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りょうさいのブログ一覧

2013年02月04日 イイね!

市川團十郎逝去

歌舞伎俳優の市川團十郎が逝去されました。
昨年末の中村勘三郎に続き、早すぎる死です。

團十郎の芝居を見る機会はお正月が多くて、其の度に日本らしい正月を迎えたなあって、いい気分になった物でした。
僕が最後に見た芝居も、一昨年の妹背山婦女庭訓だったなあ。

團十郎と云う人は、ハッキリ云って不器用だし、何よりも悪声。
芸だけで見れば、同じ世代の松本幸四郎、中村吉右衛門、片岡仁左衛門、尾上菊五郎よりも劣っていたんじゃないかなと思います。
とは云え、團十郎の魅力は何と云っても、其の姿。
如何にも荒事と云える其の姿は、正に歌舞伎の象徴。
考えてみれば、團十郎の歌舞伎十八番はひとつも見る事が出来なかった(海老蔵のはあるけど)。
残った海老蔵はしっかりしてくれよ。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

本日は此れ切り。
Posted at 2013/02/04 21:29:59 | コメント(1) | トラックバック(0) | 歌舞伎 | 音楽/映画/テレビ
2012年12月05日 イイね!

中村勘三郎逝去

中村勘三郎逝去歌舞伎役者の中村勘三郎丈が逝去されました。

歌舞伎を見た事無い人でも知っている、歌舞伎界だけではなく芸能界を代表される役者ではなかったかと思います。
僕は歌舞伎を30回以上観てますが、矢張り此の人は独特の雰囲気がありましたね。
勘三郎が出るだけで、舞台がパッと明るくなるんですよ。
本人もさることながら、観客も勘三郎を観ているだけでとてもいい気分になってしまう、そんな役者でした。
(逆に其れが舞台のバランスを崩す事もあったのですが。)
非常に器用な役者なので、義太夫も出来るし、踊りも巧い。
長生きしていれば、父親の様に人間国宝になれたでしょうに。

平成十七年の勘三郎襲名公演も2回歌舞伎座に通いました。
一番印象が残っているのは、此の時の襲名披露狂言でもあった「野田版研ぎ辰の討たれ」です。
爆笑の連続で、此の狂言を観て「歌舞伎とは何ぞや?」と思いましたね。

僕が最後に観た狂言は、今年の勘九郎襲名公演の土蜘蛛の番卒になっちゃいました。
もっと勘三郎の芝居を観たかったけど、本人は其れ以上に芝居をやりたかったんだろうなあ。

最高のエンターテイナーを亡くしてしまいました。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

本日は此れ切り。
Posted at 2012/12/05 21:42:24 | コメント(1) | トラックバック(0) | 歌舞伎 | ニュース
2012年02月24日 イイね!

人間国宝 中村雀右衛門逝去

歌舞伎役者で立女形の人間国宝、中村雀右衛門が逝去されました。
前年の中村富十郎・芝翫に続いての人間国宝の訃報と云う事で、とても残念です。

僕が歌舞伎を見始めた頃は、正に最晩年でしたが、齢80を過ぎても見事な演技を見せてくれました。
流石に声だけは如何ともしがたかったですが、こんなお爺ちゃんが十代・二十代の役をやるなんて驚いたものです。
謹んでご冥福をお祈りいたします。

プロフィールは、Kabuki on the webより抜粋。
中村雀右衛門
大正9年8月20日生まれ。六代目大谷友右衛門の長男。昭和2年1月市村座『幼字劇書初(おさなもじかぶきのかきぞめ)』の桜丸で大谷広太郎を名のり初舞台。23年3月東京劇場『扇屋熊谷』の敦盛ほかで七代目大谷友右衛門を襲名。39年9月歌舞伎座『金閣寺』雪姫ほかで四代目中村雀右衛門を襲名。
昭和55年度日本芸術院賞。59年紫綬褒章。61年眞山青果賞大賞。平成2年伝統文化ポーラ大賞。3年重要無形文化財保持者(人間国宝)。4年日本芸術院会員。10年松尾芸能賞大賞。12年勲三等瑞宝章。13年文化功労者。16年文化勲章。ほか受賞多数。

本日は此れ切り。
Posted at 2012/02/24 23:56:31 | コメント(1) | トラックバック(0) | 歌舞伎 | 音楽/映画/テレビ
2012年02月12日 イイね!

平成二十四年 中村勘太郎改め六代目中村勘九郎襲名披露 二月大歌舞伎昼の部

平成二十四年 中村勘太郎改め六代目中村勘九郎襲名披露 二月大歌舞伎昼の部約一年ぶりの歌舞伎鑑賞。
今回は、六代目中村勘九郎の襲名披露と云う事で、歌舞伎座建て直しになってから、空席が目立つと云われる劇場も、満員の盛況。
はっきり云って、勘九郎と云う名跡は、先代(現勘三郎)が大きくしただけであって、大した名跡ではないのであるが、流石に人気の若手役者だけあって、人が集まるんだろう。
そう云う意味では、松竹の此の興行は成功のようだ。


で、今回見に行ったのは昼の部。
まずは、歌舞伎十八番のひとつ

鳴神(なるかみ)
三ヶ月の間、雨が全く降らず、日照りが続いている。
実は、鳴神上人(中村橋之助)の祈祷のおかげで、帝に王子が誕生したのに、上人の願いである戒壇建立が認められず、朝廷に恨みを持った上人が龍神を滝壺に封じてしまった為。
其処で朝廷は、雲の絶間姫(中村七之助)を上人のもとに遣わし、姫の色香によって上人を堕落させ、雨を降らせようと企む。
上人の庵にやってきた雲の絶間姫は、巧みに上人を誘い、夫婦の盃をかわす。
上人が酔って寝てしまうと、姫は岩屋の注連縄を切って、龍神から雨を降らす事に成功する。
目覚めた上人は、姫によって堕落した事を知り、雷となって荒れ狂い、姫を後を追う。

