
此の真田氏本城(真田本城)は、真田氏所縁の城郭では、
上田城・
真田氏館に次いでメジャーですね。
其のせいか、GW中とは云え平日なのに、常に人がいました。
僕が行く城には珍しい事です(笑)
城址へは、県道4号線沿いに案内標識があるので、其れに従って行けば、簡単に駐車場へたどり着けます。
迷う事はないでしょう。
真田氏本城(真田本城)
上田城に移るまでの、真田氏の本城と伝わるが詳しい事は分からない。
一説には、真田幸隆が天文年間に築いたとも伝わるが、縄張りから見て築城時期は、鎌倉時代まで遡るとも考えられている。
い 堀切?

駐車場近くには、堀切らしい地形が。
左の盛り上がった所も、土塁と云えば土塁かも。
ろ 段郭

本郭の南には、幾つもの段郭があるんですが、耕地化されてしまい、原型がよく分かりません。
通路の部分は、土橋状になっていて、其の周りに凹みもあるので、本来は堀切があったんでしょうね。
は 本郭

山城としては、そこそこの広さの本郭。
に 土塁

唯一明確に残る土塁。
今回幾つか真田氏の城郭を見て来ましたが、此の土塁は他の真田の城とは逆のパターン。
此の辺りから、此の城は鎌倉時代まで築城時期が遡ると考えられているみたいです。
ほ 斜面

本郭から三の郭までは、尾根が細く突き出た自然地形なので、周りは急斜面になってます。
へ 三の郭

西は真田盆地が見渡たせ、上州へ抜ける道を押さえるにはもってこい。
故に、此の城が真田氏の本拠となったのは、上州へ攻め入る為とも考えられているみたいです。
と 搦手段郭

三の郭からは、北東へと続く段郭があるようですが、流石に行きませんでした。
降りられても、登れない可能性大(笑)
真田氏の本城と名乗る割には、遺構は面白くありませんでした。
耕地化されて、山城なのに堀切が無くて、メリハリに欠けた印象です。
ついでに云うと、「真田氏本城」と云う名前もあやしい。
案内板に、
「(此の城の特徴の述べて)こうしたことから、町指定文化財名は真田氏の本拠にふさわしいとして真田氏本城跡としました」
とあり、此の書き方だと城名を附けるのにあたって、名前を新しく作った様にもとれるんですが。
別名に、松尾新城・十林寺城と云われているので、当時はこっちの名前で呼ばれてたんじゃないかなあ。
参考文献:日本城郭大系8、真田町の遺跡、信州の山城
本日は此れ切り。
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信州真田の陣 | 旅行/地域
Posted at
2011/05/12 21:54:39