
甲州新旧武田の城巡り、二日目は天気予報の通り朝から雨(;´д`)トホホ…
仕方が無いので、予定をある程度端折って、無理をしない程度の城巡りをする事にしました。
初日と同じく、神社にお参りしてからのスタートです。
武田八幡宮
弘仁13年(822)勅命により、宇佐八幡宮を勧請し、地神(武田武大神)と併祀して武田八幡宮と称したと云う。
後に武田信義が武田の地に居館を構えると、氏神として厚く崇拝した。
二の鳥居

山梨県指定文化財で、県道を改修の際に現在の場所に移されたもの。
拝殿

東の窪八幡に対して、西の武田八幡と呼ばれて武田家に崇拝されてました。
韮崎市は、武田氏初代の地だけあって、武田氏所縁の史跡が結構あります。
本殿(重要文化財)

本殿は、武田信玄寄進によるモノで、国の重要文化財に指定されてます。
此の後、武田八幡宮の駐車場に車を置いて白山城へ行きましたが、此れは次回にて。
武田信義館
甲斐源氏清光の子信義が、武田の地に入って武田氏を称した。
現在は、土塁が一部残るのみで、住宅地・畑となっている。

地図にもしっかりと武田信義館跡と載ってますが、畑の中にポツンと案内板が置かれているだけで、此処には遺構はありません。
韮崎市には、武田氏最期の居城新府城もあり、まさに武田が始まりと終わりの地ですね。
土塁

日本城郭体系に、現在は墓地となっている土塁の写真が載っていたので探してみたら…
上記写真の北の道路沿いにありました!
現在は道路が高くなっているので、分かりづらいですね。
願成寺
宝亀2年(771)京都の祇園寺の末寺として、開創された。
武田信義が武田の地に居館を営むと、祈願寺として中興した。
天正10年(1582)の織田信長による武田征伐の時には、伽藍消失したと云う。
武田信義の五輪塔が今も残っている。

当初は、予定に無かったんですが、雨で行ける城址が限られてしまった為、お参りしてきました。
信長に焼かれてしまったので、建物に特別古い物はありません。
武田八幡宮もそうでしたが、武田菱が輝かしい。
阿弥陀三尊が国の重要文化財ですが、此れは事前に予約していないと拝めないらしいです。
五輪塔

初代武田信義のお墓である五輪塔。
武田氏累代御霊殿

近年に建てられたモノですが、初代信義から18代信勝、更にさかのぼって源義光からの累代の廟所です。
参考文献:日本城郭体系8、現地案内板
本日は此れ切り。
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甲州新旧武田の城 | 旅行/地域
Posted at
2012/05/18 23:19:01