
今日は、仕事の後に歯医者に行ってきました。
今年は、ちょこちょこと出費が多い1年のようです。
ちょ~っと、思った以上に出費が多いようで、あまり良くないような気にもなります・・・
頭を使って効率よく、使っていこうと思います。
治療と言えば、入院しているお袋が、明日、退院となる事になりました。
思った以上に良くなるのが早かったようで、ひとまず安心です。
さて、今日のブログネタは・・・
最近、カートと艦船模型ネタが続いているので、違うものにしようと思ったのですが、ここの所、少しの時間でも艦船模型を作っているようにしたので、写真が溜まって行ってしまっています。
なので、ちょっとここで進行状況を上げます。
艦船模型ファンや、過去に作ったりしていた事がある方以外には、ちょっとマニアックな内容になり興味が湧かないかもしれません。
現在、松型駆逐艦ネームシップの「松」を建造しております。
1ヶ月以上の建造休止から再開しました。
まず、建造休止前、7月の半ばに最後に行った作業。
資料によると、電動揚貨機と言うものが搭載されていたようなので、再現してみようと思ったのですが、形が分からない・・・
揚貨機とは、そもそもなんだ?
ネットで画像を検索してみるも、出てこない・・・
ようやく、他の方の、艦船模型のブログにて、それはウィンチの事と判明。
そして、資料の図面から作ってみました。

う~ん、実物の写真がないので、正確ではないのかもしれませんが、こんな感じに見えるのでは?
揚貨機を調べているだけで、2、3日作業が止まっていました・・・
搭載されていた6メートルカッター(手漕ぎボート)が、キットのままでは、こんな感じ。
何か、ナッツ類の剥いた皮のような感じの、貧弱な表現なので、プラ棒で、カッターっぽくしてみました。

それっぽくなったかな?
段々と塗装作業に取り掛かる準備の段階に近づいてきました。
魚雷運搬軌条のレールの部分の一部を取り付け。
航空機運搬軌条のパーツを使いました。

全体の一部だけですが、塗り分け等難しかったりするので、一部を取り付けて、塗装後、残りの部分を上手く取り付けようと思っています。
ここまでが、休止前の作業でした。
再開後、まずやった作業が、波の表現。
700分の1、ウォーターラインと言う模型のシリーズは、喫水線の上、海から出ている部分のみの再現の模型なので、飾るための海のベースがあると、良い感じなのですが、波を表現してあると、さらに良くなります。

こんな感じに出来ました~
これに完成した「松」がくっつくと、かなり良い感じになるのではないでしょうか!
主砲の「八九式12.7㎝高角砲」を作成。
「高角砲」とは、陸軍で言う「高射砲」の事で、対空兵装が貧弱だった日本の駆逐艦の中で、この松型駆逐艦だけが、「八九式12.7㎝高角砲」を主砲としました。
日本の多くの駆逐艦の主砲は、水平射撃しかできないものが多く、他には、秋月型駆逐艦が長10㎝高角砲を主砲としたのみで、対空戦では、苦戦する事となりました。

単装砲が1番砲塔、連装砲が2番砲塔で、アフターパーツを使用しました。
キットの物は、不細工なため、より精密な物を使用しました。
この単装砲は、松型に搭載されるために作られたもので、通常は連装砲です。

この単装砲は、実物が現存していて、江田島にある海上自衛隊第一技術学校に展示されているそうです。
これは、終戦の数週間前に撃沈された、改松型駆逐艦(橘型)「梨」のものです。
「梨」は戦後、資源にするために引き上げた所、状態が良かったため、スクラップにならず、レストアされて海上自衛隊の護衛艦「わかば」として生まれ変わり、昭和46年まで使用されました。
「わかば」は、海上自衛隊で使用された、唯一の旧海軍の戦闘艦だったそう。

護衛艦「わかば」
さて、模型作りに戻ります。

爆雷装填台も塗装前に取り付け~
爆雷運搬軌道は、やはり塗装の塗り分けが難しそうなので、塗装後に取り付けようと思います。
この後、塗装に備えて、マスキングテープを貼りました。
そして、手すりの取り付け。

