なんかおかしなほうにイきだしたんで軌道修正w
話しはちょっと前。
2月22日になるんですが・・・
興味深くもあり考えさせられそうな行事があったので参加してきました。
豊川海軍工廠跡地見学会
地元にある大規模な戦災遺構に踏み入れれる数少ない機会なので行くべきかなと。
ちなみに豊川海軍工廠を簡単に説明すると・・・
1939年(昭和14年)3月に建設が始まり、12月15日に開工。
最盛期には5万人以上の人々が機銃・弾・薬莢・信管・測距儀・照準器などを生産。
1945年(昭和20年)8月6日の広島に原爆が投下された翌日、9日の長崎に原爆が投下された一昨日の7日。
午前10時13分にB-29爆撃機124機・P-51戦闘機45機による3256発の500ポンド爆弾による空襲を受けた。
39分までの26分間の空襲により壊滅、2600人以上の命が奪われた。
地元にこれほど壮大で壮絶な出来事があったということは話しには聞けど実感・意識はあまりありませんでした。
後世のそこに住む自分としては少しでもこのことを知っておくべきだろうと思ったわけです。
そして見学会当日。
どれほどの人が来るのか想像できてなかったんだけど到着してみると道路の両側にズラ~っと車が路駐。
まぁ公道ではないから問題ないんだけど奥に行くにつれて道幅が狭くなるからメチャジャマw
1番奥に車を留めて来た道を戻って行くとすでに説明会が始まってました。
車がこれだけ多いなら人もと思ってたら案の定100人は居るようです。
年配者の人から同世代や学生と世代もいろいろ。
昔を振り返ってみたり、興味・勉強のためにと思惑はそれぞれだろうけど、こぉいうのに関心持つって大事だと思うんですよ。
ここから画像を貼っていきますが忘れてしまった事もあるんで説明が疎かになるかとw
見学会のスタート地点。
工廠の敷地の北西部の一角です。
この辺の区画の電気を管理する配電盤。
当時のものなんだけどいまも使ってるんだそう。
ここから配電された電気は地上ではなく地下に埋設された電線で各施設へ供給される。
いまでこそ都市部は電線は地下が当たり前だけど70年以上も昔にやってたことに驚きです。
このトンネルは理由あって設置されてるんですがそれはこのあとに。
トンネルの先にあるのがこの『薬筒乾燥場』
年月により朽ちてはいるけど当時のままの姿です。
この建物は周囲が高さ5mほどの盛り土で囲まれてます。
その理由はこの建物の中で保管しているものが爆発した際に爆風が横方向に広がらないようにするため。
上方に向けて爆風を逃がせば周囲の被害を減らせるから。
なのでさっきのトンネルは盛り土で囲まれた『薬筒乾燥場』への出入り口となっています。
盛り土の外側の西側を歩いて少し奥に行くと・・・
わかりにくいと思うけど地面のあちこちに穴があります。
形はどれもアルファベットのCの形。
こんなんでも防空壕。
自分の中では防空壕っていうと洞窟とかの印象なんだけど・・・
これじゃ全然身を守れそうにない。
そんなことを思ってたら説明がありました。
これは中に入って身を屈めて爆風が地上を通り過ぎていくのをかわすだけだと。
てかこんなとこに生身で入って安心できるかって!
それに直接銃撃か爆撃されたらなんも意味ないし!
駒のように働かされていた工員はこんな扱いしかされなかったのかと思うと苛立つ自分が居ました。
今回の見学エリアのメインストリート。
舗装し直されてはいるけど道幅は当時と同じ。
道路の両側に当時の街路灯が残ってます。
これも年月で朽ちてるけど元々は上に傘が付いてました。
道路から直接見える『爆薬置き場』
これも周りは盛り土で囲まれてたんだけどいまはほとんどなくなってます。
建物入り口にある水道の蛇口。
いまでは見ない形してます。
さっきの建物もだけど壁はいまもしっかりと建ってます。
しかし共通するのは屋根が崩壊してるところ。
もちろん年月が建って朽ちていったのもあるけどそれ以外の理由もあります。
建物が盛り土で囲まれてるのと同じことで壁を頑丈にして屋根を脆くしておけば中で爆発が起きても爆風が屋根を抜いて上方へ抜けるから。
よく考えられてるって感心します。
道路の北側にある『第三信管置場』へ通じるトンネル。
ここは見学会のコースではなかったんで立ち入れなかったけど周囲の造りは共通してます。
下を向いてしまってるけど傘が付いてる街路灯。
70数年前のものでありながらオシャレな感じがします。
『第一火薬庫』
遠くから見るとひときわ高い丘があるように見えるけどコンクリートのトンネル型の建物が土に覆われてます。
やはりこれも爆発時の対策。
ちょっと露出が変だけどコケが結構生えてました。
あと場所が場所なだけに心霊写真でよくあるオーブが写ってるけど天気が雨だってことを考えればわかるよね?w
車を横付けして荷の出搬入をするためのスペース。
見た目は朽ちてるように見えるけど上に人が乗ってもなんともないほどに状態はいいです。
頑丈そうな鉄製扉。
中は結構広そう。
当時のままであろう天井の照明器具。
手前に写る方はこの見学グループ(2つにグループ分けしたので)で当時のことを知る1人です。
当時の風景や建物の中になにがどぉやって置かれてたかとか詳しく教えてくれました。
こっちは隣接する『第二火薬庫』
構造は『第一火薬庫』と同じ。
おそらく当時のものだろう扉の鍵。
扉の反対側にはこの先にある建造物のパーツが乱雑に置かれてます。
『第一火薬庫』の西側の壁には空襲時の爆撃の痕。
外に出ると鉄骨むき出しの建造物。
やべ!