前半は、雲の絶間姫の鳴神上人を誘惑する台詞劇が見物。
おっぱいをモミモミさせたりして、Hだ(*´∀`)
勘九郎を襲名した兄に比べて、一寸置いて行かれた感じの七之助だったけど、今回は上出来。
後半は、堕落した鳴神上人の荒事が見せ場で、橋之助の線の太さが出てて良い。

次が、勘九郎襲名狂言の

新古演劇十種の内 土蜘蛛(つちぐも)

病で臥せっている源頼光(坂東三津五郎)の所へ、薬を持って侍女の胡蝶(中村福助)が訪れる。
胡蝶は、紅葉の名所を様子を語り、頼光は一時病の事を忘れる。
胡蝶が去ると、現れたのは智籌(ちちゅう)と名乗る僧(中村勘九郎)。
智籌の怪しい姿に、太刀持ちの音若が声をかけると、たちまち智籌は、土蜘蛛の本性を現す。
名刀膝丸で頼光が斬りつけると、智籌は消え失せる。
血の跡を辿って、平井保昌(中村橋之助)と四天王は土蜘蛛退治に向かい、激しい戦いの末、土蜘蛛は退治される。

流石に、若手きっての踊りの名手と云われる勘九郎が見事。
きびきび動いて、足拍子の音も小気味良い。
怪しい僧の不気味さも○
其れと、前シテと後シテの間の間狂言で、勘三郎・中村吉右衛門・片岡仁左衛門が番卒で出てきて華やか。
襲名披露ならではの贅沢。

切りは、仁左衛門の

天衣粉上野初花 河内山(こうちやま)

河内山は、3年前に松本幸四郎で観たので、物語の詳細は此方にて。

今回は、質見世から始まっていて、物語の展開が分かりやすいので、断然此方の方が良い。
仁左衛門の河内山は、上品ながらも江戸っ子らしさが出ててカッコいい。
新勘九郎の松江出雲守は、初演ながらも彼らしい真面目さが出てて、非常に好感が持てる。

父勘三郎も演じた事の無い土蜘蛛で、新しい勘九郎と中村屋を感じる事が出来た良い舞台でした(^_^)

本日は此れ切り。
Posted at 2012/02/12 23:00:27 | コメント(2) | トラックバック(0) | 歌舞伎 | 趣味
2011年10月10日 イイね!

人間国宝 中村芝翫逝去

人間国宝 中村芝翫逝去歌舞伎役者女形の人間国宝、中村芝翫丈が逝去されました。
此処最近は、舞台を休む事が度々あると聞いてましたが、成駒屋贔屓の僕としては、非常に残念です。
僕が歌舞伎を見始めてまだ10年も経たないので、勿論芝翫丈の若い頃は知るはずもなく、当たり役と云われているものも観た事ありません。
そんな中でも印象に残っているとしたら、「恋女房染分手綱」俗に云う「重の井子別れ」でしょうか。
この時もそうでしたが、孫達と一緒に舞台に出ているのが多く、非常に楽しそうでした。
今の若い歌舞伎役者には無い、面長で胴長短足で如何にも古典的な女形が見られないというのは、歌舞伎界にとって大きな損失だと思います。
謹んでご冥福をお祈りいたします。

で、亡くなったばかりなのに不謹慎かもしれませんが、此れからはある程度僕の妄想的なものを書かせてもらうの許されたい。
芝翫丈は、次は中村歌右衛門を継ぐ立場にありながら、襲名はしませんでした。
何でも、「芝翫と云う名前を大きくしたのは、俺しかいない」と云う自負があったんだとか。
其れで、6世歌右衛門が亡くなってからは、歌右衛門が不在だったわけですが、芝翫丈が7世歌右衛門を追贈されるのは間違い無いでしょう。
そして、近いうち(恐らく3回忌とか、5回忌を機に)に長男である9代目福助が8代目芝翫を、6代目児太郎が10代目福助を襲名するじゃないかなと。
(もしかしたら、橋之助も何かしらの名前を襲名するかもしれません。)
福助が8代目芝翫したら、大して時間を置かずに8代目歌右衛門をするんじゃないかなあ。
松竹としたら、歌右衛門と云うビッグネームを空けたくないだろうし、襲名公演は客が呼べますから。

以下プロフィールは、Kabuki on the webより抜粋。
中村芝翫
昭和3年3月11日生まれ。五代目中村福助の長男。祖父は五代目歌右衛門。8年11月歌舞伎座『桐一葉』の女童で四代目中村児太郎を名のり初舞台。15 年から六代目菊五郎に師事。16年10・11月歌舞伎座『忠臣蔵』九段目の小浪ほかで七代目中村福助を襲名。42年4・5月歌舞伎座『鏡獅子』ほかで七代目中村芝翫を襲名。

昭和42年度芸術選奨文部大臣賞。49年度日本芸術院賞。平成元年紫綬褒章。同年日本芸術院会員。5年眞山青果賞大賞。同年放送文化賞。8年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。18年文化功労者。ほか受賞多数。

本日は此れ切り。
Posted at 2011/10/10 20:29:59 | コメント(3) | トラックバック(0) | 歌舞伎 | ニュース

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「最近、みん友の皆さんにコメント出来なくてごめんなさいm(_ _)m」
何シテル?   07/21 22:46
車のサイトなのに、車ネタはあんまりありません(^▽^;) 最近は、中世城郭(江戸時代の城は其れほど興味ない)を中心とした史跡巡りのブログがメインになりつつあり...
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