被災 者たちに配るため、隊員たちは冷えた缶詰な どを食べている。
現地で、変わった食べ方をする隊員を見 た。レトルトカレーを温めずに封を切り、ま るでジュースのように直接飲み込む。それに 続けて、レトルトのご飯を口の中に放り込ん でいた。その様子をじっと見ていた私に気づ いた隊員が笑いながら言う。
「馴れれば、これはこれで美味しいですよ」
もちろん、風呂も被災者が優先だ。隊員た ちは3日に1回入れればいい方だが、「被災 者の苦労に比べれば……」と屈託がない。
朝になれば、再び隊員たちは遺体捜索や各 種支援活動へと出かける。毎日、何体もの遺 体に対峙する隊員たちの身体的精神的苦労は 並大抵のものではないだろう。それでも、 「誰かがやらなければ」と歯を食いしばり、 被災者には笑顔で接する自衛隊員たちが、今 日も東北各地での任務を続けている。
※SAPIO2011年5月4日・11日号
本当に頭が下がります。
ありがとうございます。
どうぞお体に気を付けて頑張ってください。
Posted at 2011/04/21 12:56:56 | |
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