萌えるwww
『第二火薬庫』から西側を見たとき「なんか景色が霞んでんなぁ」と思ったらピアノ線みたいなのが張り巡らされてました。
これは名古屋大学太陽地球環境研究所が管理する太陽風を観測する施設。
どんな研究してるかよくわからないんで興味ある人はグーグル先生かウィキ先生にでも聞いてくださいw
この辺は倉庫だったらしい。
中は物こそ乱雑になってるけど当時のものが多く残ってます。
『八八式信管』の保管箱のフタと支え。
こんな木製のものがこんなにキレイに残ってることに驚き!
しかしまぁ・・・
機銃掃射の痕がこれでもかってくらいに残ってます。
一体どれだけの銃弾が飛び交ったのか。
そしてここにいた人たちの恐怖もしくは絶望感を思うととてもいたたまれない気持ちになります。
この方は同じグループで意気投合した方です。
前にも来たみたいでそのときと変わったことや雑談とかしちゃってましたw
当時のトイレ。
陶器もまたこぉして残り続けるんですね。
爆弾が炸裂してできた穴。
当然もっと数はあったんだけど大学研究員がゴミを埋めたりで減ってしまったとか。
これは直径7~8mくらい深さ2mくらいあります。
しかし70年分の落ち葉が腐葉土となってるだろうから実際はもっと深かったでしょう。
プール。
一応娯楽として造られたんだけど深すぎ!
結局は空気中では不安定な状態で危険な化合物である黄リンを水中保存するために使われたとか。
縁に立つ人間と比べるとわかるかと。
ちなみに無理矢理連れ出したAKI君ですw
そして後日・・・
せっかくの機会だから工廠に関連するいまも残る設備を見てみることに。
JR飯田線の豊川駅。
この画像の1番右の線路。
豊川踏切から見た1番左の線路。
錆びてるし敷設具合もあまりよろしくないレールがあります。
これはかつて工廠員の電車通勤としても利用された西豊川支線。
終戦により工廠が閉鎖され利用客が減り1956年(昭和31年)に営業路線としては廃止。
その後は工廠跡地に建てられた『国鉄豊川分工場』引き込み線として使われ、いまは『日本車輌製造』の甲種輸送の引き込み線として使われてます。
この引込み線を日車に向かって辿って行きます。
鈴与踏切
この踏み切りはこの周辺の住民でなければ利用するのは避けたいところ。
なぜなら・・・
やだぁっ!
そんな大きいのイれちゃらめぇぇぇ///
みたいなw
見ての通りフォレスター以上の車幅の車を通過させるのは困難でしょう。
谷川踏切
ここから飯田線から離れて日車へ向かって行きます。
左カーブの登り勾配
レールの継ぎ目がカクカクしてるw
当時からのものなのかはわかりません。
登った頂点にあるのは『第一架道橋』
この引込み線で唯一道路の上に掛かる橋梁。
こぉして見るとここは複線だったようです。
工廠とは関係ないけど『第一架道橋』のすぐ近くにある工場。
鉄道車両関連のパーツを造ってるとこだけにE5系のイラストがw
引き込み線で1番交通量が多いであろう『良通踏切』
来たほうを振り返ってみる。
架道橋を渡って曲がりながら下ってくるのがわかると思います。
『美幸踏切』
ここを越えてすぐのところは開けたスペースがあります。
ここはかつて営業路線だったころに建てられてた『西豊川駅』があった場所。
いまではただの空き地となっていて当時の様子を想像できるものはなにもありません。
気笛吹鳴の標識はさすがに当時のものではないでしょう。
手前の千両踏切と見えないけどその奥にある油通踏切を越えると・・・
佐奈川を渡る『佐奈川橋梁』
佐奈川の堤防も河川内の土手も地元民の憩い場でもありジョギングコースでもありと容易に橋梁に近づくことができます。
てか身長が178cmあればこんなアングルも撮れるw
そして工場踏切から『日本車輌製造』の敷地内へ。
当時は工廠員だけが西豊川駅からこの辺りにあった乗降場まで電車で乗り入れることができました。
この辺は工場内の留置線の車両の入れ替えにも利用するので狭軌と標準軌の三線軌条になってます。
