
今日は、栃木県佐野市にある唐沢山城の発掘現場見学会があるので行って来ました(^_^)
朝は雨が降っていたんですが、現地に着く頃には止んで、気温も温かくなりました。
遺跡の現場は、仕事で古代の遺跡を計ったりはしてるんですが、中世の遺跡は初めてです。
今回の発掘現場は、田沼高校の東側で唐沢山城の西の麓にある侍屋敷跡になります。
此処は、昭和になってぶどう農園として開発されてしまった為、地形がかなり変わってしまっているらしいです。
唐沢山城
天慶3年(940)に藤原秀郷が築城したと云う。
平将門の乱でを立てた藤原秀郷は、下野に勢力を張り、子孫は小山氏、足利氏(藤姓)に分かれて行った。
一時期、唐沢山城は廃城となったが、足利成俊が佐野氏を名乗り、佐野氏の居城として再興した。
戦国時代に佐野氏は、北条氏、上杉氏、佐竹氏と同盟相手を変え、特に上杉謙信に10回に渡り攻撃されたと云う。
小田原の陣の後、佐野房綱(天徳寺了伯)が大改修を行った。
併し、慶長7年(1602)に佐野信吉が佐野城(春日城)に移った為、廃城となった。
隼人屋敷(はやとやしき)

石がたくさん見つかったんですが、何の為の物かは分からないらしいです。
石垣

屋敷跡の石垣ですが、遺物が出て来なかった為、年代は分からないそうです。
西側(画面左)を更に掘り進めた所、固い床面が出て来ており、石垣より古い年代の屋敷跡があった事が分かりました。
曲輪西斜面

道路沿いの斜面にも石積が発見されました。
石積下の平坦部は、犬走り状の通路と考えられるそうです。
トレンチ

石垣の形状を確認すべく南側にトレンチを掘ったのですが、残念ながら石垣は出て来なかった様です。
其の代わり、かわらけや陶器等の遺物がたくさん出て来たとの事です。
遺物

此れが其の遺物。
朝鮮製の物もあったようで、他にも海の貝もありました。
家中屋敷(かちゅうやしき)石組溝

道路のすぐ脇の排水が目的の石組溝。
二条あり、新しいのが東側(画面奥)で山側が石積み、道路側が石列になっており、以前発掘した石積遺構に繋がるそうです。
御台所(おだいどころ)トレンチ

御台所は隼人屋敷より東にある場所で、トレンチで石列が確認出来たので、来年度発掘予定です
意味あり気な名前の場所なので、市の担当者の方も期待している様です。
堀 其の壱

説明が始まる前に、周りを見渡すと怪しい堀が。
案の定、唐沢山城の堀との事でした。
土塁

御台所の西には、見事な土塁が残ってました。
画面左の部分は、残念ながらぶどう農園開発の時に壊されてしまってます。
堀 其の弐

見た瞬間「すごい!」と思った堀。
右側が上記の土塁です。
此処は、唐澤山神社の所有地なので、滅多な機会では見れない場所だそうです。
初めて発掘現場見学会に参加しましたが、なかなか楽しかったです。
参考文献:唐沢山城跡調査Ⅱ
本日は此れ切り。
Posted at 2010/02/27 22:23:31 | |
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