素材がステンレスで接着面が小さいため、瞬間接着剤でも、なかなかくっ付かず、悪戦苦闘。

なんとか取り付けが終わりましたが、付けては取れ、付けては取れで、5時間くらいかかりました・・・
でも、手すりがくっ付くと、より本物っぽく、なってきたような感じ。
次は、旗竿等取り付けた後、塗装をして、パーツを組み立てて形にしていきます。
もうすぐできそうかな?
そうそう旧海軍の模型ばかりに目が行っていますが、最近は、現用艦船もなかなか良いもんだと思っていたりします(笑)
海上自衛隊の艦船の模型も発売しているので、そのうち作りたいなぁ~
そうそう、この間、お袋の入院で、テレカが必要になり、家中で、ないかと探していると懐かしい物が出てきました。

護衛艦「まつゆき」乗艦記念のテレカ。
これは、1992年、平成4年の海上自衛隊観艦式の予行を見学した時の記念に頂いたものです。
今から21年前、15歳の時、祖父が自衛隊関係やら警察関係やらの役をやっていた時に、見学させてもらう機会があって、その時に護衛艦「まつゆき」に乗艦させて頂きました。

艦橋前のアスロック対潜ロケットランチャー(だったと思う)の横での記念撮影。
ピースをしているのが自分で、もう1人がそのころ一緒に模型を作ったりしていた友達で、なかなかない機会だからと、誘って一緒に行きました。
久しぶりに、アルバムを開いてみると、あの頃は華奢で弱弱しいと思っていた、現代艦船が、カッコ良く見える!
模型で駆逐艦のような艦艇を作っているからかな?
あの日は、大興奮で、写真を撮りまくって、フィルムがすぐなくなってしまったのを思い出します。

自分が見学させてもらったのは、予行の日でしたが、本番では、内閣総理大臣が乗り込む、観閲旗艦の護衛艦「しらね」もバッチリ撮影!
平成4年のこの時は、宮沢内閣だったんですね~、中学生でもちゃんとニュースや新聞を見たりしていたので、懐かしい響きです。

ホント、あのころは、艦船模型を作り始めて、2年くらいしかたっていなくて、搭載されている砲が小さくて、戦艦とは大違いで、現代艦船には、ちょっとガッカリした覚えが・・・
その後、戦艦のような無駄に大きな船を作るより、小さな船にミサイルを積んで沢山配備した方が良いって事を知ったんだっけ。
1992年と言うと、アメリカのアイオワ級戦艦4隻が、艦齢50年で退役して、世界から「戦艦」と言う艦種が無くなった年だ。

沢山撮った写真の中で、この写真がお気に入りの一枚。
迫力ある感じが出てて、あの瞬間が思い出せる一枚です。
日付の所が、04 10 10になってますが、一緒に行った祖父のカメラを借りて撮った写真なので・・・
祖父は大正生まれ、04は西暦ではなく、平成4年ということです。
数年前に祖父はなくなりましたが、旧海軍の軍属としてディーゼル機関を弄っていた事があった祖父、この日の祖父は、嬉しそうにしていたのを思い出します。
この時、乗艦させて頂いた、護衛艦「まつゆき」は、その後もニュースで何度か名前を聞きました。
5年くらい前だったでしょうか、訓練航海中に、港で僚艦と接触事故を起こしたとか聞いて、びっくりした覚えがあり、そして、昨年の初めの頃、海自のヘリが「まつゆき」と接触事故を起こしたというのを聞いて、またびっくりした覚えがあります。
実を言うと、この艦がかかわった事故のニュースをもう1つ、小学校の頃にテレビで見ていて、日航ジャンボジェット墜落事故の時の、海上に浮かんでいる尾翼を発見したのが、この「まつゆき」だったそう。
確か、夏休みの朝のワイドショーの時間に、そのニュースをテレビで見ていた事を思い出します。
「まつゆき」も艦齢25年以上になるのかな?そろそろ退役かもしれません。
模型では、同型艦「はつゆき」のキットが発売されていて、「まつゆき」として作る事も出来るそう。
現代艦船で、最初に模型で作るとしたら、絶対に「まつゆき」を作ると思います。
今年から、自分も仕事の他に、祖父と同じ自衛隊関係の事を始めたので、おそらく、また護衛艦に乗艦させて頂く事があると思います。
楽しみであると同時に、少しでも社会貢献をすることが出来ればとも思っていたりもします。
スゴク熱くなってしまいました。
かなりマニアックな内容になりましたが、最後まで読んで頂いて、ありがとうございます。
また艦船模型ネタを書くと思いますが、良かったら、また読んで頂ければと思います。
それでは、休むとします~
おやすみなさい。