なんの治具かわからんけどペンキ塗らんといかんなぁw
『日本車輌製造』絡みでもぉ1つ簡単に観れる遺構が・・・
『日本車輌製造』の正門
いまでこそ外装が施されそこそこキレイになってる門柱だけど中身は当時のまま。
爆撃の痕が残ってるんだとか。
ちなみに奥に見えるブルーシートを被った陸送待ちの車両はベネズエラへ輸出される電車。
全然別の場所にあるのが・・・
道路が壁に消えてる。
元々ここは十字路だったんだけど終戦後の区画整備でそのまま壁を建てたんでしょう。
壁の向こう側は自分たちが見学してたエリアです。
こぉして『豊川海軍工廠』の一部に。
そして戦争を見て触れて感じたこと。
簡単に言っちゃえば・・・
戦争。ダメ、絶対。
なんてなるんだけど。
いまと当時じゃ思想が違う。
本人の意思がどうであれ国のために身を捧げることを誇ってたかもしれない。
それを同じ日本で生まれ育った自分が否定するのは違うかと。
なにが言いたいのかよくわからんけど・・・
過去は変えれない。
人は様々な思想や感情を持つ。
1人で考え抜く。
人と肯定・批判・共有する。
それによって出た結果がベストであるなら貫き通すのがいいかと。
じゃなきゃ不安定なままでなにも残らない。
自分の価値と存在を生かすためにその瞬間瞬間に目一杯かけてみるのがいいんじゃないかな。
むむ・・・
やっぱよくわかんねぇやw
また別の感じたことだけど・・・
古い寺院とか絵画とかとは全く違う考えを抱かされるこぉいったものは残していくべき。
話しだけじゃ忘れるし美化されてる可能性もある。
学者や教員ならまだしも戦争を知らない世代の人が若い世代の人に語っても実感は沸かない。
それなら五感で感じられるこぉいった場所に来たほうがタメになると思う。
見学会の主催である『豊川海軍工廠跡地保存をすすめる会』の活動にはホント頭が下がります。
最後に・・・
この『豊川海軍工廠』での出来事を題材にした舞台をやるらしく出演する女優の皆さんも来てました。
当然名前もなにも知らんけどw
年は20歳半ばでしょうね~www
今年放映されたアニメで夏季に『精霊使いの剣舞』ってのがあったんだけど・・・
べつに親会社とか子会社とか取引先で国内であればこんなもったいぶる必要はないいんだけど・・・
その行き先は・・・
まぁこれは去年から言われてはいたんだけどね。
ただいつからいつまでというのは当時は未定でした。
それが今年の7月か8月なって・・・
「11月から行ってもらう予定だで」
ぅおい!
それまで全然音沙汰なかったからクラウン契約しちまったじゃね~か!
だからといって会社の方針に逆らえるわけもなくそれからは出国のための準備をしていくことになりました。
高いカネを払って(なぜ初めから会社が立て替えてくれないのか)・・・
パスポートです。
赤いので10年間用です。
ということはその間に何回か行くことになるのね・・・
国際運転免許証も取りに行きました(これもなぜか最初は自腹)。
これはパスポート提示と書類申請だけだったけど待ち時間が長かった!
またアメリカでの車での移動は社有車を自分たちで運転することになるのでそれの適正試験を平針まで行って受けてきました。
結果は・・・
余程のことがない限り落ちるなんてことはなく自分も受かったんだけど・・・
このグラフは数値が『5』になれば安全運転に向いているということになります。
そしてこれの注目するとこは『攻撃性』
1
1
1
1ですよあなた!
どぉしてこぉなったw
最後の面談で検査官に何度も言われました。
穏やかに。
はい。
穏やかに。
はい。
穏やかに。
はい。
大変心得ましたw
それからビザを取りに大阪にある米国総領事館に行きました。
建物内外とも撮影NGだったんで拾い画像です。
自分たちが着いたときには入り口に大勢のJKが!
(*´Д`)ハァハァ
おっとw
時期的におそらく修学旅行のためでしょうね。
・・・クッソ!
なんてリッチなんだ!
自分なんて小・中・高と全部国内なのに!
格差社会万歳w
中に入るとまず携帯などの電子機器などを預けて・・・
ゲート式の金属探知機をくぐり・・・
最後に検査官が手持ちの金属探知機でチェックするというセキュリティーっぷり。
持って入れるのは財布と申請書類だけです。
面接は2回あり1回目は身分を証明する程度の簡単なもの。
2回目は突っ込んだとこまで質問されます。
2回目の面接は順番待ちが長く前の人の面接状況が見聞きできるんですが・・・
>アメリカ人面接官に対して流暢な英語で受け答えしてる人。
>初めのうちは英語だったのに途中から日本語になる人。
>英語が理解できず痺れを切らした面接官に日本語で質問される人。
>まさに『ルー大柴』になる人。
>彼氏と旅行に行くらしく自分のことを聞かれてるのに彼氏のことを話してる人。
いろんな人が居て言っちゃ悪いけど面白かったw
オレですか?
そりゃ当然のごとく流暢に最初から最後まで日本語ですよw
ましてや一緒に行った2人のあとに続いての面接だから聞かれる項目も少なかったしwww
2時間弱で申請が終わってこのあとは大阪観光へ。
定番の道頓堀。
グリコの看板は白いものがぶっ掛けられてましたw
なんか喰おうぜってことで・・・
たこ焼き!
銀たこを凌駕するウマさでした!
串かつ!
ここは自分が行ってみたかったとこです。
串あげもソースも絶妙なウマさだったんだけどなによりもソースを付けたキャベツがウマかったw
その後は通天閣へ。
この周辺って時代が停まってるのかと思うくらい昭和の時代を感じる店とかがありました。
そして足元まで行くと・・・
ロビンマスク!
もっこり///
このあとは各々行きたいとこが違ったので分かれて散策することに。
・・・ということで自分は趣味全開でw
日本橋の・・・
オタロードw
これで『日本三大電気街』とかいわれるところは全部行ったことになります。
もっとも自分が行くのはアニメイト・ゲーマーズ・とらのあな・らしんばん・メロンブックなんだけどねw
2時間ほどうろついて散財したのち帰路に着くため新大阪駅へ。
しかしこのまま普通に帰れないのが自分w
行き帰りは新幹線だったんだけどこのまま普通席で帰るのは面白くない。
グリーン車に乗ってみたい!
というのも自分は営業運転中のグリーン車はまだ1度も乗ったことがありません。
停まってるときなら何回も乗ってるんだけどねw ←ぁ
なので窓口で乗車時間とグリーン車席を指定。
そして入場券を買って赴いたのが山陽新幹線ホーム。
N700系R9編成。
せっかく来たんだから見ずには帰れないってことでw
きったね~なw
JR西日本の最高傑作とも言われる500系新幹線。
入線!
手際のいい車内清掃。
500系最終ロッドのV9編成です。
W編成だった16両と比べるとやはり寂しい・・・
それでもカッコよさはいまなお衰えてないですね!
しかし・・・
ところどころボロは出てきてますね。
ドアが開いて断面が見えると車体の丸みが一層わかります。
スマホのバッテリー残量が一桁になり・・・
この500系が出発時間になったので撮ってみたい構図に挑んだんですが・・・
指差呼称する腕が撮れなかったぁぁぁ・・・
1時間ほど堪能して自分が乗る新幹線の出発時間が近づいてきたのでお土産買って乗車。
さすがグリーン車。
広々してますな~。
こぉして準備を進めしばらくして手元に届きました。
アメリカE2ビザです。
個人情報が多く書かれてるんで全然晒せませんがw
これだけやってきて10月半ばになり上司から言われました。
「ごめん。12月に行ってもらうことになったから」
まぁこのときはまだ身支度がろくにできてなかったんでむしろ具合よかったんだけど・・・
11月末になって言われました。
「1月5日に行く予定でいて」
「8割は確定だから」
あ・・・
そうですか。
・・・って8割ってなんじゃそりゃw
その週の週末に言われました。
「何回も悪いんだけど・・・」
「2月以降になる」
・
・・
・・・
もぉなんでもいいやw
てか最初の予定通り11月に行ってたら2月に帰ってくるスケジュールだったんだけど?
とはいえ先送りになることは悪いことばかりじゃないんですが。
出張先は冬の最盛期は氷点下20~30度になるとこなのでそんなときに外出しようもんなら自殺行為にw
それを考えれば暖かくなっていくほうなので助かります。
しかしモチベーションがね?
地元の連れにも11月に行くって伝えたら飲み会やってくれたのに結果こんなんだから「サギじゃね~か!」なんて言われちゃったしw
まぁ気長にそのときを待つことにします。
とまぁ自分の今年を振り返ってみましたがやっぱり・・・
こいつの存在が今年1年で1番デカいです。
小細工をチマチマ加えることで一層愛着が沸いています。
新年早速の小細工ネタもありますしw
ではここいらで簡単ですが挨拶をば。
今年1年お付き合いいただいた皆さん。
本当にありがとうございました。
残りわずかですが最後まで楽しみましょう!
それでは新たなる年が皆さんにとってご健康とご多幸な年になることを祈念しまして挨拶とさせていただきます。
よいお年を~!
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